才能見出した三橋美智也
歌謡曲の前奏の名調子で知られる玉置宏は、1956年(昭和31年)に明治大学商学部を卒業し文化放送に入社した。
大学の同級生に岡山東商業高校出身で甲子園経験もある硬式野球部員がいた。島岡吉郎率いる明治大学に在学中3度の六大学リーグ優勝をもたらしたエース秋山登と女房役の土井淳だった。バッテリーはそろって1956年、大洋ホエールズに入団した。大洋の本拠地は川崎球場であった。
父親は深川生まれの江戸っ子だが、玉置は生まれも育ちも川崎である。地元であり、「白雲なびく駿河台」と校歌を歌った仲間の秋山と土井がいる大洋の大ファンとなった。
1960年に知将・三原脩を監督に迎えた大洋は球団創設初のリーグ優勝を果たし、勢いを駆って日本シリーズに臨み、下馬評で圧倒的不利な大毎オリオンズに4戦全勝と日本一に輝いた。友人の秋山は全4戦に登板し16回3分の1を1失点の好投をみせた。
1978年川崎から横浜に本拠地をかえ横浜大洋ホールズとなり、さらに横浜ベイスターズとチームは変遷し経営母体が変わっても、玉置は球団を愛し続けた。が、以来優勝とは縁の遠かった。
1998年大魔神・佐々木主浩の活躍でリーグ優勝したとき、玉置はテレビ朝日の「ニュースステーション」に出演し「38年ぶりのご無沙汰でした」と万感の思いで挨拶したのだった。
× × ×
さて、『歌先案内人』の玉置宏の本筋に戻ろう。
文化放送を2年で退社し、1958年にフリーとなった。局アナからの転身は当時のスター歌手、三橋美智也の勧めを受けてのものだった。
遠ざかってく 街灯(まちあかり)に
そっと告げ行く 別れの言葉
視野の向こうに テールランプが
滲んで溶けてゆきます
「哀愁列車」
三橋美智也さんです……
――YouTube1978年12月31日『きらめく日本の歌声』=三橋美智「哀愁列車」
作詞は横井弘、作曲は鎌多俊与だった。
♪惚れて 惚れて
惚れていながら 行く俺に
旅をせかせる ベルの音
名曲だよね。歌詞がしびれますなぁ。
恐らく、こんな風に気分よく三橋に歌ってもらうお膳立てをしていたのだろう。三橋によって、前奏でのナレーションの才能を見出された。
1958年からTBS歌番組「ロッテ歌のアルバム」の司会を務めることになる。ここでの「1週間のご無沙汰でした」の名フレーズは、玉置の名刺代わりとなった。(つづく)
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