散る花の美意識
引き際は栃錦のようにありたい。
横綱・朝青龍の引退会見をテレビで観ながら、栃錦を思い出していた。
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相撲界の黄金期「栃若時代」を築いた第44代横綱、栃錦清隆が引退したのは、1960年(昭和35年)夏場所だった。初日、2日目と連敗したところで引退を表明した。
それは衝撃的だった。まだ看板横綱を張れる実力者だったからだ。惜しむ声があがり、潔さに称賛の声に変わった。
世間が驚いたのは、先の春場所に史上初の14勝同士で千秋楽対決し、一方の横綱・若乃花に敗れはしたものの堂々の14勝1敗。栃若対決の死闘の余韻が残るなかの引退表明だった。
1958年(昭和33年)後半不調に陥り、九州場所は休場した。翌34年の初場所に復帰したが10勝5敗だった。限界説が流れたが、春場所に見事に復活し優勝(14勝1敗)を飾った。奇跡と言われた優勝だった。
その後の引退までの成績は、
・春場所 14勝1敗優勝
・夏場所 14勝1敗
・名古屋場所 15勝全勝優勝
・秋場所 12勝3敗
・九州場所 12勝3敗
・初場所 14勝1敗優勝
・春場所 14勝1敗(若乃花に千秋楽の全勝対決に敗れる)
と7場所で95勝5敗、勝率は9割0分5厘と驚異的だった。
満開に咲き誇る桜が散るような趣だった。
出処進退は自ら決めるものという美意識が日本人には古くから在る。ここぞと思う引き際にスパッと辞める決断に、男=武士(もののふ)の心を感じるのではないか。
優勝回数10回。殊勲賞1回。技能賞9回。永らく3場所制で、1953年から1957年まで4場所制、1958年は5場所制を経て年6場所制になっている。小結―大関時代に5場所連続で技能賞を獲得した『技の展覧会』と言われ技能力士だったが、横綱昇進後に正攻法の押し相撲を取るようになった。
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栃錦の得意技は左四つ右からの上手出し投げ。一方の若乃花は豪快な上手投げだった。ガキのころよく相撲を取ったなぁ。近所の空き地で相撲を取る子どもを見かけたものだ。あの子はどこに行ったやら……。
栃錦の引退に、中学生になったばかりの草野球音は感動した。引き際はかくありたいと思い続けていた。
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