水の江滝子さんが亡くなった。2009年11月16日のことだった。「ターキー」の名で親しまれた元女優で映画プロデューサー。94歳だった。
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・石原裕次郎の育ての親だった。石原慎太郎の芥川受賞「太陽の季節」の同名映画化作品に主人公の友人役で初出演した慎太郎の弟、裕次郎を第二作「狂った果実」で主演させ、スーパースターに育てた。上原謙の代表される超ハンサムのみがスターになりえた映画界に、裕次郎の登場は衝撃をもたらした。
・企画・制作した映画は76本。訃報を知り口ずさんだ。
♪霧が流れて むせぶような波止場
思い出させてヨー また泣ける
裕次郎のヒット曲「俺は待ってるぜ」だ。作詞・石崎正美、作曲は上原謙六。曲のイメージから兄の慎太郎が脚本を書いて、1957年(昭和32年)日活で映画化された。主演はもちろん裕次郎。相手役は北原三枝。監督は「憎いあンちくしょう」「栄光の5000キロ」の蔵原惟繕(くらはら・これよし)でデビュー作品。プロデュースは水の江滝子だった。
・赤木圭一郎主演の映画「霧笛が俺を呼んでいる」の企画も水の江だった。1960年(昭和35年)日活作品。共演は芦川いづみで、吉永小百合も出演していたっけ。監督は山崎徳治郎、脚本は熊井啓。日活アクションの黄金期だったなぁ。
♪霧に波止場に 帰って来たら
待っていたのは 悲しいうわさ
作詞は水木かおる、作曲は藤原秀行だった。
・NHK「ジェスチャー」にも出演していた。白組キャプテンに柳家金語楼、紅組は水の江滝子。司会は高橋圭三、小川宏。問題をジェスチャーだけで表し、それを当てていく番組で、人気があり1953年から1968年まで続いた。印象の残っているシーンがある。「俺は待ってるぜ」という出題で、水の江が手掛けた映画のポスターそっくりに、右足を波止場の舫杭(もやいぐい)に乗せたポーズをとると、女性軍からすかさず正解がかえってきたのだ。その様の決まり方。「ターキー」として活躍した男装の麗人を彷彿させたのだった。
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1993年(平成5年)森繁久弥を葬儀委員長に生前葬を華やかに執り行った。森繁の死去から6日後、後を追うように永眠した水の江滝子だった。
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