2009年9月8日火曜日

それは横浜から始まった

福澤諭吉と神奈川展

 安政6年(1859年)、若いサムライが横浜に現れた。
 前年に5カ国(米・英・仏・蘭・露)と徳川幕府との間で締結された修好通商条約により、函館、新潟、横浜、神戸、長崎の五つの港が開かれた。横浜はそのひとつであった。開港地には貿易をもくろむ外国人がやってきた。港の周辺ににわかに街ができた。とりわけ東海道の宿場・神奈川から離れた寒村を開港場とした横浜は、その様変わりは急だった。
 大坂・適塾で蘭学を学びオランダ語に堪能だった彼は、早速腕試しを試みたが、話は通じない。言っていることはわからない。街の看板は読めなかった。
 英語ショック――。蘭学の知識から世界で広く英語が使われていることは知っていた彼は、オランダ語でなく英語の時代だと体感したのだった。横浜から江戸に戻り、英語の猛勉強を始めた。
 そのサムライこそ、24歳の福澤諭吉であった。
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 横浜・馬車道の神奈川県立歴史博物館で開催されている特別展「福澤諭吉と神奈川」(2009.8.22~9.23)を観る。慶応義塾創立150周年、横浜開港150周年のアニバーサリーにあたり、福澤諭吉と神奈川県、横浜市とのかかわりに焦点をあてた展覧会である。
 日吉や湘南藤沢キャンパスなど神奈川県と関係の深い福澤コネクションが興味深い。横浜正金銀行、横浜商業高校(通称Y校)、書店の丸善、箱根の富士屋ホテルの創業・創立に際し、政財界、教育界に尽力した諭吉の姿がうかがわれ、面白かった。
・中村道太(横浜正金銀行の初代頭取)
・早矢仕有的(書店丸善を横浜で創業)
・山口仙之助(箱根・富士屋ホテル創業者)
・美沢進(横浜商業の初代校長)
 上記は、福澤の門人たちだった。
 神奈川県立歴史博物館は、横浜正金銀行として1900年(明治33年)に着工、1904年に完成した建物を利用している。1969年(昭和44年)「旧横浜正金銀行本館」として国の重要文化財、1995年(平成7年)に国の史跡に指定されている。
*「ヴ」考案は福澤諭吉(2008年7月29日記)
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 蛇足ながら……。
 館内の喫茶ルームに昼食に入ってビックリです。甘口のカレーにポテトサラダ、食後にコーヒーが付いて700円という安さでしたよ。
2009年9月8日観覧 

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