政府は5月11日、森光子に国民栄誉賞を授与することで検討に入った。
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森光子の「放浪記」初演は昭和36年、遅咲きの森41歳のことだった。
当時の芸能界は、歌謡界では17歳下の美空ひばり、映画界では14歳下の石原裕次郎がすでにスーパースターであった。植木等の「スーダラ節」がヒットした年で、時代劇映画も全盛で、東映の中村錦之助(後の萬屋錦之介)、大映の市川雷蔵が銀幕に颯爽と輝いていた。錦之助は12歳、雷蔵は11歳年少で、ひばり、裕次郎とも鬼籍に入っている。
・美空ひばり(1937年―1989年)
・石原裕次郎(1934年―1987年)
・中村錦之助(1932年―1997年)
・市川雷蔵(1931年―1969年)
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さて、長谷川伸の「あの名台詞:瞼の母」である。「瞼の母」はもともと戯曲で、舞台、映画で番場の忠太郎は数多く演じられたが、草野球音にはなんといっても中村錦之助の映画瞼の母 [DVD](監督=加藤泰・東映)である。錦之助が忠太郎を演じたのは、森の「放浪記」初演の翌年の昭和37年、1962年だった。
あの頃の錦之助は目が光っていたなぁ。演技の熱がスクリーンから伝わるようだった。
幼い頃に母と別れ、父とも死別した番場の忠太郎は、やくざ渡世に身を置く一本独鈷。母を訪ねて江戸へと着いた。夜鷹の老女から柳橋の料理屋・水熊の女将が昔、江州番場宿で子どもを残してきたと聴く。まだ見ぬ母の生活資金と貯めた百両を懐に、忠太郎は水熊の女将おはまに会いに行く。
おっかさん、忠太郎でござんす。
おはまにはお登世という娘があり、娘のために忠太郎を自分の子でないと突っぱねる。夢にまでみたおっかさん、逢わなければよかったのか。悲嘆にくれる忠太郎が泣かせる。
考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、
幼い時に別れた生みの母は、
こう瞼の上下ぴッたり合せ、
思い出しゃあ絵で描くように見えてたものを
わざわざ骨を折って消してしまった。
中村錦之助と森光子は1965年に「冷飯とおさんとちゃん」(監督=田坂具隆・東映)で共演している。山本周五郎の原作「ひやめし物語」「おさん」「ちゃん」3編の映画化だが、このオムニバス映画で錦之助は3役をこなしている。ふたりは第3話「ちゃん」で、火鉢職人と4人の子持ちの妻役を演じた。
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