英語の先駆者
高校野球で慶応高校が、北神奈川県予選を勝ち抜き、夏の甲子園出場を46年ぶりに果たした――というわけで、半ば強引に、慶応義塾の創始者である福澤諭吉の小ネタである。
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英語の「V」の発音を、「ウ」に濁点をつけた「ヴ」と表記することを初めて考案したのは、福澤諭吉(1835年―1901年)だという。
万延元年(1860年)、彼は「華英通語」という本を出版した。英語と中国語との対訳の単語短文を日本語に訳したもので、英語の発音をカタカナで表記している。ここで、「ヴ」という表記が本邦初登場した。「ブ」との発音の差異を明確にしたわけで、さすが先駆者は賢いと感心したことがある。
諭吉は安政6年(1859年)、開港したばかりの横浜を訪れている。横浜は日米修好通商条約締結(1858年)後に開かれた5つの港(箱館、新潟、神戸、長崎、横浜)のひとつだった。横浜は、江戸に隣接し防衛上の問題から東海道の神奈川宿に外国船の発着を避けたい幕府の要望で、宿場とは離れた寒村に港を築いた。なにもないところに忽然として外国文字の店が建ち並ぶ、不思議な空間がそこにあった、と想像する。
大坂の緒方洪庵(1810年―1863年)の適塾で蘭学を学びオランダ語に通じていた彼は、腕試しとばかりに興味深く街を歩いたが、店の看板、行き交う人の言葉を、さっぱり理解できなかった。衝撃を受ける。英語を知らなければ、世界に通用しないことを悟ったのだった。
翌日から彼の英語学習は始まった。
万延元年(1860年)、日米修好通商条約批准のため、日本初の遣米使節団として、咸臨丸で勝海舟やジョン万次郎らと渡米する。
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