2008年4月15日火曜日

球侍の炎:森中千香良

南海叩き上げ

 プロ野球の南海、大洋などで投手として活躍した森中千香良(もりなか・ちから)が2008年4月14日、死去した。68歳だった。

×  ×  ×

 森中千香良。「千香良」=ちから、という名前の響きがよい。その活躍もさることながら、草野球音の記憶に残っているのは、「もりなか・ちから」という古風な響きの名前によるところが大きい。
 「主税」という漢字のイメージがいつもダブっていた。
 ♪湯島通れば 思い出す
 お蔦・主税の心意気
死ぬほど古いと言われそうだが、「婦系図」の「湯島白梅」(佐伯孝夫作詞・清水保雄作曲)の「主税」である。

 1958年(昭和33)、奈良・奈良商工高(現奈良商業高)からテスト生で南海ホークスに入団した。鶴岡一人(1916年―2000年)が率いた南海には、テスト生からの「叩き上げ」が多い。元近鉄監督の岡本伊三美、現楽天監督の野村克也、元南海監督の広瀬叔功らが、テスト生から二軍を経て一軍の晴れ舞台に這い上がった男たちである。 森中千香良もその一人だ。

 1960年から一軍昇格、1961年からは、11勝・10勝・17勝と3年連続で2桁勝利を稼ぎ、ローテーションの一角を担った。1963年は17勝8敗で、田中勉(西鉄)とパ・リーグ最優秀勝率のタイトルを分け合っている。
 1967年には南海から大洋に移籍、18勝を記録した。その後、1972年に東映移籍(日拓、日本ハムと球団名は変わり)、1975年に再び大洋に移り、現役を引退している。
 517試合に登板、114勝108敗1セーブ、防御率3.49の生涯記録を残す。

 その投球は、体を目一杯使った上手投げで、ストレートと落差のあるカーブのコンビネーションが武器だったと記憶する。打席は投手でありながら、珍しいスイッチヒッターだった。右投手に対して左打席に入るのだが、(球音の目には)どう見ても打てそうもないスウイングだったなぁ。

 確か生涯独身であった。
 
 南海黄金期を支えた一人である。

※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。

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