「闇の埋葬人」
江戸八百八町は静かな眠りについていた。草木も眠る丑三つ時。深夜のしじまを破ように、古寺の鐘の音が「ゴーン」と響いた。
黒羽二重の着流し、宗十郎頭巾の浪人ていの男が、墓場を掘り返していた。この男こそ、「闇の埋葬人」と江戸でささやかれる草野球音である。
著名人の墓を掘り起しては、自らの墓碑銘を書き連ねた後、丁重に葬ることを生き甲斐とする。行為そのものは、けして褒められたものではなく罪深いことだが、お節介の行き過ぎ程度で、悪行と決めつけられぬ側面もある。江戸の庶民が忌み嫌うのは、墓場を掘り返すという神を恐れぬ所業、その不気味さである。 また、彼の墓碑銘に新たな感慨を抱き、周囲を憚(はばか)りながら、喝采を送る者もいるのだった。
「また出ましたよ、親分。近頃、流行ってる墓場あらしの噂を聞きましたか。ありゃ、うすっ気味悪くていけねや。それに、あの野郎、“闇の埋葬人”なんて言われていい気になってやがる。ひとつ、どこのどいつだか、正体を暴(あば)いてやっておくなんさないよ」
神田三河町の岡っ引、半七は好きな朝湯から帰ってきて、朝餉の前の一服を点けたところで、子分の多吉が飛び込んできた。昨夜は上野の寛永寺に墓場あらしで出たという。その前は芝の増上寺だった。
「押し込みや殺しと比べりゃ、仏ごころもある。墓場を掘り起すが、ちゃんと丁寧に埋葬する。その後で、墓を掃除して、花まで供えるって言うじゃねえか。おれにはそんなに悪い奴にはみえねえがなぁ」と半七は、「闇の埋葬人」探索には気乗りがしない。
「でもねえ、江戸の街じゃ噂が噂を呼んでいますぜ。きっと、奴には魂胆がある。きっと悪いことは企んでやがるに違ねえ。仏が眠る墓をあらす野郎は人非人決まってらぁ。近頃じゃ、大衆かわら版にも「闇の埋葬人の謎」なんて、赤子の頭ほどもある、でっけえ見出しが躍ってますぜえ」
「まぁ、世間様が騒げば、御用を与(あずか)るおれとしちゃ、どんな野郎がやってんだか、確かめておかなくちゃなるめえよ」
「さすが半七親分。よ、江戸の大明神」
「莫迦野郎、おだてんな」
と、いうわけで、墓場あらしが出没しては何かと物騒、と神田三河町の岡っ引、半七は夜回りに出たのだった。浅草伝法院にさしかかったところで、月明かりにぼんやりと黒衣の覆面侍が墓場に佇んでいるのを見つけた。深夜の墓場に黒装束――いかにも胡乱(うろん)である。訝(いぶか)しげに声をかけた。
「お侍(さむれえ)さん、なにをなさっていますかい」
「なに、その、墓を掘ってな‥‥」
「墓を掘って、なにをするんでえ」
「犬のポチがなくものでな、墓を掘れば宝が‥‥」
「なにを! 墓を掘って宝だと。ありゃ、墓じゃねえ、畑でえ。花咲爺さんじゃねえやい。ふざけるねえ。この三一(さんぴん)」
草野球音の言い訳、とっさに出たとはいえ、いかにも拙い。
♪裏の畑で ポチがなく
正直爺さん 掘ったれば
大判 小判が ザクザクザクザク
小学唱歌「花咲爺さん」(石原和三郎作詞・田村虎蔵作曲)を持ち出しては、怪しいのがバレバレである。
半七は呼子を吹いた。「ピー」という笛の音が江戸の闇を走る。こうなれば、岡引、役人、捕りかたが集まってくる。
関わりはご免と、逃亡体勢に入った球音は、「ここ掘れワンワンは、それがしが悪かった。ワリーネ。ワリーネ。ワリーネ・デイトリッヒ。また、どこぞで遭う事もあろう」と言い残すと、すさまじい早さで闇に消えたのだった。
その後、闇の埋葬人の消息は杳(よう)として知れなかった。
× × ×
枕(まくら)がいやに長くなったが、本題は短いので安心してほしい(笑)。
女優の根岸明美(ねぎし・あけみ、1934年―2008年)が亡くなった。73歳だった。2008年3月11日のことだった。
一般紙、スポーツ紙を拾い読みすると、日劇ダンシングチームに在籍中にジョーゼフ・フォン・スタンバーグ監督の日米合作映画「アナタハン」のオーディションで主役に抜擢され映画デビューしたというが、残念ながら、「アナタハン」の記憶は球音にはない。1953年(昭和28)のことだ。
なによりも記憶に残すべきは、彼女の肉体の見事さだろう。20代のころ、身長167センチ、B103・W60・H98という、昭和30年代では日本人離れした、とんでもないナイスバディだった。陰影のある目鼻立ちもあり、日本の映画スクリーンでは収まり切れなかったように思うのだ。
黒澤明(1910年ー1998年)はその肉体の持つ存在感に目をつけ、映画「どん底」「赤ひげ」「どですかでん」に起用している。
バンプ女優の草分け的な存在だろう。
× × ×
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿