燻(くゆ)らせた煙草がしみるのだろうか。目を細めながら、毛糸の帽子をかぶった巨匠は映画を語っていた。熱弁ではないが、静かな語り口から情熱がじわりと伝ってきた。テレビ画面に生前の、そんな姿が映し出された――2008年2月13日、「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」などの名作で知られ、日本映画界の全盛期を築き支えた映画監督、市川崑(いちかわ・こん)が死去した。現役の92歳だった。
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激走するボブ・ヘイズ(米国)の顔面アップ。上腕、太股の筋肉が躍る。超望遠レンズを駆使し、濃密に描かれた陸上男子100mの「10秒間」。
「カーン」「カーン」と突貫工事で進められる五輪施設建設の槌音(つちおと)が響く。東京の変貌を追う冒頭シーン。
オリンピックというスポーツの世界を単なる実録でなく、その中に潜む人間ドラマを抽出した描写。
映像美。
どれも市川崑の映画監督としてこだわりが感じられた。
映画「東京オリンピック」は大会の翌年1965年(昭和40)公開された。
オリンピック担当大臣の河野一郎(1898年―1965年)が「記録性に欠ける」と批判した。五輪公式映画は「記録性を重視すべきか、芸術性の追及か」と、日本中で大論争が巻き起こっている。記録映画を芸術作品にまで高めた市川崑の手腕にいたく感動した草野球音は「論外のいちゃもん」と思えた。
新東宝、東宝、日活、大映、フリーとして活躍した。文芸作品あり、娯楽作品あり、ミステリーあり、時代劇あり、ドキュメンタリーあり、戦後の昭和から平成の60年間にわたり70本超の映画を撮り続けた。なんと長く幅広い作風の映画監督であったことか。
文芸作品では竹山道雄の原作の映画化「ビルマの竪琴」(1956年、安井昌二、三國連太郎の主演)は日活作品だが、大映移籍後の活躍が記憶に残る。
谷崎潤一郎の「鍵」(1959年)は封切りから数年後に場末の映画館で観た。エロティックな映画だったなぁ。主演は女盛りの京マチ子。その夫である古美術鑑定家に中村雁治郎(二代目。1902年―1983年)、娘に叶順子、妻の不倫相手で娘の婚約者の医師に仲代達矢というキャストだった。好みは叶順子だったが、京の裸身がまぶしかった。
1958年には三島由紀夫の「金閣寺」の映画化「炎上」を初の現代劇に挑む市川雷蔵主演で、1959年に大岡昇平の「野火」(船越英二主演)、1960年には山崎豊子の「ぼんち」(市川雷蔵主演)と幸田文の「おとうと」(岸恵子、川口浩主演)、1962年には島崎藤村の「破戒」(市川雷蔵主演)をたてつづけに撮っている。ちなみに藤村志保はこの作品が映画デビュー作で、原作者の「藤村」と役名の「志保」から芸名とした。
1963年には、太平洋ヨット単独横断に成功した堀江健一の「太平洋ひとりぼっち」を石原裕次郎主演(石原プロ=日活)で映画化している。1970年代は石坂浩二を名探偵・金田一耕助に据えた横溝正史シリーズ(東宝)、1983年には谷崎潤一郎の「細雪」を岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子を配した4姉妹で撮っている。
娯楽作品では1963年の「雪之丞変化」がある。長谷川一夫(1908年―1984年)の300本出演記念映画。雪之丞と闇太郎の二役のサービスを長谷川一夫、女優は山本富士子に若尾文子、男優は市川雷蔵(1931年―1969年)に勝新太郎(1931年―1997年)がからみ、船越英二(1923年―2007年)、中村雁治郎が脇を固める大映オールスターのエンターテインメントであった。雷蔵が昼太郎という三枚目を演じ、長谷川を盛り上げっているのがご愛嬌である。
1948年(昭和23)に「花ひらく」で監督デビュー。同年に脚本家の和田夏十(1983年死去)と結婚。市川の監督作品には脚本を担当する協同作業者となった。
テレビでは1972年にフジテレビで放映された「市川崑劇場・木枯紋次郎」シリーズが好評だった。
巨星堕つ。しかし、その映像美は銀幕という銀河に永遠に輝いている。
× × ×
以下、蛇足ながら‥‥。
紫煙を絶やすことのない、チェーンスモーカーという言葉がピッタリはまった御仁だろう。子供ころから市川崑の写真は、必ず銜(くわ)え煙草姿であった。まだ癌を誘発させる健康被害の元凶などと白眼視される前の時代だった。
ちなみに煙草は、16世紀後半の安土桃山時代にスペイン船が伝来し、最初に吸った日本女性は豊臣秀吉の側室、淀殿であったという。
市川崑はチェリー(CHERRY)を好んで吸ったという。小津安二郎(1903年―1963年)、山本周五郎(1903年―1967年)、池波正太郎(1923年―1990年)も「同好の士」であったと、どこぞで読んだことがある。本当だろうか。
注=チェリーは、現在のチェリーでなく、戦前に市販品されていた種類と推測される。
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。
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