昭和34年編
1959年・昭和34年の歌謡曲といえば、草野球音的には水原弘(1935年―1978年)の「黒い花びら」が心に残る。
♪黒い花びら 静かに散った
作詞は永六輔で、作曲は中村八大(1931年―1992年)の「六八」コンビだ。
実はこの曲は同年の東宝映画「青春に賭けろ」(日高繁明監督)の挿入歌であった。主演はデビュー間もない夏木陽介で、ロカビリーのスターに憧れるバンドボーイ役を演じていた。共演女優は北あけみで、「ロカビリー三人男」のひとり山下敬二郎はスター歌手役で出ていた。
ちなみに山下敬二郎の父親は、エノケン(榎本健一)、ロッパ(古川緑波)と並ぶ喜劇の大御所であり、落語家の柳家金語楼(1901年―1972年)である。金語楼はNHKの「ジェスチャー」という人気クイズ番組で、男性軍キャプテンを務め、女性軍のそれは水の江滝子だった。ジェスチャーのみで表現した問題をあてるというゲームで、テレビの特性を生かした番組であった。司会は高橋圭三(1918年―2002年)も務めたそうだが、小川宏の印象が強い。
「青春に賭けろ」を映画館で観ている。
球音の近所に映画館が当時3館あったが、いずれも「二番館」であった。「二番館」とは封切りされた映画が数週間した後に割引料金で興行する映画館だ。
生まれ育った川崎は工業都市であったが、映画の街であり「興行都市」でもあった。川崎駅近くに「ミスタウン」という封切り館が軒を並べた映画街があった。集団就職の労働力を吸収する工業地帯で、当時の娯楽の中心に映画はあり、日曜日や祝日には映画街に溢れるばかりの人が押し寄せた。実家は川崎駅から京浜工業地帯に向かう中間地点にあった。その商店街の映画館で観たのだった。
山下敬二郎にほか、ミッキー・カーチス、坂本九(1941年―1985年)、かまやつひろし、井上ひろし(1941年―1985年)、寺本圭一などジャズ喫茶を根城にしていた連中が実名歌手で出演しているなか、水原弘もいた。主人公の夏木陽介が劇中で歌う曲が「黒い花びら」であった。夏木がギターを持ちテープの乱舞するなかで歌うシーンの音声は、水原弘であった。
「黒い花びら」は若者を捉えヒットし、年末に開催された第1回レコード大賞を受賞した。ハスキーで甘い低音が魅力の水原は売れた。その後、長い低迷期があったが、「君こそわが命」(川内康範作詞・猪俣公章作曲)で復活した。
「黒い花びら」の影に隠れて一般に印象は薄いが、「黄昏のビギン」(永六輔作詞・中村八大作曲)は好きな曲だったなぁ。名曲だと思う。中村八大のメロディは美しい。ちあきなおみがカバーしている。
♪雨に濡れてた 黄昏の街
ペギー葉山の「南国土佐を後にして」(武政英策作詞・作曲)はヒットした。同年に日活で映画化され、小林旭が主演した。この映画があの無国籍で和製西部劇の「渡り鳥シリーズ」の発端となる。
フランク永井は「夜霧に消えたチャコ」(宮川哲夫作詞・渡久地政信作曲)、松尾和子とのデュエット曲「東京ナイトクラブ」(佐伯孝夫作詞・吉田正作曲)と好調を持続した。
浜口庫之助(1917年―1990年)の異才ぶりが光った。スリー・キャッツの「黄色いさくらんぼ」(星野哲郎作詞・浜口庫之助作曲)と守屋浩の「僕は泣いちっち」(浜口庫之助作詞・作曲)。「ウッフン」と書いた星野哲郎も凄いが、合いの手を絶妙にメロディ化したハマクラも只者でない。さすがに人前で歌うのは憚(はばか)った。「泣いちっち」の歌詞もトンでいる。
こまどり姉妹が「浅草姉妹」(石本美由起作詞・遠藤実作曲)を歌えば、同じ双生児のザ・ピーナッツが外国のカバー曲「可愛い花」を歌唱した。またコニー・フランシスの「カラーに口紅」を森山加代子がカバーした。
浪曲ライバル、村田英雄は「人生劇場」(佐藤惣之助作詞・古賀政男作曲)、三波春夫は「大利根無情」(猪又良作作詞・長津義司作曲)をヒットさせた。
三橋美智也の「古城」(高橋掬太郎作詞・細川潤一作曲)の歌詞「エイガの夢を」を、「映画の夢」と勘違いしていたなぁ。「栄華」であった。
春日八郎は「山の吊橋」(横井弘作作詞・吉田矢健治作曲)を歌っていた。
映画の佳作は
「キクとイサム」(大東映画=松竹・今井正監督)=高橋エミ子出演
「野火」(大映・市川崑監督)=船越英二(1923年―2007年)出演
「にあんちゃん」(日活・今村昌平監督)=長門裕之出演
「人間の条件」(にんじんクラブ=松竹・小林正樹監督)=仲代達矢出演
「浪花の恋の物語」(東映・内田吐夢監督)=中村錦之助(後の萬屋錦之介=1932年―1997年)、有馬稲子出演
などがある。錦之助と有馬稲子は「浪花の恋の物語」の共演が縁で昭和36年結婚している。ちなみに「野火」の船越英二の夫人は、長谷川一夫の姪の長谷川裕見子で、長男は「2時間ドラマの帝王」船越栄一郎である。
ミス・ユニバースに日本人で初めて児島明子が選ばれ、下半期の直木賞を司馬遼太郎(1932年―1996年)が「梟の城」で受賞したのも同年だった。
※蜘蛛巣丸太「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中で「主」の記憶違い・事実誤認・赤字などがありましたら、ご指摘くだされば幸いです。
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