2013年1月29日火曜日

今野敏「朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕」

中国五行説の『青春・朱夏・白秋・玄冬』――。


今野敏の「朱夏 警視庁強行犯係・樋口顕」(新潮文庫)を読む。樋口顕シリーズ「リオ」に続く第2弾。
 
妻が姿を消した。樋口顕は信頼する荻窪署の氏家譲に助けを求め、私的な捜査に乗り出した。
そんな時、警視庁警備部長に脅迫状が届き、その捜査を命じられた。捜査本部が立ちあがる月曜日までには私的な憂いを解決したい。残された時間は1日半。
妻の恵子は見知らぬ男に誘拐され、部屋に監禁されていた……。

×  ×  ×

 草野の親友、『トリ頭』こと戸坂健作が表題の「朱夏」についてひとくさり。
――(以下、トリ頭の弁。例によって付け焼刃の知識ですが、聞いてやってください)

事件解決後に上司の捜査一課課長の天童隆一が、
樋口と氏家を呑みに誘って言っていたぞ。
「青春の次ぎには朱夏(しゅか)が来る」とな。

人生は青春・朱夏・白秋・玄冬だ。
青春は若さが満ちる時代、人生の春。
朱夏は燃えるような夏の時代。
白秋は収穫の秋を迎え、玄冬で人生を終えるのだな。

中国の自然哲学の五行思想から由来している。
万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成るという説だな。

木は春で色は青、方角は東。
火は夏で色は紅、方角は南。
金は秋で色は白、方角は西。
水は冬で色は黒、方角は北。
そして土は季節の変わり目で色は黄色。

北原白秋の「白秋」はこれに因(ち)んでいる。
「玄」とは赤か黄を含む「黒」の意味だな。

 ハイハイわかりました。タメになりました。

2013年1月27日読了
読書の轍#2

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2013年1月24日木曜日

箱根彫刻の森にいたピカソ

陶芸・版画・素描300点超を展示――。

 箱根の彫刻の森美術館の「ピカソ館」を観る。
 パブロ・ピカソ(1881年―1973年)作品はけた外れのの多作の美術家で、
91歳の生涯で
・油絵素描13500
・版画10万点
・挿絵34000
・彫刻陶器300
を制作した。

彫刻の森にある「ピカソ館」はピカソの長女マヤから陶芸作品188点を譲り受け1984年(昭和59年)に開設された。その後素描や版画を所蔵し現在300点を超える。
 
ピカソの美術館といえば、
・パリの国立ピカソ美術館
・バルセロナのピカソ美術館
の冠美術館があり、
有名な「ゲルニカ」はスペインのマドリードにある国立ソフィア王妃芸術センターが所蔵している。

俳優でクリエーター井浦新の「空は暁、黄昏れ」展を開催中(20121222日~201333日)。
 
2013119日観覧
美博の館#3
 
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大鵬VS雷電そして柏戸

大鵬の前に大鵬なし。大鵬の後に大鵬なし。


 大相撲史上最多の32回の優勝を記録した大鵬幸喜(たいほう・こうき)さんが2013119日に亡くなった。72歳だった。(以下敬称略)

×  ×  ×

国技である相撲の起源源流は神話の時代にさかのぼる。
興行が始まったのが江戸時代初め17世紀、
徳川3代将軍・家光のころといわれる。

1年を20日で暮らすよい男――
1場所10日で年2場所だったという。

長い大相撲の歴史にあって未曾有の最強力士といわれるのが雷電為右エ門。
らいでん・ためえもん=生1767年―没1825年。
徳川11代将軍・家斉のころの大関
横綱に就任していないが、当時大関が実力の最高位だった。
197センチ172キロの筋肉質の巨漢。
当時の日本人の体格から比してまさにガリバーだったに違いない。

現役21年。江戸本場所36場所で勝率962厘。
黒星はわずか10番。
同じ力士に2度負けたことがない。
とてつもなく強かった雷電から白星を挙げたのは10力士だけ。

柏鵬時代。
大鵬に相対すは柏戸剛(かしわど・つよし)。
常勝から生まれた言葉――巨人・大鵬・玉子焼き。
堺屋太一氏の造語とか。
2番手でいつもトップになれないのを、
『阪神・柏戸・社会党』なんて揶揄した向きもあったなぁ。

いや、柏戸は強かった。
大鵬が偉大すぎただけなのだ。

雷電の生涯10敗の記録をみると、
10 力士になかに『柏戸宗五郎(初代)』の名前を見つけた!
そうなのだ。
あの柏戸剛のずっと先輩で最高位は大関。

『柏戸』は江戸時代から続く名四股名である。
柏戸宗五郎は雷電の好敵手だった。
対戦成績は15123無(ウィキペディア参考)。

かの雷電為右エ門でさえ優勝28回。
大鵬は32回。
6場所と年2場所と時代が違い単純比較はできない?
おっしゃる通り。
でも、大鵬は偉大すぎるほど偉大だった、
ということで話を〆たい。

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2013年1月22日火曜日

景観が所蔵品:成川美術館

白銀の富士と紺青の芦ノ湖―眼福にあずかった――。

箱根・芦ノ湖の成川美術館を観る。

 白銀と紺青。
 麓まで白雪におおわれた富士と深い青をたたえた芦ノ湖。
 さらに見上げれば青く澄んだ空。
 成川美術館からの眺望はまさに眼福に値する。
 景観が所蔵品だった。

構成
・現代日本画の巨匠が描く中国
   平山郁夫、田渕俊夫、福井爽人、宮廻正明、吉田善彦らの中国を描いた作品展
・牛尾武「空海の空と海」
   弘法大師・空海が遣唐使として留学した中国を追う
開催=20121212日~2013327日。

2013119日観覧
美博の館#2

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2013年1月17日木曜日

大島渚さんの訃報で桑野みゆきさんを…

訃報はいつも昔語りの連想ゲームとなる。


「愛のコリーダ」「戦場のメリークリスマス」の話題作で知られる映画監督の大島渚さんが亡くなった。2013年1月15日のことで、80歳だった。

×  ×  ×
大島渚さんからは、『桑野みゆきさん』をふいと思い出した。
覚えているだろうか?
松竹の看板女優だった。
ヌーベルバーグの旗手、大島渚監督の「青春残酷物語」に主演し、
清純派から脱皮を図った。
1960年(昭和35年)作品で川津祐介さんも出ていたな。

桑野みゆきさんは横浜・鶴見の出身で、
隣り組の川崎生まれの草野には親近感があった。
ませこけたガキのお気に入りだった(笑)。

♪ 愛しても愛しても
  愛しきれない君だった
石原裕次郎さんの「夜霧の慕情」ってえヒット曲がある。
映画が先か歌が先は知らないが、
同名映画で裕ちゃんの相手役だった。
1966年の日活作品。
松尾昭典監督だった。
「夜霧の慕情」は愛唱歌なんだよね(笑)。

桑野みゆきさんは1967年結婚し芸能界を引退したけど、
今どうしているのだろうか。
可憐な華だったなぁ。

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2013年1月15日火曜日

今野敏「疑心 隠蔽捜査3」

「唐変木」の竜崎が抱いた狂おしい恋心――。 


今野敏の「疑心 隠蔽捜査3」(新潮文庫)を読む。「隠蔽捜査」「果断」に続くシリーズ第3作。

息子の薬物使用という不祥事で警察庁長官官房の総務課長から警視庁大森署署長に左遷人事された竜崎伸也に大役が舞い込んだ。アメリカ大統領が訪日することになり、羽田空港をふくむ第二方面警備本部本部長の命が下った。異例の抜擢だった。
 が、警部本部の補佐役として派遣された美しい女性キャリア畠山美奈子に、竜崎は狂おしい恋心を抱いててしまう。やがて日本人がテロを企図しているとの情報が入った。

×  ×  ×                



妻の冴子にいわせれば「唐変木」の竜崎が恋愛で悩むという視点が新味だった。
畠山を見ると、なんとなくざわざわ心が落ち着かない。
彼女が他人と話しただけで、嫉妬に悩ませる。 

いつも情より理が勝る竜崎がみせる恋心に、
拙者も高校時代を思い出し照れくさくなった。
あれが初恋だったか。


布施明さんもその昔唄ったいたぞ。
♪逢うたびにうれしくて
 逢えばまた切なくて
 逢えなけりゃ悲しくて
 逢わずにいられない
作詞・作曲は平尾昌晃さんだったかな。 


ところで女性キャリアの畠山ってNHKアナの井上あさひさんをイメージしましたよ。


2013113日読了
読書の轍#


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2013年1月12日土曜日

美輪明宏「ヨイトマケの唄」の光景

土方⇒ドカチン⇒ニコヨン――。

美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」が話題となっている。
大晦日の紅白歌合戦での熱唱からだ。

♪かあちゃんのためなら エンヤコラ
 とうちゃんのためなら エンヤコロ

1947年(昭和22年)生まれの草野はヨイトマケの光景を実際に見た。
おそらく見た最後の世代ではないか。
育った川崎では昭和30年代前半まであったなぁ。

手ぬぐいのアネサンかぶりに、モンペに地下足袋のおばさんが、
綱を引いて、唄っていた。
おじさんもいた。
みんな泥にまみれていた。
あれは地固め作業だ。

♪働く土方の あの唄が
 貧しい土方の あの唄が

貧しい人たちの仕事だとガキながら思っていた。
「ドカチン」なんて土方を言っていたっけ。
差別っぽいニュアンスだな。
思い出した「ニコヨン」なんて言葉もあった。
なんでも日雇い労働の最低日当が240円から由来(き)たらしい。

1964年(昭和39年)といえば東京五輪の年。
まだ丸山明宏と名乗っていたころに作詞作曲したそうな。
かれころ半世紀も唄われている名曲だ。

「土方」や「ヨイトマケ」が差別語とかで、
テレビなどの表舞台から姿を消していた。

美輪さんは紅白で唄ったぞ、堂々と。
あれって解禁になったのだろうか?

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2013年1月10日木曜日

面構え千両の佐藤允さん

面(つら)だけで銭(ぜに)になる俳優――。

一度見たら忘れないインパクトのある顔貌だった。
東宝で活躍した佐藤允(さとう・まこと)さんが亡くなった。
2012年12月6日ことで、訃報が伝えられたのは2013年1月7日だった。
78歳だった。

ガキのころ、平凡や明星でよくみたっけ。
ハリウッドスターのリチャード・ウィドマークの『そっくりさん』として。
両者、なるほど似ていましたな。

後年はチャールズ・ブロンソン似と言われた。

若い時分は顔を生かした悪役や軍人役が多かった。
野太い声も迫力があった。
チョー濃い強面だったが、笑うと愛らしかった。

昭和映画史を彩った個性派が姿を消した。

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高山辰雄・奥田元宋展:山種美術館

視界いっぱいに迫る奥入瀬の紅葉と清流――。

東京・広尾の山種美術館で「生誕100年 高山辰雄・奥田元宋―文展から日展へ―」を観る。高山辰雄(たかやま・たつお=1912年―2007年)/奥田元宋(おくだ・げんそう=1912年―2003年)――ともに1912年(明治45年)6月生まれで生誕100年を迎えての展覧会。開催2012121日~2013127日。

本展構成
1章:高山辰雄と奥田元宋
2章:文展から日展へ
3章:日展の画家と山種美術館

惹かれた作品
・高山辰雄「春を聴く」1979
冬の寒さが残る草原で陽光に暖をとる2羽のハトは春の訪れを聴いているのだろうか。
・奥田元宋「湖畔春耀」1986
   錦秋ならぬ錦春。紅葉と緑の木々の中、1本のピンクの桜が映えていた。
・奥田元宋「奥入瀬(秋)」1983
   鮮やかな紅葉と清流のせせらぎ。視界いっぱいに奥入瀬の秋が迫ってきた。
・上村松園「蛍」1913
   蚊帳を吊っている女の足元に1匹の蛍が漂うように飛んでいる。なんともいえぬ風情。

*文展
 1907年(明治40年)に創設された「文部省美術展覧会」の略称。1946年(昭和21年)に日本美術展覧会(日展)と改称。

201318日観覧
美博の館#1
 
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