2012年7月29日日曜日

ロンドン、ロンドン、ロンドン:雑観

ジェームズ・ボンドもいいけどシャーロック・ホームズもいるぞ――。  

 ロンドン、ロンドン、ロンドン――こんなキャバレーのCMがテレビに流れたのは、ひと昔、いやふた昔前のことだろうか。懐かしい。

愉快なロンドン、楽しいロンドン、なんて歌いながら黒い帽子に赤いミニスカの女性が、フレンチカンカンのように足を上げて踊っていましたっけ。あの衣装、バッキンガム宮殿の近衛兵のパクリだよね。

ロンッ ドン ドン! ロンッ ドン ドン! ロン ドン! ロン ドン!
 真っ赤な学ランに白いハチマキで五輪を盛り上げるのは民放女子アナ軍団。
 自社チャンネルの若い順番に左から徳島えりか(日本テレビ)、竹内由恵(テレビ朝日)、出水麻衣(TBS)、大橋未歩(テレビ東京)、本田朋子(フジテレビ)と並んでいる。

いずれもカワユイ。あなたはどちらがタイプ?(どうでもいいっか。失礼しました)。

いよいよロンドン五輪が始まった。ロンドンの五輪開催は3度目。初回は1908年で明治41年のこと。日本はまだ参加してなく、初参加は次の1912年ストックホルムからとか。

 映画「007」の主人公ジェイムズ・ボンド役のダニエル・クレイグがエリザベス女王と共演した開会式は小粋な演出だった。

ロンドンならボンドよりシャーロック・ホームズが、古い奴の当方には思い浮かべる。
 221b Baker St なんて博物館になっているそうな。
 アーサー・コナン・ドイル原作。1887年から1927年まで長きにわたり出版された。人気シリーズだったのだよね。
 1908年のロンドン五輪開催のころは、ホームズ探偵も晩年なっていた。
 

 ホームズさんはロンドン五輪を観たのだろうか。

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2012年7月26日木曜日

奈良美智展:横浜美術館

横美は今回も難解ホークスじゃった――。

 世界的に評価されるポップアート作家の奈良美智(なら・よしとも)の個展。横浜・みなとみらいの横浜美術館で企画展「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」を観る。開催2012714日~923日。

×  ×  ×
 
 既視感――どこぞで会ったことのある女の子がいる。
 目と目が離れた、おでこの子。
 あの子はだれ? だれでしょうね。なんなん奈良さんの絵の女の子。
 記憶を辿ってもどこで遭ったかわからない。
 でも不思議と親近感のする子でした。


散歩がてらの美術・博物館めぐりをしている。アート鑑賞というより館やロケーション見物が主体の時も多い。きっと真のアートラバーじゃないのかもしれない。そんな当方、不明にも奈良美智さんを知りませんでした。
だから、恐る恐る館内に入ると、一見さんでなく、お目にかかったことがありそうな女の子の出現にほっとしたのでした。

 でも、本展のテーマってなに? 
 このところの横浜美術館の展覧会は、松井冬子さんやマックス・エルンストさんと、私には難解ホークスじゃ(笑)。敷居が高い。

11月から始まる歌川国芳展に期待したい。
2012724日観覧

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2012年7月21日土曜日

今野敏「ST 為朝伝説殺人ファイル」

東千代之介の為朝は船を沈める強弓を射った――。

 今野敏の「ST 為朝伝説殺人ファイル 警視庁科学特捜班」(講談社文庫)を読む。STものの初期シリーズ、色シリーズに続く「伝説」シリーズの第1弾。

伊豆大島と奄美大島で起きたダイビング中の死亡事故。いずれも源為朝伝承の地。そこでワイドショーは沖縄の為朝ゆかりの地を取材すると、翌朝になって女性キャスターが死体で発見された……。

×  ×  ×

 NHK大河ドラマ「平清盛」には、俳優の橋本さとし演じる源為朝は登場。「はっぷり」というプロテクターを顔に付けて、偉丈夫そのものだった。
源為朝といえば、鎧も貫通する強弓と暴れん坊として知らる。身の丈は7尺(2m10cm)もあったそうな。源為義の9男で、頼朝や義経の伯父さんにあたる。
九州で勇名を馳せ鎮西八郎と異名をとり、保元の乱(1156年)でも父・為義とともに崇徳上皇側につき奮戦し敗れ、伊豆大島に流される。しかしそこでも国司に逆らい大暴れ、伊豆諸島を支配したが、追討を受け自害した。これが日本最初の切腹だとか。


東映時代劇で東千代之介が源為朝役を演じたのを、ガキの時分に観た覚えがある。
討伐の船が来襲すると、その船に向って千代之介の為朝が矢を射ると、侍を乗せた船ごと沈んだのだよね。今思えば漫画チックだが、船を沈める強弓に興奮した(笑)。
為朝を主人公にした物語「椿説弓張月」を曲亭馬琴が著わしているが、東映作品は馬琴作品が基になっている。
2012713日読了

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ペリーの顔・貌・カオ:神奈川県立歴史博物館

ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い――。

 横浜・馬車道の神奈川県立歴史博物館で特別展「ペリーの顔・貌・カオ―『黒船』の使者の虚像と実像―」(201277日~826日)を観る。


鎖国の日本を開港させるべく2度にわたり来航したアメリカ合衆国東インド艦隊司令長官マシュー・カールブレイス・ペリー(1794年―1858年)の肖像は多くの日本人により描かれた。多種多様なペリー像に焦点をあて、資料約100点を展示し、いかにペリーが日本に描かれ伝えられたかを探る展覧会。

本展構成
Ⅰ 彼らはやってきた
Ⅱ 描き、伝えられたペリー
Ⅲ 変容するペリー
Ⅳ 伝承されるペリー

×  ×  ×

ペリーのさまざまな肖像画を観ながら、ふとゲーテを連想しました。
 ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い――。
 斎藤緑雨(これって川柳なのでしょうか)の聞いたことのある、あのフレーズです。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年―1832年)。ご存知、ドイツの文豪。
明治中期に日本で盛んにゲーテ作品が紹介されましたが、ゲーテ(Goethe)は「ギョエテ」はじめ「ゲェエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」などその表記は数十種に及んだそうです。
 よって、緑雨のニヤリとさせられるフレーズが生まれたのですな。
 ドイツ語の表記と発音に、当時の日本人が踈かったことが、さまざまなゲーテを生んだ要因と推測します。



残っているペリーの写真とは似ても似つかない。
 鼻がバカに高く、目がつり上がった天狗のようペリー像がかわら版で伝えられた。
 ペリーの尊顔を拝した日本人はほんの一握り。
 圧倒的な武力で威嚇して鎖国をこじ開けようとしたペリーは悪役です。噂やイメージで描いた結果、多種のペリー像の登場となったのですな、きっと。

 ゲーテさんばかりか、ペリーさんだって「これが俺の顔?」と言いそうでした(笑)。
2012719日観覧

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2012年7月8日日曜日

マウリッツハイス美術館展:Part2

ネロと愛犬パトラッシュが観た「聖母被昇天」――。

 東京都美術館の「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」を観るの続編Part2。目玉作品は「真珠の耳飾りの少女」で異論のないところだが、フェルメールは「真珠の―」のほか最初期の「デイアナとニンフたち」(165354年頃)、レンブラントは最晩年1669年の「自画像」など6点が展示されている。2012630日~917日開催。


本展構成
1章: 美術館の歴史
2章: 風景画
3章: 歴史画(物語画)
4章: 肖像画と「トローニー」
5章: 静物画
6章: 風俗画

※フランドルと「フランダースの犬」
 「フランドル」と「フランダースの犬」の「フランダース」が同じ地域を指す言葉とは、恥かしながら知らなかった。「フランドル」はフランス語から、「フランダース」は英語由来。現在のベルギーを中心とした地方だそうな。

 そういえば、「フランダースの犬」の主人公ネロはルーベンスに憧れ、画家を目指していました。クリスマスイヴにアントワープ大聖堂にたどり着いたネロと愛犬パトラッシュが、ルーベンスの絵の前で息を引き取りました。涙を誘うラストシーン。

 ネロが最期に瞼に焼き付けたのがルーベンスの「聖母被昇天」でした。

 本展では、「聖母被昇天」の『下絵』が展示されています。
「聖母被昇天」とは、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰のことで、ベルギーのアントワープ大聖堂の祭壇画が有名です。下絵はルーベンスが生涯手元に置き、マウリッツハイス美術館の所蔵となりました。

※「真珠の耳飾りの少女」はトローニー
 「トローニー」とは、オランダ語で頭部の習作を意味する言葉で、具体的な人物を描くわけでなく、画家が自由に性格や表情を想い描いた創作の人物像を指す。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や、フランス・ハルスの「笑う少年」がトローニーだそうな。

 先日、銀座で観た「フェルメール光の王国展」(複製画)の音声ガイドでは、フェルメール役の小林薫さんと娘役の宮沢りえさんは、耳飾りの少女のモデルがフェルメール家のメイドと説明していたけど、あれって全くの作り話なのだろうか。

 ハルスの「笑う少年」は小品ながら、惹かれました。笑顔がいかにも自然。モデルを描くより、描き手の創作が勝るののだろうか。

※レンブラント・ファン・レイン(1606年―1669年)
 17世紀を代表するオランダの画家。「光の画家」「光の魔術師」の異名も。生涯を通じて自画像を描いた。

※マウリッツハイス美術館
 オランダのハーグにある。王立絵画館といわれる。オランダ領ブラジル総督を務めたヨハン・マウリッツの邸宅が美術館となった。所蔵品800点と小規模ながら、レンブラントやフェルメール、ルーベンスら巨匠の名品で知られる。世界に30数点しかないフェルメール作品のうち3作を所蔵。
201275日観覧

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2012年7月7日土曜日

マウリッツハイス美術館展:都美

「真珠の耳飾りの少女」の眼差しにドギマギしちまったぜぇ――。 

 新装なった東京・上野の東京都美術館で「マウリッツハイス美術館展」を観る。
 本展は、オランダ・ハーグにあるマウリッツハイス美術館から、17世紀オランダ・フランドル絵画、フェルメール、レンブラント、ルーベンスら巨匠の名品約50点を展示している。なかでも注目はフェルメールのシンボル的な作品「真珠の耳飾りの少女」。2012630日~917日開催。




 名品ぞろい。目を凝らし観る。
 想像以上の見応え十分の「マウリッツハイス展」である。
 なんといってもフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)を観なければならない。お目当てににたどり着くと、長い列があった。

 その絵は、世界的な名声と比べて、なんと小ぶりなことか。

 だが、しかし……。
 縦46.5×横40センチの小品は、遠巻きに観ても、存在感を漂わせていた。
 スポットライトが当っている。
 「少女」は輝いているのだ。
 彼女のオーラが輝いているようだった。

 どんどん近づく。
 憧れの人に逢うように緊張する。
 そして、ついに「少女」の前に立った。 

 瞳が合った(――ように見えたのだよね)。
 こちらが観ているのに、見つめられているような気がした。
 ドギマギしちまったぜぇ(杉ちゃんみたいだが=笑)。
 ターバンの青がひときわ鮮やかだった。
 まさにフェルメール・ブルー。
 耳元の真珠は断然たる光彩を放っていた。

 観たのは、パンダの赤ちゃんが誕生した日だった。どうやら都美(東京都美術館)を出てきたころに、生まれたらしい。都美は上野動物園に一番近い美術館である、などと勝手に『縁』を強調したりして……結構、私は自己顕示欲が強いかも(笑)。

 名画に魅了された日は、赤ちゃんパンダの誕生日と記憶に留めたい。
201275日観覧

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2012年7月5日木曜日

今野敏「ST警視庁科学特捜班 青の調査ファイル」

川那部検死官は遠藤太津朗の万七親分か――。

 今野敏の「ST警視庁科学特捜班 青の調査ファイル」(講談社文庫)を読む。ST「色」シリーズ第1弾。



 心霊現象が起きるというマンションでテレビ番組収録中にディレクターが首の骨を折って死亡した。密室での出来事を、警視庁捜査一課の検死官・川那部遼一警視は事故死と断定したが、科学特捜班の文書・プロファイリング担当の青山翔は心霊現象と霊能力者の興味を持ち、STメンバーは殺人の可能性を追う。

×  ×  ×

 川那部警視と特捜研のナンバー2の三枝俊郎警視はライバルで、ST科学特捜班を目の仇にしている。
ST 警視庁科学特捜班
ST 警視庁科学特捜班 毒物殺人
ST 警視庁科学特捜班 黒いモスクワ
の初期シリーズを読むと、その人物相関図は明らか。

 これって、銭形平次に出てくる(テレビドラマですが……)遠藤太津朗さんの「三ノ輪の万七親分」だよね。「おう、銭形の~、遅いじゃねぇか」なんて、殺しの現場で大川橋蔵さんの平次親分に嫌味な台詞を吐く、あれですよ。ドラマの「お約束」で、妙に可笑しみがあって遠藤さんの万七に親近感が沸いたものです。
 川那部警視に遠藤太津朗さんを彷彿させたのでした(笑)。
201273日読了

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2012年7月1日日曜日

国吉康雄展:横須賀美術館

ペリーもゴジラも、そしてラルク アン シェルも来た。

 「アメリカ美術を変えた日本人 国吉康雄展」(2012428日~78日)を横須賀市の横須賀美術館で観る。


 ペリーも来た。
 ゴジラも来た。
 静かな浦賀水道の海面が突然大きく盛り上がった。黒い巨大な怪獣が出現した。ゴジラだ――1954年(昭和29年)の東宝映画「ゴジラ」。
 ガキのころ観て興奮したなぁ。宝田明、平田明彦、志村喬が出ていたっけ。監督は本多猪四郎(本編)と円谷英二(特撮)。
 その100年前の1853年(嘉永6年)には、黒い船体が姿を現した。江戸泰平の眠りを覚ましたペリーの黒船来航である。

 ペリー&ゴジラゆかりの浦賀を臨む絶景のロケーションに横須賀美術館はたたずんでいる。
 白亜のガラス張りの館の前に広がる海には貨物船が行き交う。

 そしてラルク アン シェルも来た。
 結成20周年を記念する特別展が開催中でした。
 珍しい光景が……。観に行ったとき、大盛況。それも若い女性がいっぱい。美術ファン急増とはとんだ早合点で、人気ロックグループの展示が同時開催されていたんですな(笑)。

×  ×  ×

マクラが長すぎ? さて本展は「国吉康雄」である。
 20世紀前半にアメリカで活躍した日本人画家。職を求め渡米し、美術に目覚めニューヨークの美術会で成功を掴んだご仁だ。「フランスの藤田嗣治(レオナ―ル・フジタ)。アメリカの国吉康雄」と称された。彼の作品110余点を展示し、アメリカで一時代を築いた国吉康雄の足跡を振り返る展覧会が開催中である。

※国吉康雄(くによし・やすお)
 1889年(明治22年)岡山市生まれ。190617歳で職を求めて渡米。仕事の傍ら通っていたロサンゼルスの公立学校で絵の才能を認められ、美術の道を志す。1916年アート・ステューデントリーグ入学。1922年ニューヨークのダニエル画廊で初個展で好評を得る。1925年と1928年ヨーロッパへ旅しエコール・ド・パリの影響を受ける。
 第二次世界大戦中は敵性外国人として扱われたが、ファシズムを批判することで立場を守った。1952年アメリカ代表作家としてヴェネチア・ビエンナーレに出品。1953年アメリカ市民権を得られぬままニューヨークで没する。

惹かれたのは「ミスターエース」(1952年)。最晩年の作品。
 サーカス小屋の親方だろうか。幕間に仮面を上げ、化粧している。でっぷり肥った中年道化師のひと息ついた様子。じっと観ていると、人生の哀歓が漂うような気がしてきました。
2012628日観覧

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