2012年3月31日土曜日

ひょんなことで徳武定祐さん

予期せぬ出遭いがある。
芸能面で徳武定祐さんの名前を見つけた。
2012331日付日刊スポーツ。

歌手の郷ひろみと徳武さんの息女が結婚するというめでたい話である。
ところで、徳武定祐(とくたけ・さだゆき)さんって誰?

旧名の定之の方が、懐かしさを感じる方が多いかもしれない。
元プロ野球選手で国鉄、中日に在籍し、ロッテ、中日でもコーチを務めた。

早稲田大学の三塁手、ベストナインに輝くこと5度。
球史に残る熱闘・1960年(昭和35年)早慶6連戦を制した立早稲田の役者でもある。
安藤元博の驚異的な粘投があった。
鳴り物入りで国鉄(現ヤクルト)に入団した。

早稲田事業時代は、王貞治、醍醐猛夫と大型打線を組み、
1956年夏の甲子園大会に出場している。
3番・醍醐猛夫(毎日―大毎―東京―ロッテ)
4番・徳武定祐(国鉄―中日)
5番・王貞治(巨人)

彼の球歴は、早稲田大学時代が一番光っていたと思う。
芸能面を読みながらの昔語りでした。

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宮沢賢治・詩と絵の宇宙展

レアですぞ賢治の「雨ニモマケズ手帳」
横浜駅東口のそごう美術館で「宮沢賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモマケズの心」展(2012329日~422日)を観る。


「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など多くの童話や、「雨ニモマケズ」などの詩作で広く知られる宮沢賢治(みやざわ・けんじ=1896年―1933年)。本展では、賢治作品に添えられた挿絵原画約250点と、彼が記した「雨ニモマケズ手帳」、彼自身の水彩画と関連資料を展示している。

彼の生年に起きた明治三陸地震、亡くなる2カ月前に起きた昭和三陸沖地震。そして東日本大震災からの復興が進む今、賢治に注目しようという展覧会の趣旨だが、単純に賢治ワールドを愉しみたい。

レアな彼の手帳、水彩画や童話の挿絵で心が穏やかになる。
2012329日観覧

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2012年3月29日木曜日

子はかすがい・孫は生きがい

かすがい・生きがい・タフガイ・マイトガイ
「かすがい」は「鎹」と書く。
建材などの合わせ目に打ち込む、両端の曲がったコの字状の大釘。

「子は鎹」とは、
子どもへの愛情から夫婦の仲がなごやかになり、縁がつなぎ保たれることのたとえ。

「生きがい」とは、
人生の意味や価値など、人の生を鼓舞し、その人の生を根拠づけるものを広く指す。

15カ月の孫がいる。
男の子。
娘夫婦がスープの冷めない距離に住んでいて、ちょくちょく孫の顔を見ることができる。
心穏やかになる。
ほのぼのと幸せだと感じる。

子はかすがい・孫は生きがい――。
強く感じる今日この頃です。

♪なんでこんなに 可愛いのかよ
 孫という名の 宝物
さくらんぼ農家の大泉逸郎さんが歌っていましたっけ。
「孫」は、作詞・荒木良治、作曲は大泉逸郎です。

「――ガイ」といえば、その昔
・タフガイ裕次郎
・マイトガイ旭
なんて日活の男優にニックネームがありましたぞ。

ダイヤモンドラインのお仲間である赤木圭一郎や和田浩治にもきっと異名はあっただろうけど、覚えていないなぁ。
赤木圭一郎はやはり「トニー」だよね。
小林旭の「マイトガイ」の「マイト」は「ダイナマイト」の意味。
「ダイナマイトが百五十屯」なんて歌もあったけ。

ラーメン・つけ麺・僕イケメン
なにやら、狩野英孝のギャクみたいになって受けないまま、ゆる~い〆です(笑)。

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2012年3月27日火曜日

続・戦時歌謡もいいもんだ

加藤隼戦闘隊は征く、雲の果て
うろ覚えの話です。
加藤さんちに男の子が生まれ、「準」(ひとし)と名付けました。
「加藤準」ちゃんです。
お嫁さんの両親に命名を告げたところ、えらく渋い顔をされたそうです。
「加藤準」から、あの「加藤隼戦闘隊」を連想したのですな。
「準」と「隼」(はやぶさ)って字、似ていますよね(笑)。

♪エンジンの音 轟々と
 隼は征(ゆ)く 雲の果て
昭和19年。作詞は加藤部隊、作曲は陸軍軍楽隊となっています。

歌詞は漢字の勉強になります。
・寒風酷暑(かんぷうこくしょ)=冬の寒い風と真夏の厳しい暑さ。
・艱難辛苦(かんなんしんく)=人生における困難や苦労。
・干戈(かんか)=干(たて)と戈(ほこ)の意。戦争。
・幾星霜(いくせいそう)=苦労を経たうえでの、長い年月。

「隼」は大日本帝国陸軍の戦闘機の愛称。加藤隼戦闘隊は、軍神といわれた加藤建夫少将率いた第64戦隊のこと。

またまた古い奴でござんす。

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2012年3月25日日曜日

戦時歌謡もいいもんだ

「麦の兵隊」を歌う友⇒「梅と兵隊」
宴会でなにかというと
♪徐州 徐州と人馬が揺れる
――なんて、場違いな戦時歌謡で顰蹙(ひんしゅく)をかう友がいます。
愛すべき友です。
 
あれは「麦と兵隊」です。作詞は藤田まさと、作曲は大村能章。昭和13年。
戦争を知らない団塊世代ですが、軍歌は耳の記憶に残っています。
聴いたことがあるのです。

「梅と兵隊」という歌もあります。
♪春まだ浅き戦線の
 古城にかおる梅の花
作詞は南条歌美、作曲は倉若晴生。昭和16年。
  田端義夫が歌ったそうな。
YouTube で知ったのだが、村田英雄や中村美津子もカバーしていましたぞ。

このメロディ、好きなんだよね。
当方も周囲から顰蹙をかう古い奴でござんす(笑)。

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2012年3月24日土曜日

北森鴻「蓮丈那智フィールドファイルⅠ凶笑面」

異端の民族学者がヒロイン  
 北森鴻の「蓮丈那智フィールドファイルⅠ凶笑面」(新潮文庫)を読む。



異端の民族学者の蓮丈那智(れんじょう・なち)と助手の内藤三國(ないとう・みくに)がフィールドワーク先で事件に遭遇し、民俗学的考察を加えながら事件を解決する短編ミステリー。「凶笑面」は蓮丈那智シリーズ第1弾。
目次
・鬼封絵(きふうえ)
・凶笑面(きょうしょうめん)
・不帰屋(かえらずのや)
・双死神(そうししん)
・邪宗仏(じゃしゅうぶつ)

 ヒロイン蓮丈那智が魅力的だ。しゃべり方は男性的だが、学識、推理力が卓越した美人。調査先にもジンとベルモットを持参し、マティーニを嗜む。

 作者の北森鴻さんって48歳で亡くなったのですね。恥ずかしながら知りませんでした。生1961年―没2010年。
 このところ読者が捗りませんな。
2012323日読了

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2012年3月20日火曜日

真鶴町立中川一政美術館

自由奔放な絵画、書そして96歳時の「薔薇」
 東海道線真鶴駅からケープ真鶴行きのバスに揺られること15分ほど。箱根火山の南東、相模湾の西に位置し、半島と呼ぶにはちっぽけな真鶴半島の、その自然公園の樹林に包まれ真鶴町立中川一政美術館は静かにたたずんでいる。
 文化勲章受章者である彼の油彩、書、陶器など、約600点の寄贈を受け、1989年(平成元年)3月に開館した。


・中川一政(なかがわ・かずまさ)
 1893年(明治26年)-1991年(平成3年)。東京本郷生まれ。21歳のとき最初に描いた作品「酒倉」が岸田劉生に認められ画家を志す。油彩、日本画、版画、陶芸、和歌、随筆、書と多彩な創作活動はいずれもが独学で自由奔放な作風であった。また洒脱な文章家としても知られる。

×  ×  ×
 
 

 「中川一政美術館前」でバスを降りると、なぜか消防車の車庫があった。のぞくと石原プロ寄贈の、立派な消防車が鎮座していた。中川画伯と渡哲也――意外な縁に苦笑してしまいましたぞ。
 最晩年の96歳時に描いた「薔薇」の絵に力強さを感じました。彼は終生薔薇を描き800点もの作品を残しています。
ゴッホも北斎も老境のその作品は同様なパワーが漂っています。無駄に馬齢を重ねる当方など凡人と、決定的に違うところなのであります(笑)。
2012316日観覧

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2012年3月18日日曜日

印象派の行方:ポーラ美術館

*モネの「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」
 箱根のポーラ美術館で「印象派の行方 モネ、ルノワールと次世代画家たち」(2012121日~78日)を観る。



 印象派を代表するクロード・モネ(1840年―1926年)とピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年―1919年)が最後となった1886年の第8回印象派展以降にどのような制作活動をしたか、また20世紀の画家たちは先達の二人から何を見出したのか――60余点の作品から「印象派の行方」を探る展覧会。

 印象に残ったのは、モネのロンドンの街並みを描いた「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」(1900年)だった。

本展構成
1部=1886年ゆらぐ印象派
・第1章:モネとルノワール
・第2章:最後の印象派をめぐる画家たち
・第3章:セザンヌ
2部=1900年以降次世代のまなざし
・第1章:モネとフォーヴィスム
・第2章:ボナール
・第3章:マティスとルノワール

 ポーラ美術館は箱根仙石原にある、その名の通りポーラ化粧品で知られるポーラ・オルビスグループのオーナーであった鈴木常司氏のコレクションを展示してある私立美術館。2002年開館。
 箱根登山鉄道の強羅駅から施設めぐりバスに揺られ、くねくねした山道を15分ほど、ガラスの館に着いた。そこは明るい館内、ゆったりした作り、くつろげる空間が広がっていた。

400円(500円の館が多い)で借りた音声ガイドが充実していて、作品と作者の紹介をしてくれた。

本展以外のコレクションでは、
・ピカソの「海辺の母子像」
・岡田三郎助の「あやめの衣」
・岸田劉生の「麗子坐像」
などが観ることができた。

 化粧品メーカーらしく化粧道具を蒐集したコーナーもある。
2012315日観覧

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2012年3月11日日曜日

忘己利他慈悲極

震災には「もう懲りた」けど「もうこりた」の精神を
 震災1年。
 未曽有の国難の1年だった。
 
値上げは権利と電力会社のお偉いさんが言えば、
被災地がれき処理も受け入れ自治体の反対の壁は厚い。

利己や我欲がまかり通る世の中である。
けして己もご多分に漏(も)れない。

被災地のために己がしたことはあったのだろうか。
これからできることはあるのだろうか。

「利他」という言葉を痛感する。
「利己」の反対語。
自分のことよりも他人の幸せを願うこと。
仏語(フランス語ではない)では、人に功徳(くどく)利益(りやく)を施し救うこと。
 
――忘己利他慈悲極
己(おのれ)を忘(わす)れ他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり。
己を捨て他人に報いる。
天台宗開祖、最澄の言葉だそうな。

「もうこりた」――。
 そんなことには「もう懲りた」なんて言うかもしれないけど、
「もうこりた」精神を持ちたいと思う今日この頃である。
 
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2012年3月6日火曜日

正岡子規と野球よもやま話

雅号は「野球(の・ボール)」を用いた。
正岡子規(1867年―1902年)の続き。横須賀美術館で「正岡子規と美術」展を観たあと、それとなく調べてみた。
「ベースボール baseball 」を「野球」と和訳したのは、てっきり俳人・正岡子規だと思っていた。これは、どうやら俗説らしい。

最初に「野球(やきゅう)」と訳したのは、中馬庚(ちゅうま・かのえ=1970―1932年)で、一高で二塁手として活躍、東京帝大では指導者となった。1970年(昭和45年)には特別表彰で野球殿堂入りを果たしている。
野球好きの正岡子規が幼名・升(のぼる)をもじり雅号「野球」(の・ボール)を用いたことから、野球の和訳は子規が最初と、混同した俗説が生まれたようだ。
ただ、中馬が「野球」と訳したのは1894年(明治27年)で、子規が雅号としたのは明治23年と4年先行する。
 子規は「打者」「走者」「直球」「四球」など野球用語を和訳しており、2002年に新世紀特別表彰で野球殿堂入りしている。

――草茂み ベースボールの 道白し
――まりなげて 見たき広場や 春の草
 野球を題材にした句を詠んでいる。

子規の郷里・松山には愛称「坊っちゃんスタジアム」の松山公園野球場が在る。これは一般に広く知られる松山を舞台にした小説、夏目漱石の「坊っちゃん」に因む。
また漱石は子規と親友であり、肺結核の子規を看た。
「坊っちゃんスタジアム」に隣接する野球歴史資料館は「の・ボールミュージアム」、サブ球場は「マドンナスタジアム」と、洒落っ気がある命名をしていて愉しい。

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2012年3月4日日曜日

正岡子規と美術:横須賀美術館

浦賀水道を行き交う船を臨む絶景のガラスの館だった。
 横須賀市の横須賀美術館で「正岡子規と美術」展(2012211日~415日)を観る。


 近代俳句の革新者である正岡子規(1867年ー1902年)は、絵を愛し絵画作品を残している。彼の文学の核を成す「写生」は、過去の因習や主観を捨て、目の前のものの客観的な描写によって真実に達しようとする思考の在り方で、明治期の洋画家、浅井忠(ちゅう)や中村不折(ふせつ)らとの交流から育まれたといわれる。本展では、子規の絵画とその時代の画家たちの作品を展示している。

本展構成と主な作者
1 「写生」の水脈 アントニオ・ファンネージ/浅井忠
2 不折と為山 中村不折/下村為山
3 子規の絵 正岡子規
4 自然へのまなざし 黒田清輝/藤島武二

 正岡子規といえば、文豪の夏目漱石や、同郷・愛媛の友である秋山真之(さねゆき)と秋山好古(よしふる)との交流が知られる。日露戦争の立役者となった秋山兄弟との仲は司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」に描かれている。
――君を送りて思うことあり 蚊帳に泣く
米国に留学する親友の秋山真之の颯爽たる姿と、病床に伏す我が身の恨めしさ。余りの境遇の差に詠んだ句。
 真之が後に、日露戦争の帰趨を決した日本海海戦の作戦参謀となったのは有名。

――本日天気晴朗ナレド浪高シ
 真之が日本海海戦出撃の際の報告電報の一節。彼もまた名文家として知られる。
 
×  ×  ×

 観音崎の海を臨む横須賀美術館。浦賀水道に貨物を積んだ船が行き交う絶景のロケーションのガラス張りの館。近くの観音崎灯台は日本最初の洋式灯台だそうな。
 別館には週刊新潮の表紙絵で名を馳せた谷内六朗館がある。ここもまた癒しの空間。
201231日観覧

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2012年3月3日土曜日

大沼紀子「真夜中のパン屋さん」

カッコウの子・希実と暮林と弘基とパン屋の客の面々
 大沼紀子の「真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ」(ポプラ文庫)を読む。

「ブランジェリークレバヤシ」は、都会の片隅で真夜中だけ営業するパン屋さん。眼鏡をかけた優しそうなオーナー暮林陽介と、若く腕のいいパン職人の柳弘基の二人で切り盛りしている。そろってイケメンである。
  そこに、「カッコウの托卵」のようにいろいろな家庭にあずけられ、あげくに母が失踪してしまった女子高校生の篠崎希実が訪ねてきた。
 希実は暮林の妻・美和子の腹違いの妹と名乗った――。


目次
Open
Fraisage―材料を混ぜ合わせる―
Pétrissage & Pointage―生地捏ね&第一発酵
Division & Détente―分別とベンチタイム 
Faonnage & Apprét―成形&二次発酵
Coupe―クープ
Cuisson avec buée―焼成

 店が開くのは午後23時、閉店は午前29時。深夜営業の風変わりなパン屋にはいわくつきの面々が集まる。パン屋の居候の希実、オーナー暮林、職人の弘基が、ワケあり客と織りなす人情ドラマが展開する。
 希実も暮林も弘基もワケあり人です。

*托卵(たくらん)
自分では巣をつくらず、ほかの鳥の巣に卵を産み、子育ての世話をその巣の親鳥に任せてしまう鳥の習性。種間托卵で知られるのはカッコウなどのカッコウ科の鳥類。


 最近読書が捗らないので、軽く読める本と思い本屋で見つけ、読みだしたが、相変わらず苦戦した。
 2012年はこれで読了3冊と遅読。
  続編「真夜中のパン屋さん午前1時の恋泥棒」が刊行されたそうな。
2012228日読了
 
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