2011年11月29日火曜日

名将・西本幸雄~悲運が始まった日

永田雅一オーナーの采配批判にキレた。
プロ野球の阪急、近鉄の監督として活躍した西本幸雄さんが20111125日亡くなった。91歳だった。8度のリーグ優勝を達成しながら、日本シリーズでは一度も優勝したことがなく、「悲運の名将」と呼ばれた。

※以下敬称略

×  ×  ×

それが悲運の始まりだった。
1960年(昭和35年)1012日(水)川崎球場。大洋ホエールズ対毎日大映オリオンズの日本シリーズ第2戦。

1戦はセリーグの覇者、大洋エース秋山登がミサイルと異名をとる強力打線の大毎を散発5安打に抑え完封勝利を収めた。大洋先勝をうけた第2戦は、6回に榎本喜八の2ランホームランで大毎が先制したが、その裏桑田武の適時打などで同点、さらに7回鈴木武の適時打で大洋が32と勝ち越した。
そして8回表。1点を追う大毎は、先頭坂本文次郎が三塁前のセーフティ・バント安打で出塁した。続く田宮謙次郎のときに土井淳の捕逸で坂本が二塁進塁。田宮が四球を選ぶ。榎本の送りバントで1死ニ、三塁。ここで大洋監督の三原脩は2番手左腕の権藤正利を諦め、エースの下手投げ秋山をマウンドに送り、山内一弘を敬遠し、谷本稔と勝負する作戦に出た。
1死満塁。ここで監督の西本幸雄が仕掛けた。
谷本が1球ファールの後、西本はスクイズのサインを出した。谷本はバントを敢行したが、打球は捕手土井の目の前に。転がりが小さかった。捕球した土井は走り込んでくる三塁走者の坂本にタッチ、すぐさま一塁へ送球し併殺となった。8回の絶好機を逸した大毎は9回秋山の前に三者凡退し、シリーズ2連敗を喫した。

さて、第2戦の試合後である。
西本は反省会を兼ねコーチ連と夕食をともにしていたとき、電話が鳴った。電話の主は球団オーナー永田雅一だった。永田が会食の場所など知るはずもない。現場に詳しいスカウトの青木一三ら側近があれこれ電話し突き止めたようだ。
永田の電話の内容は要約すると、ミサイルといわれる強力打線の大毎が好機になぜスクイズのサインを出したのか、采配への批判だった。
「打線の状態は自分が熟知している。ご安心ください」と西本は初め聞き流していたが、連敗に虫の居所が悪い永田も口が滑った。
「なんてアホな作戦だ。バカヤロー」
「バカとはなんですか。取り消してください」
西本は頑固である。
永田はワンマンである。
売り言葉に買い言葉――こんなやりとりと推測する。
そして気まずい沈黙の後、電話は切れた。

結局、別当薫の後を受け監督就任1年目、40歳の西本は、ミサイル打線の本領を発揮しないままズルズルと4連敗し、巨人、西鉄、大洋と3球団で優勝を経験している48歳の三原の前に屈した。
 西本は限りなく解任に近い辞任というカタチで大毎を去った。

前年のリーグ最下位から優勝し、シリーズ下馬評不利を覆し日本一に輝いた三原采配は「魔術」と称えられた。そして第2戦のスクイズ失敗は、後々1960年日本シリーズ勝敗の分岐点と、論評されたのだった。

 以来、「悲運」がつきまとう。8度のリーグ優勝を達成しながら、日本一に輝くことは一度もなかった。
1960年 大洋04敗大毎(三原脩)
1967年 巨人24敗阪急(川上哲治)
1968年 巨人24敗阪急(川上哲治)
1969年 巨人24敗阪急(川上哲治)
1971年 巨人14敗阪急(川上哲治)
1972年 巨人14敗阪急(川上哲治)
1979年 広島34敗近鉄(古葉竹識)
1980年 広島34敗近鉄(古葉竹識)
川上哲治率いる巨人の不滅の大記録V9の前に敗れ去ること5度。このあたりも運のなさを感じせざるを得ない。
プロ野球ファンの記憶の鮮明なのは1979年の日本シリーズ。あの「江夏の21珠」だろう。33敗で迎えた第7戦。スコア341点を追う9回裏、1死満塁で、石渡茂にスクイズのサインを出すが、江夏に見破られ三塁走者・藤瀬史朗は狭殺。石渡も三振に倒れゲームセット。万事休す。この場面は、ノンフィクション作家の山際淳司の作品に詳しい。

まさに、1960年の大毎時と同じような場面で……。またしてもスクイズ失敗。悪夢は繰り返された。監督は勝つことに命懸けになる。だが、しかし、信念を貫き勝つことが彼の流儀だったのではないか。
19601012日――名将・西本幸雄の悲運の歴史が始まった。

×  ×  ×

西本幸雄の悲運が始まった日は、浅沼稲次郎暗殺事件が起っています。
日比谷公会堂で演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口ニ矢(おとや)に暗殺された。昭和史に残る事件でした。

浅沼さんの事件は同日午後35分ごろに起っていますが、西本さんの運命の分岐点、あの8回の場面のその頃と推測されます。資料を見ますと、日本シリーズ第2戦は午後1259分にプレーボール、試合時間は2時間29分でした。8回の大毎の逸機後は、8回裏の大洋と9回表の大毎の攻撃がありますが、大洋は2安打し打者5人、大毎は3人凡退でした。となると、30分もかかりませんよね。だとすると……。
西本さんと浅沼さんとの奇妙な関係。遠い昭和に想いを馳せてみました。

 
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2011年11月23日水曜日

洒落にならない逆さ言葉

*「ダンシがシンダ」は逆から読んでも……
 不世出の噺家さん、立川談志師匠が亡くなった――訃報が23日、飛び込んできた。75歳という。
 バチあたりにも、「ダンシがシンダ」は逆から読んでも「ダンシがシンダ」だぜ、なんて言って遊んでいたっけ。「じゃ、『マカオのオカマ』はどうだい?」
逆さ言葉遊び。「竹やぶ焼けた」などを回文というそうな。
今は洒落になりゃしないよ。

詳報は新聞テレビなどにこれからワンサと出るでしょうが、まずは、めったにお目にかかれない達者な噺家の死を心から哀悼します。

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2011年11月22日火曜日

巨星・家康逝く:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第45回=息子よ)

秀忠、江。

徳川を、日の本の国を頼んだぞ。

戦国の時代に終止符を打った徳川家康(北大路欣也)が静かに息を引きとった。

元和2年(1616年)417日、駿府城。豊臣滅亡からわずか1年のことだった。75歳だった。



×  ×  ×



 家康・北大路欣也の最期は、秀忠(向井理)との長年の冷戦状態も氷解し、仲むつまじい秀忠と江(上野樹里)に安心し切ったように、巨木にもたれ静かに目を閉じました。

このドラマでは終始、北大路の家康は熱演でしたな。



 家康の死後、秀忠は江戸に戻り、世継ぎの問題の解決に臨みます。3代将軍を決定しなければなりません。竹千代(水原光太)を呼び、真意をただします。

 竹千代は「世継ぎのことでしたら、国松にしてください。父上も、母上もそれを望んでいることと思います。私は弱き男。戦も好きではありません」と素直に告げます。秀忠が、「我が徳川が要となり、戦のない世の中を作るとしたら、どうであろう」と話を向けると、目を輝かせ「よきことにございます。それは誰よりも、母上が望んでいることにございます」と応えました。

このやりとりで、秀忠は竹千代の素直さにぐらりと傾きますな。


さらに、竹千代の化粧事件ですが、江は福(富田靖子)から真相が明らかになります。母を恋しさからの行動を知り、自らの手で育てられなかった負い目もあり江も竹千代へ傾斜します。

ドラマですから、その辺は心境の変化は急です。秀忠も江もナットク。一気に竹千代の3代将軍決定でした(笑)。


問題児だった竹千代もグ―ンと成長し、徳川の若君然としてきました。あれほどいがみ合っていた江と福の仲もいい具合になってきました。

ドラマは大団円に向っています。




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2011年11月19日土曜日

三上延「ビブリア古書堂の事件手帖」

美貌の古本屋さんが本にまつまる謎を解きますぞ。
 三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~」(メディアワークス文庫)を読む。
 北鎌倉の駅近くにひっそりと佇む古本屋「ビブリア古書堂」の店主は透き通る肌をした美人だが、極度の人見知り。本に関する造詣は深い。その名も篠川栞子(しのかわ・しおりこ)。栞子店主が客の持ち込む本にまつまる謎を解く。












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目次
・プロローグ
・第1話:夏目漱石「夏目漱石全集・新書版」(岩波書店)
・第2話:小川清「落穂拾ひ・聖アンデルセン」(新潮文庫)
・第3話:ヴィノグラードフ・クンミン「論理学入門」(青木文庫)
・第4話:太宰治「晩年」(砂子屋書房)
・エピローグ
登場人物
・篠川栞子:北鎌倉の古本屋「ビブリア古書堂」店主
・五浦大輔:小説の語り手。「ビブリア古書堂」アルバイト。
・篠川文香:栞子の妹
・志田:古書を見つけ転売する「せどり屋」のホームレス

×  ×  ×

 23か月前、朝日新聞の書籍広告を見て興味を持った本。一度、近所の横浜そごうの紀伊国屋書店で探したが、見つけからなかった。メディアワーク文庫って、コーナーがないのだよね。人気なのに……。
 1週間ほど前になって、文庫コーナーで平積みになっている「ビブリア古書堂―」を発見。続編もあるのですね。早速読んでみたら、軽い筆致で面白い。
 美貌の古本屋店主・栞子さんが魅力的ですな。
 取り上げた本、夏目漱石の「それから」も、太宰治の「晩年」も読んだことがないが、楽しめる内容でした。本の知識がある人には、より興味がそそられるのでないでしょうか。

「ビブリオ」biblio とは「書籍、聖書」の意味。「蔵書狂、愛署狂」を指す「ビブリオマニア」とい言葉があるそうな。さて「ビブリア」というのは、「ビブリオ」の形容詞なのでしょうか。
20111117日読了

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2011年11月17日木曜日

剛力彩芽って珍名サンだよね

それに「本仮屋ユイカ」「忽那汐里」「妻夫木聡」
 先日テレビ「笑っていいとも」を観ていたら、剛力彩芽(ごうりき・あやめ)ちゃんが登場して「剛力は本名です」と言っていました。最近ドラマなどの露出が多い芸名ですが、めったにお目にかからない名字です。

そういえば、
・本仮屋(もとかりや)ユイカ
・忽那汐里(くつな・しおり)
なんて、若い女優さんにも珍名サンはいました。この二人もきっと本名でしょうな。

当方、団塊世代のくせに年甲斐もなく、若い娘に色目を遣いやがって、などと思わないでくださいな。名字に興味がありました。

・笠智衆(りゅう・ちしゅう)
小津安二郎さんの「東京物語」の原節子の義父役や山田洋次さんの「男はつらいよ」の御前様で知られる名優ですが、彼も本名だそうな。熊本のお寺の息子とか。熊本訛りが実直な役にはまっていました。ガキのころ、中国人ではと思いましたよ(笑)。
「男はつらいよ」繋がりですが、さくらの倍賞千恵子(ばいしょう・ちえこ)の「倍賞」も珍しい。
 若手俳優の妻夫木聡(つまぶき・さとし)や、元宮崎県知事の東国原英夫(ひがしこくばる・ひでお)さんも珍名サンだよね。

 プロ野球選手でも阪神に在籍した源五郎丸(げんごろうまる)、中日の音(おと)、横浜の基(もとい)なんて名字もいたねえ。巨人で活躍し中日監督となった与那嶺(よなみね)や広島の安仁屋(あにや)は沖縄の名字なのでしょうな。

 今まで遭ったなかでの珍名サンは、
・阿武隈川(あぶくまがわ)
・引頭(いんどう)
・奴久妻(ぬぐつま)
・阿比留(あびる)
かな。みんなどうしているだろうか。

 思いつくままに珍名サンを秩序なく列記してみましたが、ちなみに日本の名字ランキングのベスト10は、
1佐藤/2鈴木/3高橋/4田中/5渡辺/6伊藤/7山本/8中村/9小林/10斎藤
となっているそうです。
 

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2011年11月15日火曜日

将軍・秀忠の時代に:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第44回=江戸城騒乱)
誰ひとり傷つけることなく、
泰平の世を築くなど絵空ごとに過ぎぬ。
わたしは何があろうと天下を泰平にしてみせる。
戦のない世を作ってみせる。
秀忠(向井理)は江(上野樹里)に誓った。

1615年。「大坂夏の陣」に勝利し、秀忠は伏見城で武家諸法度を発布した。それは戦でなく法で武家を統制する――乱世が幕を閉じ、泰平の世の幕開けを告げるものだった。
家康(北大路欣也)は元号を慶長から元和に改めた。和をもって元(はじまり)となす。平和の始まりだった。
天下の統治者は家康から将軍・秀忠に代替わりした。

×  ×  ×

 江の平手打ちが福(富田靖子)に炸裂しました。大坂城が陥落し、淀(宮沢りえ)、秀頼(太賀)が自害し、豊臣家は滅亡。戦勝祝いに興じる竹千代や福に、姉の死を悼む江が思わずかっとなって手をあげたのですな。

 それにしても福は強(したた)かです。将軍の跡目争いに首を突っ込み、家康に竹千代をするように直談判、家康から実権が秀忠に移ったことを知り、効果なしとみるや、今度は学者で秀忠に影響力のある林羅山(林康之)を味方に付けようとします。殿中で羅山に故意とぶつかり、酒席に誘い込みます。
 酒を酌み交わす羅山と福、なにやら妖しげなムードでしたぞ(笑)。

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2011年11月12日土曜日

日本の和美・彩美:松岡美術館

カワユイ猫の給仕頭が出迎えてくれますぞ。
タレントの猫ひろしがカンボジア国籍を取得し、ロンドン五輪の同国マラソン代表を目指す――そんなニュースが流れたからだろうか、気になって「猫の給仕頭」像に目が行った。
東京・白金台の松岡美術館で「日本の和美・彩美(わび・さび)」展(2011105日~1220日)を観る。
 
ディイゴ・ジャコメティ作「猫の給仕頭」。ディイゴさんは彫刻家のアルベルトさんの弟で、家具製作者になったそうな。背筋を伸ばし(猫背じゃないのだよね=笑)、直立した猫が皿を持っている像です。きっとみなさんも見たことのある作品です。猫の手も借りたいくらい忙しいなどとよく言うが、猫に給仕をさせるほど忙しいかといえば、この美術館はそんなことはない。静かでじっくり鑑賞できる都会のオアシスで、創設者の松岡清次郎氏(1894年―1989年)が一代で蒐集した私立美術館なのです。
 さて、本展では牧野三生郎作「嵯峨野常寂光寺」が印象に残りました。紅葉に彩られた寺院門。地に絨毯のように紅葉が積もっています。深まる秋の静寂の中に誘われますな。

構成
・いろどり古伊万里
・遥かなる時代―物語の絵画
・風景を感じる~秋から冬へ~

×  ×  ×

ネコは瞬発力に優れているものの、持久力に欠けているというのが通説ですが、どうやらネコは猫でも猫ひろしは別種らしいですな(笑)。
20111110日観覧

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2011年11月8日火曜日

落城―淀・秀頼の最期:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第43回=淀、散る)
大した男よ。
こたびばかりはダメかと思った。
しかし、戦は勝つ。
勝って乱世を終わらせるのじゃ。
 家康(北大路欣也)は、壮絶な死を遂げた真田幸村(浜田学)に葵の陣幕をかけた。

慶長20年(1615年)大坂夏の陣。真田幸村は寡兵をかって家康の本陣まで攻め込み、追い詰めたが、力尽きた。
  家康は死を覚悟するほどだった。
  豊臣方壊滅の報を受け、炎上する愛着の城を見ながら、淀(宮沢りえ)と秀頼(太賀)は死を決意した。

×  ×  ×

 徳川の紋章である葵の陣幕を幸村の遺体にかけた家康の行いは、戦国武将に対する最大のオマージュだったのです。「敵ながらあっぱれ」というわけです。家康の本陣が破られたとの知らせに、秀忠(向井理)は駆け付けましたが、父・家康の姿がなく、横たわる幸村を見つけて声をかけます。
  幸村は秀忠を見て、「おお、よい死に場所をもろうたわ」と息絶えました。
ドラマならではの見せ場ですな。

秀忠が高台院(大竹しのぶ)に淀の戦回避を頼みますが、「わたしは思うのです。この世には泰平になるために避けられない戦があるのではないか」と断ります。
  冒頭の家康や高台院の台詞から、戦国乱世が終わりを告げ天下泰平の世明けが見えてきますな。
  浅井三姉妹の一番上の淀の死、ドラマ「江」もあと3回で終幕となります。


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2011年11月5日土曜日

田牧大和「緋色からくり」

美貌の女錠前師が謎に挑む。
田牧大和の「緋色からくり 女錠前師謎とき帖(一)」(新潮文庫)を読む。


姉と慕ったお志麻が惨殺されて4年。年の頃は245、目許涼やかで色白の、きりりとした美人の錠前師・お緋名の家に空き巣が入った。ちょうど居合わせた、用心棒になりたいという侍・榎康三郎は賊を取り逃がしてしまう。賊がお緋名の家から盗もうとしたものはなにか。4年前の事件との関係はあるのか……。

目次
・嚆矢:孤児
・第一章:女錠前師
・第二章:用心棒
・第三章:髪結い
・第四章:辰巳芸者
・第五章:番頭
・第六章:黒幕
・第七章:始末
・結び:門出

登場人物
・お緋名:女錠前師
・榎康三郎:用心棒志願の侍
・甚八:髪結い床「甚床」の主
・お志麻:髪結い
・孝助:お志麻の息子
・祥太:辰巳芸者
そして、お緋名の愛猫の大福

×  ×  ×

「女錠前師謎とき帖」シリーズ第1弾。主人公のお緋名は男身なりですが、飛びきりの美人で、魅 力的ですな。
――花色の青も鮮やかな縦縞の小袖をいなせに腰ではしょり、
すらりとした脚には藍の股引、
廻り髪結いが持つ鬢盥(びんだらい)のような道具箱を手にしている(原文)
 登場人物のキャラも鮮明で続編に期待がもてますぞ。
 人の善し悪しが判る猫の大福がカワユイ。
2011113日読了

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2011年11月3日木曜日

ゴヤ展:国立西洋美術館

「着衣のマハ」は妖艶でした。
 スペイン美術の巨匠、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)の展覧会「ゴヤ 光と影」(20111022日~2012129日)が、東京・上野の国立西洋美術館で開かれている。スペイン国立プラド美術館所蔵の油彩画、素描など72点と、西洋美術館所蔵の版画約50点が展示されている。「裸のマハ」と対をなす美術史上の傑作といわれる「着衣のマハ」は40年ぶりの来日。


着衣のマハ=1800―1805年頃
「マハ」とは「小粋な女」という意味なんですな。本展で初めて知りました。描かれている女性の名、固有名詞だと思っていましたが……(ポリポリ)。
 両腕を頭の後ろに組みソファに横たわる女性。こちらを向いて微笑みかけています。なんと妖艶な様でしょう。

 ほぼ同じ構図の「裸のマハ」を描いてから数年後の作品だそうな。当時のスペインでは、厳格なカトリックの影響が強くヌードはご法度だったのですな。西洋絵画で初めて陰毛を描いた絵はきっとセンセーショナルな話題となり、ゴヤは裁判所に何度か呼び出され絵の説明を求められました。さしずめ日本でもあった「芸術か猥褻か」の裁判でしょうかな。
 
・フランシスコ・デ・ゴヤ(1746―1828年)
 1746年スペイン北東部サラゴサの近郊フェンデトドスの生まれ。十代でローマでの絵の修業をめざしますが、失敗しマドリードに出る。1775年に王立タペストリー工場の下絵描きとして働き、1786年国王カルロス4世の宮廷画家となる。
40歳代で画家として最高の地位と名声を得るが、1792年に病から聴力を失う。1807年ナポレオン侵攻に遭い、スペイン社会は戦争と混乱に見舞われる。
78歳で自由主義者弾圧を避けフランスに亡命。1828年、ボルドーで死す。82歳。
 

 さて「着衣のマハ」ですが、描いたのは耳が聴こえなくなった後のことでした。40年ぶりの来日。当方の入社時でした。どうでいいことです(笑)。前回は「裸のマハ」も同時公開だったそうです。並べて観たかったなぁ。
 ゴヤは「裸のマハ」を描いて後、なぜマハに服を着せたのだろうか。

ゴヤの作品を時系列に展示されています。ちょっとばかり難解ですが、本展の構成は以下になっています。
1かくある私ゴヤの自画像
2創意と実践タピスリー用原画における社会批判
3嘘と無節操女性のイメージ:〈サンルーカス素描帖〉から私室の絵画へ
4戯画、夢、気まぐれ〈ロス・カプリーチョス〉の構想段階における自由と自己検閲
5ロバの衆:愚鈍な者たち〈ロス・カプリーチョス〉における人間の愚行の諷刺
6魔物の群れ〈ロス・カプリーチョス〉における魔術と非合理
7「国王夫妻以下、僕を知らない人はない」心理研究としての肖像画
8悲惨な成り行き悲劇への眼差し
9不運なる祭典〈闘牛技〉の批判的ヴィジョン
10悪夢〈素描帖C〉における狂気と無分別
11信心と断罪宗教画と教会批判
12闇の中の正気ナンセンスな世界の幻想
13奇抜な寓話〈ボルドー素描帖G〉における迷妄と動物の夢
14逸楽と暴力〈ボルドー素描帖H〉における人間たるもの諸相
2011111日観覧

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