2011年9月20日火曜日

忠臣・三成の断首:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第36回=男の覚悟)

太閤殿下の恩に報いるためだけに戦ったのではなく、

さるお方をお守りするために……

関ヶ原に敗れた石田三成(萩原聖人)が徳川秀忠(向井理)に胸の内を吐露した。



慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで敗走した石田三成は、徳川追撃隊に捕縛され、家康の前に突き出された。家康の命により京・六条河原で断首され、三条河原に首が晒された。享年41歳だった。



×  ×  ×



離縁してくださいませ。

徳川の跡継ぎを産むことのできない者が、

いつまでも居るわけにはいけません。

江(上野樹里)が秀忠に離縁を迫った。

徳川に輿入れしたものの、3度目の出産もまたまた姫君。期待の嫡男に恵まれない。侍女のまつが秀忠の子を身ごもり、こちらは男児。だが、秀忠はまつと子を相当の金銭を与え城から出し、「側室は持たぬ。跡継ぎはそなたの産んだ子だけ」と江を思い留まらせた。



 江は秀忠との間に25女を儲けた。千姫/珠姫/勝姫/初姫、そしてようやく家光、忠長と男児に恵まれ、最後は和子(まさこ)となる。



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ドラマでは、三成が秘かに淀(宮沢りえ)に懸想していたという設定になっているが、史実はどうなのだろうか。それと、侍女まつって、実在の人物?



徳川方に与した京極高次に若狭一国を与える論功行賞で家康は報いますが、その時の高次の正室・初と姉・龍子の表情にニヤリとさせられましたぞ。大喜びする龍子を尻目に初が、「高次様がどれほどの覚悟で戦われたか。それくらいのことは当然でございます」と言い放ったのです。これには、家康(北大路欣也)も「いや浅井三姉妹は強ようござるな」と苦笑いの呈でしたな。




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