2011年9月27日火曜日

家康が征夷大将軍に:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(37回=千姫の婚礼)

それがし、こたび朝廷より

征夷大将軍を拝命することとあいなりましてございます。

それは、あくまで秀頼様が関白におなりあそばしますまでのこと……。

徳川家康(北大路欣也)が淀(宮沢りえ)の前で驚くべき報告をした。慶長8年(1603年)2月、新年の挨拶に訪れた家康が将軍宣下の知らせに、淀は家康への警戒を強めるのだった。



慶長8212日、家康に後陽成天皇から宣旨が下り、征夷大将軍を拝命した。312日に二条城で将軍拝賀の礼を行った。これにより、家康は武家の棟梁となり、名実ともに豊臣氏の上位に就いた。



わたくしは父上と母上のお役に立ちとうございます。

 千姫(芦田愛菜)はわずか7歳の身で嫁ぐ娘を不安に思う母の江(上野樹里)に涙を流し告げた。同年7月、千姫は豊臣秀頼と婚礼の儀を行った。



×  ×  ×



 第37回「千姫の婚礼」で、歴史的に捉えておくのは、タイトルの千姫と秀頼の結婚と家康の征夷大将軍の宣下でしょうか。

 大坂の婚礼の後で、江が産気づき、あっという間に秀忠との第4子誕生しました(笑)。初姫です。京極高次の室・初(水川あさみ)の養女になりましたな。また、江は淀の養女となった娘の完(さだ)とも再会しました。

 千姫の芦田愛菜ちゃんは相変わらずの芸達者ぶりでした。淀の幼少時代(茶々)で登場していますが、2度目の出番です。上記の台詞を江に向って涙ながらに吐いた時には、こちらもうるうるしてきましたぞ。




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2011年9月25日日曜日

池上永一「テンペスト」3秋雨

昼はペリーと交渉する孫寧温そして夜は尚泰王の側室・真鶴

池上永一の「テンペスト」第三巻秋雨(角川文庫)を読む。

 清国の宦官・徐丁垓(じょていがい)殺害の罪で、孫寧温は孤島・八重山に流された。流刑の地でも寧温は、その語学と才覚で英国海軍とのトラブルを解決に導く。が、黒水熱(マラリア)に罹り、谷底に遺棄されたことを機に女(真鶴)に戻ることになった。そんな折、島の宴席での琉舞が認められ首里城で踊りを披露することに。それは御内原に上がる試験であった。美しい舞と知性から、真鶴は予想だにしない尚泰王の側室(あごむしられ)として王宮に返り咲く。
  時代は19世紀後半。英国とのアヘン戦争に敗れた清が香港を割譲し、英米など列強は触手を清(中国)に、さらに鎖国の江戸幕府(日本)に伸ばそうとしていた。日本への中継点として琉球に、列強の脅威が及んでいた。


目次:第三巻秋雨
・第十章:流刑地に咲いた花
・第十一章:名門一族の栄光
・第十二章:運命の別れ道
・第十三章:大統領の密使
・第十四章:太陽と月の架け橋
 
×  ×  ×

 新たに登場する真美那(まみな)が面白い。名門一族のお嬢様で、喜舎場朝薫(きしゃば・ちょうくん)の従姉妹にあたる。
 マシュー・ペリー率いる米国艦隊が琉球に寄港。そこで交渉能力の高い孫寧温が罪を解かれ、出番が回ってくる。昼は交渉役の宦官(孫寧温)として、夜は側室である女真鶴として男と女の二重生活が始まりますな。
2011924日読了


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2011年9月24日土曜日

杉浦直樹さん⇒「錆びたナイフ」


訃報は思い出を連れてくる。

絶えずメディアに流れる訃報――気を留めるそれに出遭うと、それは決まって思い出を連れてくるのだ。

男の哀愁が漂う俳優・杉浦直樹さんが亡くなった。2011721日のことで、79歳だった。※以下敬称略。



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思い出したのは「錆びたナイフ」だった。1958年(昭和33年)日活映画作品。主演は石原裕次郎。舛田利雄監督。原作は石原慎太郎で、慎太郎と舛田が脚色し、プロデューサーは水の江滝子。日活アクション全盛期の作品である。

石原裕次郎/北原三枝/小林旭/宍戸錠/杉浦直樹/白木マリ



恋人のために人を殺した前科のあるバー支配人(石原裕次郎)が主役だが、その恋人の暴行事件の張本人が運輸会社の社長である杉浦直樹だった。敵役の杉浦は凄みのある演技をみせていた。裕次郎とのアクション――デッカイ身体の二人が殴り合ったシーンは迫力があったなぁ。



裕次郎と旭の日活二枚看板の数少ない共演作品でもありました。北原三枝は陰のあるバー支配人の裕次郎に惹かれるアナウンサー役で、旭の役は裕次郎の弟分でした。旭が渡り鳥シリーズなどでブレークしたのは、この作品の1年後でした。

昭和33年といえば、巨人軍に長嶋茂雄が入団した年です。また、東京タワーが開業したのも1958年でしたぞ。

2011年9月20日火曜日

忠臣・三成の断首:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第36回=男の覚悟)

太閤殿下の恩に報いるためだけに戦ったのではなく、

さるお方をお守りするために……

関ヶ原に敗れた石田三成(萩原聖人)が徳川秀忠(向井理)に胸の内を吐露した。



慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで敗走した石田三成は、徳川追撃隊に捕縛され、家康の前に突き出された。家康の命により京・六条河原で断首され、三条河原に首が晒された。享年41歳だった。



×  ×  ×



離縁してくださいませ。

徳川の跡継ぎを産むことのできない者が、

いつまでも居るわけにはいけません。

江(上野樹里)が秀忠に離縁を迫った。

徳川に輿入れしたものの、3度目の出産もまたまた姫君。期待の嫡男に恵まれない。侍女のまつが秀忠の子を身ごもり、こちらは男児。だが、秀忠はまつと子を相当の金銭を与え城から出し、「側室は持たぬ。跡継ぎはそなたの産んだ子だけ」と江を思い留まらせた。



 江は秀忠との間に25女を儲けた。千姫/珠姫/勝姫/初姫、そしてようやく家光、忠長と男児に恵まれ、最後は和子(まさこ)となる。



×  ×  ×



ドラマでは、三成が秘かに淀(宮沢りえ)に懸想していたという設定になっているが、史実はどうなのだろうか。それと、侍女まつって、実在の人物?



徳川方に与した京極高次に若狭一国を与える論功行賞で家康は報いますが、その時の高次の正室・初と姉・龍子の表情にニヤリとさせられましたぞ。大喜びする龍子を尻目に初が、「高次様がどれほどの覚悟で戦われたか。それくらいのことは当然でございます」と言い放ったのです。これには、家康(北大路欣也)も「いや浅井三姉妹は強ようござるな」と苦笑いの呈でしたな。




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2011年9月18日日曜日

池上永一「テンペスト」2夏雲


宦官なのに絶倫の好色漢・徐丁垓


池上永一の「テンペスト」第二巻夏雲(角川文庫)を読む。

宦官(かんがん)として生きることを誓い女・真鶴を捨てた孫寧温だったが、薩摩藩の御仮屋詰め藩士・浅倉雅博に惹かれていく。王宮では聞得大君(きこえおおきみ)と王妃の間で女の覇権争いが起っていた。聖域なき王府の改革を目指す寧温を邪魔に思った聞得大君は寧温の弱点探しに躍起になり、ついに女である正体を突き止める。寧温を味方につけ聞得大君は王妃の失脚をもくろむ。



目次:第二巻夏雲

・第五章:空と大地の謠(承前)

・第六章:王宮の去り際

・第七章:紫禁城の宦官

・第八章:鳳凰木の恋人たち

・第九章:袖引きの別れ



*尚育王(しょういくおう=1813年―1847年)

 第二尚氏王朝第18代国王。15歳から王位に就き、士族の教育に尽力したが、同時に財政悪化に苦しむ。34歳で死去。


 

×  ×  ×



 第二巻夏雲にとんでもない清朝の宦官・徐丁垓(じょていがい)が登場します。宦官でありながら絶倫の好色漢(その秘密は?……)。紫禁城の後宮で乱行がたたり冊封使節団に紛れ込ませ、紫禁城を追放になったのです。ただし、科挙に受かっただけに知性と情報力に長けています。その男が寧温の美貌に目をつけ魔手を伸ばすのですな。

2011917日読了




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2011年9月13日火曜日

秀忠の「関ヶ原」遅参:「江」


大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第35回=幻の関ヶ原)

天下の徳川にしては、

おそまつな戦い。

上田城で、秀忠(向井理)率いる徳川勢を退けた真田幸村(浜田学)が吐き捨てた。



慶長5年(1600年)。石田三成(萩原聖人)の挙兵を知った家康は、会津の上杉攻めを中止。下野の小山に諸大名を集め、東軍の結束を固め、一端江戸に戻った。中山道を進む秀忠38000は、家康に背き上田城に籠った真田昌幸・幸村の親子を攻めることを決めた。真田勢は2000人。だが、戦上手の真田の前に初陣ともいえる秀忠は手こずり、関ヶ原の戦に間に合わない大失態を演じるのだった。



一方、京極高次(斎藤工)は「徳川様に味方する。大津に引き返す」と、西軍を離脱し、大津城に立てこもった。淀(宮沢りえ)の使者から三成に味方するよう説得されるが、断り、西軍が城を取り囲む。なんとか砲撃に耐えが、高次は高野山に入ることを決意した。



×  ×  ×



赤い鎧をまとった真田幸村の浜田学は颯爽としていました。

真田親子は三成の西軍に味方したことで、関ヶ原の後、戦犯として紀州九度山に幽閉されることになります。徳川に与した幸村の兄、信之が昌幸と幸村の助命嘆願をするのですね。

さらに、大坂夏の陣では家康を追い詰めるのですな。獅子奮迅の戦いをします。このあたり経緯は、池波正太郎の「真田太平記」(新潮文庫・全12巻)に詳しい。



 西軍を大津城にひきつけ関ヶ原の戦に向わせなかったとして家康は、京極高次の籠城を評価し論功行賞として、高次に若狭の国を与えるのです。




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安野光雅展:神奈川近代文学館

恩人ともいえる安野さんです。
 横浜・山手、港の見える丘公園に隣接した神奈川近代文学館で「安野光雅展アンデルセンと旅して」(201186日~925日)を観る。今年開館10周年を迎える島根県にある津和野町立安野光雅美術館の協力を得ての特別展。

構成
・第1部:安野光雅とアンデルセン
      「マッチうりのクリスマス」原画/「かげぼうし」原画ほか
・第2部:デンマークの旅
      「絵本の旅」原画ほか
・第3部:即興詩人に恋して
      「絵本 即興詩人」挿絵原画/イタリア旅行写真ほか
・第4部:文語体のすすめ
      「文学の絵本―『ちくま日本文学全集』装画」原画ほか

×  ×  ×

 絵ばかりか達者な文章にも感心しました。

安野光雅さんは司馬遼太郎の歴史紀行「街道をゆく」の装画をしていましたな。
司馬さんが亡くなったのは、1996212日です。翌日の日刊スポーツ新聞の1面見出しは「司馬遼太郎さん ありがとう」としました。
国民的作家の急逝ですが、「急死」とせずに、あえて彼の偉業、「坂の上の雲」「竜馬がゆく」など日本人に影響を与えた作品群に感謝を込めた新聞見出しにしました。当時、編集の整理部という部署に所属していました。整理部としては、かなりの勇気のある、思い切った踏み込んだ見出しでした。
その1面を安野さんはメディアを通じて褒めてくださいました。甚く感謝した覚えがあります。恩人といっていい人です。
安野さん、その節はありがとうございました(笑)。
2011911日観覧

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2011年9月10日土曜日

池上永一「テンペスト」1春雷

嵐の晩に生まれた女児は宦官と偽り男に生まれ変わった。

 池上永一の「テンペスト」第一巻 春雷(角川文庫)を読む。全4巻。 
 19世紀、江戸時代幕末のころの琉球(沖縄)王朝は、清と薩摩藩とに両属しながらも、独立国の体裁を保っていた。
 龍が千年に一度の発情期を迎えた。龍が交尾すると嵐になるという。番(つがい)の龍が珊瑚礁の王国、首里の赤田に落ちた。その大嵐の晩に、女の子が生まれた男児を願っていた父から顧みられず、育った。3歳まで名もなく、自ら真鶴(まづる)と名付けた。
 養子の兄・嗣勇(しゆう)が官吏登用試験である科試(こうし)を前に出奔したことで、真鶴は父の命により兄に代わり男として生きることになる。男の性を亡くした宦官と偽り、名を孫寧温(そんねいおん)と名乗ることになった。
 寧温は並はずれた頭脳で13歳の若さで科試に合格、首里城に上がり頭脳集団の評定所筆者主取(ぬしどり)に抜擢される。その才覚を生かし王府の財政改革に乗り出す……。

目次:第一巻
・第一章:花髪(はなからじ)別れ
・第二章:紅色の王宮へ
・第三章:見栄と意地の万華鏡
・第四章:琉球の騎士道
・第五章:空と大地の謠

主な登場人物
・孫寧温(真鶴)
・孫嗣勇=美貌と踊りを生かし花当(はなあたい)となる
・喜舎場朝薫(きしゃば・ちょうくん)=6歳で四書五経を読んだ神童
・聞得大君(きこえおおきみ)=琉球王国の最高神官
・朝倉雅博=琉歌が上手な薩摩藩士

×  ×  ×

 英国船が難破したとき、その対応に寧温が当ります。流暢な英語です。これは、宣教師で医者のベッテルハイムに食料や日用品を届ける係をしていた真鶴の時代に覚えたのですね。英語、ドイツ、中国語……。ベッテルハイムは13カ国語を操る語学の天才ですが、真鶴の才能もケタはずれですな。
 漂流した英国人が無事に広東を送り届けた功労に、寧温に対してヴィクトリア女王がサーの称号を贈るとの書簡が尚育王のもとに届くのですね。
 科試(こうし)/花当(はなあたい)/親雲上(ぺーチン)/親方(ウェーカタ)/加那志(がなし)/聞得大君(きこえおおきみ)やユタ(市井の祈祷師)、ジュリ(遊女)などの特殊な読みや用語が出てくるので、当初読みにくいかもしれませんが、起伏に富んだ面白いドラマです。先が楽しみ。
201199日読了



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2011年9月8日木曜日

平泉成と市川雷蔵って意外

芸能界入りのきっかけは銀幕スター
 9月7日のテレ朝「徹子の部屋」。ゲストは渋い脇役の平泉成でした。ボーとテレビを観ていたら、意外な展開に注目し、凝視しました。彼は大映のニューフェイスだったのですね。知りませんでした。

 平泉が名古屋のホテルに務めていたころ、先輩から大映スターの市川雷蔵を紹介され、1964年(昭和39年)大映の第4期ニューフェイスのテストを受け、27人の1人に選ばれました。
  当時の京都大映。長谷川一夫や市川雷蔵、勝新太郎が活躍していました。平泉は専ら時代劇で、役がつかず、通行人ばかりやっていたそうです。

 映画界を代表する銀幕のスターの市川雷蔵が、平泉にみせた気遣いのエピソード――ある日、「忙しいので俺の代わりに観てきてくれないか」と包んだ紙を渡された。中には劇のチケットと交通費、食事代が入っていました。通行人俳優に勉強の場をさりげなく与えたのですね、大スターが。
「当時30代だったのに……。そんな気遣い、今僕は67歳になりますけど、できませんよ」と話していました。
「亡くなったのは37歳だったですね」と平泉が昔を、師匠を思い出してか下を向いたところで、聞き手の黒柳徹子が話題を変えてしまいました。雷蔵の話をもっと聞きたかったのに残念でした。でも、平泉と雷蔵の意外な関係を知ったのは収穫でしたぞ。

 平泉は1971年大映の倒産後にフリーとなり、活動の場をテレビに求めた。刑事や人のいい親父から凶悪犯の悪人、さらに独特のハスキーな声を利したナレーションまで、幅の広い活躍をしています。キムタク(木村拓哉)や関根勤が彼の声のモノマネをしていますよね(笑)。

×  ×  ×

Wikipediaで調べたら、平泉成の大映作品がありました。
 市川雷蔵主演の1967年作品
・眠狂四郎無頼控 魔性の肌(池広一夫監督)
・若親分兇状旅(森一生監督)
 2本とも観たのだが、平泉成には悪いけど、印象なかったなぁ。

 それに、渥美マリ主演のちっぴりエッチな映画
・いそぎんちゃく(弓朔太郎監督)
・でんきくらげ(増村保造監督)
なんて作品にも出ているんですね。


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2011年9月6日火曜日

家康が上杉攻めへ:「江」

大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(第34回=姫の十字架)
石田殿もわしもともに豊臣の家臣。
ということは、万一、戦になっても、
それは、家臣対家臣の争い。
断じて豊臣と徳川の争いではない。
 徳川家康(北大路欣也)は、「豊臣と戦になることを避けてほしい」と懇願する江(上野樹里)にこう説明した。

 慶長5年(1600年)。
 秀頼の反逆を理由に家康は会津の上杉景勝攻めを企てる。会津征伐の総大将に秀忠(向井理)を命じる。上杉景勝の戦は石田三成(萩原聖人)を参戦させる呼び水だった。
 三成は家康の意図を知りつつ、家康攻めを淀(宮沢りえ)に告げ挙兵する。徳川に与した大名の妻子を人質に取り、大坂城に集めた。大阪の細川屋敷を、石田勢が取り囲む。ガラシャ(ミムラ)は死を決意し、家臣に自分を刺すように命じた。

*会津征伐
 慶長5年。上杉景勝は直江兼続に神指城の新城建設を命じた。上杉の軍事増強は秀吉後継者たる秀頼への謀反とみなした家康は、景勝に上洛、新城築城の説明をするように命じただが、これを上杉は拒否した。この書状が直江兼続のよる挑発的な内容であり、家康は会津征伐に踏み切ったといわれる。「関ヶ原の戦い」の幕開けとなった。

×  ×  ×

「天下布武」の刻印がまた登場しましたぞ。ドラマでは、この織田信長(豊川悦司)の遺品は市(鈴木保奈美)から淀、そして江に渡っていました。
 江は会津に向う秀忠にお守りとして差し出したのです。秀忠は、「幼い時から唯一憧れていた武将は織田信長。その姪を妻にすることは誇りであった」と、江に胸の内を明かしました。江と秀忠の愛が一層と深まるシーンでした。

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