2011年1月15日土曜日

加藤廣「秀吉の枷(下)」

晩節汚す後継者問題の醜態
 加藤廣の「秀吉の枷(下)」(文春文庫)を読む。本能寺三部作の第2弾で、文庫版の最終巻。

 九州の島津を抑え、小田原城攻めで北条家を下し、天下統一を果たした秀吉は朝廷から関白の位を賜る。宿敵・徳川家康を関八州への移封を命じ、さらに明の制圧をめざし朝鮮まで兵を送る。『天下様』として君臨した秀吉の願いは、嗣子を誕生させ、豊臣の名を後世に残すことだった。淀との間に鶴松が生まれ、夭折したが、直に秀頼が誕生する。自らに子種がなく不義の子と知りながらも、豊臣家安泰を願い秀頼を世継ぎと決めた秀吉だが……。

下巻目次
・第十一章:淀の方
・第十二章:家康追放作戦
・第十三章:秀次殺し
・第十四章:前野家千本屋敷
・終章:秀吉・その死
 朝鮮出兵の失敗、『秀次事件』など後継者問題での醜態、老いていく秀吉の孤独な晩年が描かれる。

×  ×  ×

 江戸東京博物館の「江~姫たちの戦国~」展で、醍醐寺所蔵の「醍醐花見短冊」が展示されていた。慶長3年(1598年)3月、醍醐寺で盛大な花見の宴が開かれた。その5ヶ月後に没しているので、秀吉最後の花見となった。短冊に認(したた)められて1首――あらためてなをかえてみむ深雪山 うつもるはなもあらわれにけり

 その宴で『盃の奪い合い』があった。秀吉が盃をさし、北政所(おね)に回した。北政所は口に付けただけで、側にいた松の丸(竜子)に盃を渡した。松の丸が盃を口に持って行こうとした瞬間、淀が「僭越な。次はわらわじゃ」と叫び、盃を奪おうとした『事件』である。
 座が白けたが、北政所が「では、この盃はお客さまに」と前田利家夫人に回して事なきをえた。

 松の丸は淀の前の第二夫人で、西の丸と呼ばれていたが、淀が秀吉の子どもを生んだことで地位が逆転したんだよね。女のバトル、なかなか激しい(笑)。北政所も松の丸も秀吉との子に恵まれなかった。
 鶴丸、秀頼とも不倫の子という加藤廣さんの説は、小説として面白いが……。池波正太郎さんの「真田太平記」でも、淀と大野治長の仲が親密だという記述はあったけど……。本当だろうか。
2011年1月14日読了

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