2011年1月30日日曜日

加藤廣「明智左馬助の恋(上)」

――光秀は、そっと耳元で囁いた。
「お屋形さまを竜神と看たは、ひょっとすると余の錯覚だったかも知れぬな」
「えっ」
 左馬助は絶句した。
 初めて聞く、光秀の信長批判であった――

 安土城での侍女虐殺事件の知らせを聞いた光秀は暗憺(あんたん)たる思いで吐露する描写である。
 加藤廣の「明智左馬助の恋(上)」(文春文庫)を読む。「信長の棺」「秀吉の枷」に続く本能寺三部作の完結編。

 先祖に後醍醐天皇にゆかりを持つ三宅弥平次は光秀の娘・綸とともに明智家で育てられる。
 織田信長の有力武将・荒木村重に謀反の動きが発覚する。綸は信長の命で村重の嫡男・村次に嫁いでいる。信長から村重説得の任を受けた光秀だが、翻意に失敗する。が、綸は荒木家から離縁され、戻ってくる。光秀は男子を儲けているが、病弱で嗣子の器ではない。娘の綸の婿に弥平次を迎え、光秀は明智家の後継に据える。弥平次は名を明智左馬助と改めた。
 上昇志向の強い光秀は秀吉と出世争いを繰り広げていた。学識があり事務処理能力に優れている光秀は、信長になにかと便利に酷使されてきた。
 朝廷さえ無視し、残忍な行為を繰り返す信長に右往左往させられる光秀。そんな光秀を不安の目で見守る左馬助であった……。

上巻目次
・第1章:摂津動乱
・第2章:人質解放
・第3章:明智左馬助
・第4章:抜擢人事
・第5章:天下布武
 天正9年の「京都馬揃え」ごろまでが上巻で描かれている。

×  ×  ×

 かくして本能寺の変は下巻ということになるのですな。
2011年1月30日読了

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2011年1月27日木曜日

歴史を描く―松園・古径・靭彦・青邨―:山種美術館

人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を得て
滅せぬ者はあるべきか
――幸若舞の「敦盛」の一節で、織田信長が愛唱していたそうな。
 桶狭間の戦を前にした清州城。2万5000の兵を誇る今川義元。信長の軍勢は3000人。圧倒的不利の戦況。その朝、決死の信長が扇を手に謡い舞う――「出陣の舞」(安田靭彦作)など歴史の刻んだ作品を展示した「歴史を描く―松園・古径・靭彦・青邨―」展(2011年1月8日~2月17日)を東京・広尾の山種美術館で観る。
展示構成
・第1章:神話と文学の世界
・第2章:平家物語と武者絵の世界
・第3章:歴史を彩った人々
・第4章:松園が描く江戸のよそおい

×  ×  ×

 桶狭間は、信長の今川軍を強襲し義元の首を討ち取った日本の歴史上最大の逆転劇により、信長が勝利し、天下取りへ弾みをつけた戦だった。

 安田靭彦(ゆきひこ)作「出陣の舞」のほか、信長を題材にしたもう1点、前田青邨(せいそん)作の「異装行列の信長」が展示されていた。
 天文22年(1553年)。美濃と尾張の国境。正徳寺。美濃の蝮(まむし)・斎藤道三と女婿の織田信長は初めて対面する。町屋に隠れ覗いた道三に映った婿の姿は、「うつけ者」といわれた男そのものの『異装』だった。髪を萌黄色の紐で結い、帷子の片方の袖を外し、太刀と脇差は縄で巻き、腰には瓢箪や袋を付け、虎と豹の半袴。
 ところが、実際の会見の場には、髪を結い直し正装で現れた信長に、道三はその器量の大きさを認めたとか。その異装行列を描いた作品。

 秀吉の正室・おね(ねねとも表記され、後の高台院)と側室・淀を描いた北澤映月作の「ねねと淀」、屋島の戦で源義経の命で平氏の軍船に掲げた扇を弓で射った「那須宗隆射扇図」(小堀鞆音作)も印象に残る。

×  ×  ×

 最近池波正太郎さんの「真田太平記」や加藤廣さんの「信長の棺」「秀吉の枷」など戦国ものを読んでいるためか、信長を題材にした作品に興味を持ちました。
 それにしても、異装の信長、戦国きっての審美眼とファッションセンスを持った武将ですな。
2011年1月27日観覧

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2011年1月25日火曜日

キンカン頭の光秀:「江」

秀吉は「禿げネズミ」
 NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の第3回「信長の秘密」(1月23日放送)では、江(上野樹里)が、家康の妻・築山殿と息子・信康を殺した、いわゆる「築山殿事件」の真意を信長に質す場面がありました。信長が家康に正室を殺し、嫡男の切腹を命じたのは、天正7年(1579年)の出来事です。
「わしは妻と息子を殺した家康を決して裏切ることはない」と、信長役のトヨエツこと豊川悦司が渋く台詞を吐きました。

 後の「本能寺の変」の前兆を視聴者に感じさせるシーンがありました。信長が光秀(市村正親)の顔面を殴打するのですが、「このキンカン頭が」といっていました。
 キンカン頭って、どんな頭でしょうか?
 光秀の髪が後退して、禿げているように見えたのでしょうね。柑橘類のキンカンのように信長には見えたのでしょうか。そういえば、信長は秀吉にも「禿げネズミ」というあだ名をつけていました。

 ひとかどの武将である光秀や秀吉をあだ名で呼ぶさまに、信長の暴君ぶりがうかがえますなぁ。

 次回のみどころは、信長が天下にその武力を示威した軍事パレード「京都馬揃え」のシーンと推測します。天正9年(1981年)のことです。
 そして天正10年には、あの運命の「本能寺の変」が起きるのです。

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2011年1月23日日曜日

志水辰夫「行きずりの街」

20年前の作品も褪せない魅力
 志水辰夫の「行きずりの街」(新潮文庫)を読む。1990年(平成2年)に刊行。1992年の「このミステリーがすごい」の第1位作品。2010年11月に仲村トオル主演で映画化された。

 郷里の丹波で塾教師をしている波多野は、音信不通になった教え子の広瀬ゆかりを探しに、12年ぶり上京した。ゆかりの祖母が危篤状態となったことを彼女に知らせるためだった。かつて名門・敬愛学園の教師をしていた波多野は、生徒の雅子との恋愛がスキャンダルとなり学園を追放された過去を持っていた。ゆかり探しの過程で、意外にも追放した学園が彼女の失踪に関係していることを掴む。闇の真相に彼は迫って行く……。

×  ×  ×

映画「行くずりの街」(監督・阪本順治)のキャスト
・波多野和郎:仲村トオル
・手塚雅子:小西真奈美
・広瀬ゆかり:南沢奈央

×  ×  ×

「行きずりの街」が刊行されたのは、1990年。20年も前の作品なのだよね。

 バブル景気の時代でした。
 1989年12月29日大納会、日経平均株価は3万8957円44銭を記録した。とんでもない数字でしたっけ。史上最高値だったのでした。
 あれはあだ花でした。日本経済は以後、凋落し、この20日の中国が発表した名目国内総生産(GNP)は約514兆円になり、日本の名目GNPは2月に発表となりますが、約480兆円程度が予想されていて、中国に抜かれることが確実になりました。1968年から日本が守り続けていた「世界第2位の経済大国」の座を明け渡すこととなりました。

 動乱の20年。隔世の感がします。
 色褪せた日本経済ですが、小説「行くずりの街」はいささかも鮮度・魅力が失せていません。いや、立派ですなぁ。
――雅子はわたしのすべてだった。いつだってかぐわしく、温かく、やわらかくて、しなやかで、強靭で、無限だった。それはなによりもすべすべした感触であり、過敏で、貪婪(どんらん)で、疼きやまない官能を持っていた。――
 12年ぶりで再会した元妻の雅子を、波多野が抱く場面の描写です。
 志水辰夫の瑞々しい美麗な文体に魅せられました。
2011年1月22日読了

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2011年1月22日土曜日

徳田八十吉展:そごう美術館

「耀彩」を放つ藍青色の磁器
 伝統の九谷焼に新しい色彩表現を確立した重要無形文化財「彩釉磁器」保持者、三代徳田八十吉の没後初となる回顧展――「追悼人間国宝 三代徳田八十吉展~煌めく色彩の世界~」(2011年1月2日~2月13日)を横浜駅東口・そごう美術館で観る。

 三代徳田八十吉は、1933年、石川県小松市の九谷焼窯元に生まれる。金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退。祖父、父の二代にわたる八十吉に師事。1988年に三代を襲名。1993年紫綬褒章受章。1997年重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定される。2009年8月に亡くなっている。初名は正彦。
 三代の特徴はその色彩にある。
 35歳で独立し、伝統的な九谷焼の色絵技法に飽き足らず、古九谷5彩のうちガラス成分のない赤を除いた紺、紫、緑、黄の4彩を組み合わせ数百もの色を作り出し、独自のグラデーションによる「耀彩(ようさい)」と呼ばれる鮮やかなに輝く色彩の作品を生み出した。

 本展では、三代徳田八十吉の修業時代から代表作まで約70点、初代、二代の作品も展示し、古九谷釉薬の系譜を辿っている。

×  ×  ×

「出藍」という言葉を思い出しました。青色の染料は藍から取るものだが、もとの藍の葉よりも青くなるところから、弟子が師よりもすぐれた才能をあらわすたとえです。「出藍の誉れ」ともいう。
 三代は初代から古九谷釉薬を、二代から現代陶芸を学びましたが、師を超えた色彩を生み出したのです。「藍青色」が鮮やかに煌めいていましたぞ。
 ちなみに四代は、三代のご長女が襲名しているそうだ。
2011年1月22日観覧

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2011年1月18日火曜日

凜とした鈴木保奈美の市:「江」

次回は「築山殿事件」が起る
 NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の第2回放送(1月16日)「父の仇」は、市役の鈴木保奈美の凜とした演技が印象に残った。
「おなごにはおなごの戦があります。女の戦とは生きること、今日ただ今を生きることでございます」

織田信長軍の前に小谷城が落ち浅井長政は自害し、市と茶々・初・江の三姉妹は、信長の弟・織田信包(のぶかね)の伊勢上野城に身を寄せる。天正7年(1579年)春、信長から伏見城への招待の手紙が届く。
 天主が雲を突くようにそびえる壮大な城に、三姉妹は目を見張る。
 父・長政の死の真相を初めて知った江は、父の命を奪った信長を許せず、深夜信長のもとを訪れる。
 茶々、初、そして市が寝床にいない江を探して、信長のもとへ。そこで、信長の対峙した市が、戦国に生きる女の気構えを語る。三姉妹は母の決意を知り、身を引き締めるのだった。

×  ×  ×

 江戸東京博物館でNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」と連動した特別展(1月2日~2月20日)が開催されています。本展の音声ガイドを務めているのが鈴木保奈美さんで、市の視点から信長、家康、秀吉らの人物解説をしています。ドラマに久びさ登場の保奈美さんですが、石橋貴明さんとの間に、市と同じように3人の娘さんがいるとか。

 第3回放送では、天正7年秋の「築山殿事件」が挿入されるそうです。徳川家康の正室・築山殿が信長の命により殺され、嫡男の信康が切腹した事件です。
 築山殿は今川義元の姪にあたり、信康は信長の娘・徳姫を正室に迎えています。
 築山殿は桶狭間の戦いで今川義元を破った信長を敵対視していて、信長と同盟を結んだ家康との仲も冷えていたといわれます。信長・家康に対抗すべく信康と武田勝頼を結びつけようと画策し、信長の知るところとなり、信長が家康に正室と嫡男の始末するように命じたとされるのだよね。天下取りへ妨げの芽を摘む。非情な決断ですな。

 さて「築山殿事件」、ドラマではどのように扱うのだろうか。史実とドラマ的な脚色の差異を楽しむのも一興です。

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2011年1月16日日曜日

2010年 報道写真展:日本新聞博物館

バンクーバー・南アフリカ・菅直人内閣
 横浜・日本大通の日本新聞博物館で「2010年 報道写真展」(2011年1月8日~3月6日)を観る。

 国内外で起きる様々な出来事を、より早く、正確に伝える報道写真は、ときに記事内容以上に読者に訴える力がある。東京写真記者協会加盟の新聞・通信・放送34社の写真記者が昨年撮影した写真の中から約280点を選び、展示している。
 バンクーバー冬季五輪、サッカーW杯南アフリカ大会、政局では鳩山由紀夫首相辞任から菅直人内閣誕生、口蹄疫騒動など2010年の出来事を、振り返ることができる。

×  ×  ×

 新聞記者は聴き逃しても、後から追加取材でなんとか記事は書けるが、写真は、そうはいかない。その一瞬が勝負だ。写真記者は、ドジや間抜けじゃ務まらない。現場の近くにいるので、取材対象の生声も聴いている。取材で出てこない、いい情報をカメラマンが持っていることが多い。かつてスポーツかわら版社にいたころ、ずいぶんとカメラマンには世話になったものだ。

 一瞬のシャッターチャンスに凌ぎを削る写真屋の気合い、記事よりも雄弁に語る渾身の1枚に出会えるかもしれませんぞ。
2011年1月16日観覧

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2011年1月15日土曜日

加藤廣「秀吉の枷(下)」

晩節汚す後継者問題の醜態
 加藤廣の「秀吉の枷(下)」(文春文庫)を読む。本能寺三部作の第2弾で、文庫版の最終巻。

 九州の島津を抑え、小田原城攻めで北条家を下し、天下統一を果たした秀吉は朝廷から関白の位を賜る。宿敵・徳川家康を関八州への移封を命じ、さらに明の制圧をめざし朝鮮まで兵を送る。『天下様』として君臨した秀吉の願いは、嗣子を誕生させ、豊臣の名を後世に残すことだった。淀との間に鶴松が生まれ、夭折したが、直に秀頼が誕生する。自らに子種がなく不義の子と知りながらも、豊臣家安泰を願い秀頼を世継ぎと決めた秀吉だが……。

下巻目次
・第十一章:淀の方
・第十二章:家康追放作戦
・第十三章:秀次殺し
・第十四章:前野家千本屋敷
・終章:秀吉・その死
 朝鮮出兵の失敗、『秀次事件』など後継者問題での醜態、老いていく秀吉の孤独な晩年が描かれる。

×  ×  ×

 江戸東京博物館の「江~姫たちの戦国~」展で、醍醐寺所蔵の「醍醐花見短冊」が展示されていた。慶長3年(1598年)3月、醍醐寺で盛大な花見の宴が開かれた。その5ヶ月後に没しているので、秀吉最後の花見となった。短冊に認(したた)められて1首――あらためてなをかえてみむ深雪山 うつもるはなもあらわれにけり

 その宴で『盃の奪い合い』があった。秀吉が盃をさし、北政所(おね)に回した。北政所は口に付けただけで、側にいた松の丸(竜子)に盃を渡した。松の丸が盃を口に持って行こうとした瞬間、淀が「僭越な。次はわらわじゃ」と叫び、盃を奪おうとした『事件』である。
 座が白けたが、北政所が「では、この盃はお客さまに」と前田利家夫人に回して事なきをえた。

 松の丸は淀の前の第二夫人で、西の丸と呼ばれていたが、淀が秀吉の子どもを生んだことで地位が逆転したんだよね。女のバトル、なかなか激しい(笑)。北政所も松の丸も秀吉との子に恵まれなかった。
 鶴丸、秀頼とも不倫の子という加藤廣さんの説は、小説として面白いが……。池波正太郎さんの「真田太平記」でも、淀と大野治長の仲が親密だという記述はあったけど……。本当だろうか。
2011年1月14日読了

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2011年1月14日金曜日

江~姫たちの戦国~:江戸東京博物館

江の常高院あて消息文・崇源院宮殿
 芦田愛菜ちゃんの熱演で初回視聴率21.7%と上々のスタートを切ったNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」――その番組と連動した特別展(2011年1月2日~2月20日)を東京・両国の江戸東京博物館で観る。

 伯父に信長、義兄に秀吉、そして義父は家康という戦国随一のセレブ女性、江(ごう)は元亀4年(1573年)、近江国小谷城主・浅井(あざい)長政と、織田信長の妹・市の間に生まれた。長姉は豊臣秀吉の側室になった茶々(淀)、名門の京極家の当主・高次の正室となった次姉・初がいる。江は12歳で佐治一成と結婚するが、秀吉の命で離縁。のちに秀吉の甥・秀勝と再嫁するが、秀勝は朝鮮出兵で病死。さらに徳川家康の3男・秀忠(第2代将軍)と3度目の結婚し、2男5女を儲ける。謚号(しごう)は崇源院。

江と秀忠の2男5女
・長男・家光:第3代将軍
・次男・忠長:駿府城主
・長女・千姫:豊臣秀頼夫人
・次女・珠姫:前田利常夫人
・3女・勝姫:福井藩主松平忠直夫人
・4女・初姫:京極忠高夫人
・5女・和子(東福門院):後水尾天皇の中宮となり、明正天皇を生む
 本展は、江と、戦国乱世の天下取りの主役、信長・秀吉・家康との関わり、多彩な華麗な人脈、波乱の生涯を遺品や手紙、歴史資料を通じてたどっている。

・江の姉の初(常高院)にあてた消息文=栄昌院所蔵
・崇源院霊廟宮殿(くうでん)=東京・祐天寺所蔵
・題醐花見短冊(重要文化財)=京都・醍醐寺所蔵
などがみどころか。

展示構成
Ⅰ:江と父母と伯父
Ⅱ:江の姉・茶々が嫁いだ豊臣家
Ⅲ:江の姉・初と京極家
Ⅳ:江が嫁いだ徳川家

×  ×  ×

 本展の音声ガイド(語り)は、江の母、市を大河ドラマで演じている鈴木保奈美が担当している。市の視点で、浅井長政/柴田勝家/織田信長/豊臣秀吉/徳川家康/茶々/初/江らの人物解説をしているのが、面白かった。
2011年1月13日観覧

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2011年1月11日火曜日

芦田愛菜ちゃん熱演の「江」

第1回視聴率は21.7%
 なんてたって芦田愛菜(あしだ・まな)ちゃんだった。※敬称略

NHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」の第1回が1月9日に放送され、平均視聴率は21.7%(ビデオリサーチ調べ関東地区)で瞬間最高は25.8%だった。江を演じるのは上野樹理。初回の視聴率としては、福山雅治主演の「龍馬伝」の23.7%には及ばなかったが、同じ田渕久美子の脚本で、宮崎あおい主演の「篤姫」の20.3%を上回った。

 第1回のクライマックスシーンは、幼い茶々(芦田愛菜)が懐剣を抜き妹の初につきつけ、母親の市(鈴木保奈美)に新たに宿った子を産んでほしいと訴える場面である。「母上がやや子(幼児)を産まぬなら、初を刺し茶々も死にまする」。茶々は涙を浮かべ市に迫る。

 戦国の世。琵琶湖を望む美しい北近江小谷の地に城を構える浅井(あざい)家。絶世の美女と誉れ高い織田信長の妹・市は浅井家に嫁ぐ。天下取りをめざす信長の意をくんだ政略結婚だったが、次第に市は当主・長政の人柄に惹かれていく。長女・茶々、次女・初を儲ける。が、平穏な幸せは続かず、やがて織田家と浅井家に争いが起る。
 姉川の戦を経て3年、織田兵に浅井の小谷城は包囲され、敗色が濃くなる。そんな状況で、お腹の子と死を決意した市が幼い茶々の説得に思い止まるのだった。
 そして……。秀吉率いる織田勢が包囲する小谷城に産声が響く。浅井家の三女・江の誕生であった。

×  ×  ×

 芦田愛菜ちゃんの涙ながらに市の鈴木保奈美に迫るシーンは熱演だった。注目のドラマ「江」第1回は、彼女のひとり舞台といえましたな。今年4月に小学生になる6歳とは思えぬ感情表現にただただ感心しました。無駄に馬齢を重ねる当方とはエライ違いだわい(笑)。
 
 芦田愛菜ちゃんの次に目についたのは、足利義昭の和泉元彌。足利幕府最後の将軍で、権威を失い信長に追い出される惨めさが伝わってきました。彼の母上は『セッチー』こと節子さんっていったっけ。亀井静香にちょっと見、似ているよね。余計なことを……。失礼しました(ペコリ)。

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2011年1月8日土曜日

加藤廣「秀吉の枷(中)」

 加藤廣の「秀吉の枷(中)」(文春文庫)を読む。

 明智光秀の謀反の企てを事前に察知した秀吉は、本能寺から南蛮寺に通じる秘密の地下通路を塞ぐ。本能寺の変が起り、織田信長が横死する。備中高松城から取って返した秀吉は、光秀を天王山に破る。信長後継争いの先頭に立ち、さらに織田の直系や嫡流を退け、わずか2年半で天下取りを果たす。が、徳川家康は忍びの服部半蔵を遣い、信長の遺品を入手、暗殺の秘密を掴む。
『天下様』となった秀吉だが、その胸中に家康の存在と跡継ぎのいない不安がつきまとうのだった……。

中巻目次
・第六章:遺体は二度消える
・第七章:阿弥陀寺
・第八章:主をうつみ
・第九章:心の闇
・第十章:九州遠征

×  ×  ×

 家康の子どもは、男だけで11人。信長は男だけで8人いたそうです。男児を生ませ後世に血を残し伝えることが、武家の主の一代仕事だったのですね。だから側室がいるのが当たり前でした。
 秀吉の男の子は3人だけでした。正室のおねは子宝に恵まれず、側室の南殿に1人(羽柴秀勝)、淀殿に2人(鶴松と豊臣秀頼)儲けました。そのうち秀勝と鶴松は夭折しています。秀頼は秀吉57歳の子でした。荒淫ともいえるほど側室を漁り、その数300人ともいわれていますが、ただ単に女好きとばかりはいえない事情があったのですね(笑)。

 加藤廣さんは、秀吉が幼少時におたふくかぜを患い、子種に恵まれない身体になったらしいと小説では書いています。
2011年1月6日読了

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2011年1月6日木曜日

山下敬二郎の「ダイアナ」

OH,please stay by me,Diana.
「ダイアナ」はポール・アンカの日本語カバー曲だった。
 日本語に英語が頻繁に混じる歌詞が新鮮に耳に残る。年上の女性(ひと)を激しく恋する歌だった。作詞・作曲はポール・アンカ、訳詞は渡舟人。
 ♪君は僕より年上と まわりの人はいうけれど
  なんってたって構わない 僕は君に首たっけ

「ダイアナ」を代表曲にしていたロカビリー歌手の山下敬二郎(やました・けいじろう)さんが2011年1月5日亡くなった。71歳だった。※以下敬称略

 あの光景は凄まじかった。七色テープがステージ舞っていた。熱狂的なハイティーン少女がステージにかけ上がろうとしていた。山下敬二郎、平尾昌晃、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男がギターをかきならし、身体をよじりながら歌っていた。
 1958年(昭和33年)2月8日。有楽町の日本劇場(日劇)で「第1回ウエスタンカーニバル」が開かれた。初日だけで9500人、1週間で4万5000人を動員した。東京ドームや日本武道館がなかった当時、異例の観客動員だった。ちなみに昭和33年は、長嶋茂雄が巨人軍に入団した年。

 日劇の舞台からは小坂一也、水原弘、坂本九、飯田久彦らの人気歌手が巣立って行った。

×  ×  ×

 山下敬二郎の父親は柳家金語楼である。エノケン、ロッパと並ぶ喜劇王だった。落語家であったが、残念ながら噺を聴いたことはない。知っているのは、テレビ草創期のドラマ「おトラさん」やNHKの「ジェスチャークイズ」である。

 金語楼の「おトラさん」はいつも割烹着を着ている女中さんで、平凡な日常生活に起きる笑いを題材としたドラマだった。日活に入る前の和泉雅子が出演していた。若水ヤエ子や谷村昌彦や平凡太郎も出ていたと記憶している。

 そういえば金語楼は「ち、ち、血を増すマスチゲン」なんてクスリのCMソングも歌っていたっけ。

×  ×  ×

 訃報に接し山下敬二郎の「ダイアナ」をYouTubeで聴いてみた。懐かしい。軽快なリズムに乗った、少しハナにかかった歌声があった。

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2011年1月4日火曜日

加賀恭一郎と阿部寛

ちょいmemo:新参者・赤い指のデカ
 3日夜のTBS系「赤い指~『新参者』加賀恭一郎再び!」を観る。
東野圭吾「赤い指」=2010年3月2日当ブログで書評もどき記述
東野圭吾「卒業」=2010年1月16日当ブログで書評もどき記述
東野圭吾「嘘をもうひとつだけ」=2009年12月7日当ブログで書評もどき記述

 阿部寛の加賀恭一郎はなかなかハマリ役ですね。
「新参者」は日本橋署での事件ですが、この「赤い指」はその前の練馬署での出来事です。事件解決とは別に加賀の過去が明らかになっているのが興味深いです。

 加賀恭一郎ってこんなヒトを、ちょいmemoしましょう。

「赤い指」では、溝端淳平が演じた加賀とコンビを組む警視庁捜査一課の刑事松宮脩平は、加賀の従弟で、加賀の父・隆正(山崎努)を本当の父親のように敬愛していることが、わかりました。隆正も刑事だったのです。
 加賀と父・隆正とは、母の蒸発もあり、疎遠になっています。隆正は癌を患い余命いくばくもありません。加賀は父親をけして嫌いではありません。いつも見守っています。ドラマの最後の、病床の隆正の将棋の相手が加賀だと亡くなった後に判明します。父子の情愛が感じられ、泣かせるエピソードです。

×  ×  ×

 テレビドラマの「新参者」で、保険会社の男(香川照之)と剣道で立ち合うシーンがありました。『面』を決められた香川が、加賀に尋ねます。「剣道何段ですか」。加賀は「6段です。大学チャンピオンでした」と告げます。
 国立T大学生のころは、剣道に励み茶道を嗜んでいます。「卒業」では、茶道クラブを舞台に加賀恭一郎は初めての事件に出会い解決します。卒業後、教師になりますが、数年で退職。父親と同じ警察官の道を選びます。短編「嘘をもうひとつだけ」では、クラシックバレーが趣味で造詣も深いことがわかります。

*加賀恭一郎シリーズ(東野圭吾著)
・卒業
・眠りの森
・どちらが彼女を殺したか
・悪意
・私が彼女を殺した
・嘘をもうひとつだけ
・赤い指
・新参者

×  ×  ×

 阿部ちゃんにはこのシリーズをさらにドラマ化してほしい。事件を解くだけでない、人間の悩みに迫り優しい眼差しを注ぐ刑事・加賀恭一郎はハマリ役だよね。

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2011年1月1日土曜日

高峰秀子 FOREVER:銀座カンカン娘

 元旦の訃報に口ずさむ。
 ♪あの娘可愛や カンカン娘
  赤いブラウス サンダルはいて





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大ヒットした曲「銀座カンカン娘」を歌い同名映画に主演した日本映画を代表する女優、高峰秀子さん(たかみね・ひでこ=本名・松山秀子)が、2010年12月28日に亡くなった。86歳だった。大晦日の31日に代理人の弁護士から明らかにされた。よって、2011年1月1日付の新聞各紙に訃報が載った。
 1979年に女優業を引退、その後はエッセイストとして活躍していた。夫は映画監督の松山善三氏。※以下敬称略

「銀座カンカン娘」は作詞・佐伯孝夫、作曲・服部良一のコンビの作品で、1949年(昭和24年)の映画主題歌としてビクターレコードから発売され、主演の高峰秀子自らが歌い大ヒットした。映画「銀座カンカン娘」は同年に新東宝が製作し東宝が配給した。監督は島耕二だった。共演は笠置シズ子、灰田勝彦。
 同曲は井上陽水がカバーしている。

 邦画黄金期を支えた大女優だった。5歳で映画デビューし天才子役と謳われた。代表作は数多い。
・日本初の本格的カラー映画「カルメン故郷に帰る」(1951年・木下惠介監督)
・島の分校の女性教師と生徒の交流を描いた「二十四の瞳」(1954年・木下惠介監督)
・灯台守夫婦の物語「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年・木下惠介監督)
・小林桂樹とろう者夫婦を感動的に演じた「名もなく貧しく美しく」(1961年・松山善三監督)

×  ×  ×

「銀座カンカン娘」の歌詞が記憶に残っている。ヒットした当時は幼児だったのに、不思議なことだ。
「カルメン故郷に帰る」はストリッパー役だったなぁ。

 ♪カルピス飲んで カンカン娘
  一つグラスに ストロー二本

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