2010年10月9日土曜日

大沢親分が『たけし』になった

N新聞社怒鳴り込み事件で偲ぶ
『フライデー襲撃事件』をご記憶だろうか。人気絶頂の漫才師ビ―ト・たけしが、たけし軍団とともに写真週刊誌フライデー(講談社)を襲撃した事件である。1986年(昭和61年)12月9日未明のことだから、かれこれ四半世紀も昔のことだ。
 たけしが交際していた女性(一般の専門学生)を、フライデーの記者が強引な取材におよんだことで、たけしが抗議したのが事件の発端だった。どうように強引だったというと、その女性の手を掴み引っ張って、質問に応えさせようとしたらしい。

 たけしはのちの裁判(東京地方裁判所)から懲役6ヵ月(執行猶予2年)の判決を下った。控訴せず、刑が確定した。

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 立教大学からプロ野球の南海に入団した東実という左腕投手がいた。1957年(昭和32年)に南海入団し、通算2勝6敗の成績で1961年現役引退したから、地味な選手で知っていればかなりのプロ野球通である。
『親分』こと大沢啓二が立教大学から南海入団したのが、1956年だから直系の先輩になる。ちなみに長嶋茂雄は1958年に立教大経由で巨人に入団している。

 その東のプロ入りの際、大沢が間にはいり気の弱い東を脅かして南海に入団させた、という記事をN新聞社のT記者が書いた。これを読んだ、大沢が激怒し、N新聞社の編集局に怒鳴り込んだのだ。
 暴力行為はなかったが、局内の空気が凍りついたのではないか。

 この話を親分から直接聴いた。1970年初頭だったと思う。昔を懐かしむように語ってくれた。
 大沢の話を大先輩のTさんに伝えると、「間違いない」と苦笑いしていた。また彼も懐かしむようであった。

 大沢、Tさん、どちらの言い分が正しかったのか。同じブンヤとしてTさんに肩を持つ。かなり強引に東を誘ったに違いないとみた。

 おそらく『怒鳴り込み事件』は1957年ごろだったろう。大沢が南海2年目である。ぺいぺいの社会人が到底できる芸当?ではなかろう。
 血気盛んな闘将の器だったと想像される。

 大沢親分が『たけし』になったのではない。たけしが親分を真似たのだ(笑)。
 親分が亡くなり、やたら武勇伝ばかりが思い出される。「悼む」という原稿としては、いささか特種ですが、ご冥福をお祈りします。※敬称略

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