2010年5月11日火曜日

島野修と星野・田淵・コージ

1968年ドラフト同期生
 巨人のドラフト1位指名選手で阪急のブレービーとして活躍した島野修(しまの・おさむ)が亡くなった。2010年5月8日のことだった。59歳だった。
 1968年(昭和43年)のドラフト会議で読売ジャイアンツに1位を受け神奈川・武相高校から入団、プロ3年目の1971年に初登板初勝利を飾ったが、芽が出ず阪急ブレーブスに移籍、在籍3年で引退した。
 生涯通算成績は24試合登板、1勝4敗、防御率は5.05だった。
 選手時代に華やかな成績は残せなかったが、1981年~1998年の17年間『ブレービー』『ネッピー』の球場キャラクターとして活躍した。

×  ×  ×

★1968年のドラフト1位指名選手(指名順)
・東映:大橋穣(亜細亜大学)内野手
・広島:山本浩司(法政大学)外野手※のちに「浩二」と改名
・阪神:田淵幸一(法政大学)捕手
・南海:富田勝(法政大学)内野手
・サンケイ:藤原真(全鐘紡)投手
・ロッテ:有藤通世(近畿大学)内野手
・近鉄:水谷宏(全鐘紡)投手
・巨人:島野修(武相高校)投手
・大洋:野村収(駒澤大学)投手
・中日:星野仙一(明治大学)投手
・阪急:山田久志(富士鉄釜石)投手
・西鉄:東尾修(箕島高校)投手

 そのとき巨人から指名を期待した星野仙一は「星と島を間違えたのではないか」と吐いたという。この悔しさをバネに星野は中日エースに伸し上がり、『巨人キラー』となった。
 それにしても1968年のドラフト会議は、綺羅星の如く輝くスター軍団揃いではないか。大豊作だった。

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