2010年1月30日土曜日

J・D・サリンジャーの死

  世界的なベストセラー『ライ麦畑でつかまえて』で知られるJ・D・サリンジャーが2010年1月27日、米国北東部ニューハンプシャーの自宅で老衰のため亡くなった。91歳だった。社会から身を潜めた隠遁生活を送る伝説の作家だった。





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『ライ麦畑でつかまえて』The Catcher in the Rye は1951年に出版され、若者から圧倒的な支持を受け現在までに全世界で約6,000万部も発行されている。日本では1964年(昭和39年)に野崎孝の訳で『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルで世に出ており、2003年には村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が出版され、およそ半世紀にわたり世代を超えて愛読されている。

 学業成績が悪くボーディング・スクール(寄宿学校)を退学させられた16歳のホールデン・コールフィールドが実家に戻るまで、ニューヨークの街を彷徨する3日間を描いている。

×  ×  ×

 昭和43,44年に読んだ。大学生ころだった。サリンジャーが発表した1951年は昭和26年で、野崎孝訳も昭和39年だから、すでに時間が経っていたが、実に鮮烈にアメリカの若者の生態が伝わってきた。あのころ、USA留学に憧れた。物質的に豊かで、洗練された文化があり、夢があった羨望の国だった。

 野崎孝訳で読んだ。英語を学んでいたものの、情けないことに、英語の原書ではほとんど読まなかったなぁ。原書を読みこなす英語力がなかった。

 アーネスト・ヘミングウェイも、F・スコット・フィッツジェラルドも、ジョン・スタインベックも、トルーマン・カポーティも……主だったアメリカ文学作品は日本語訳だった。
「諸君は英語英米文学を専攻しているのではない。原書を読まず、英語邦文学科の学生だ」と大学の先生に皮肉を言われたことがあった。

 青春小説の巨匠の訃報に、今朝のコーヒーはビターな味わいだった。

2010年1月28日木曜日

居眠り磐音「更衣ノ鷹」上

おこんが拐された

 佐伯泰英の“居眠り磐音江戸双紙シリーズ第31弾「更衣ノ鷹」(上)”(双葉文庫)を読む。シリーズ初の上下巻の構成となっている。

 文武に優れ聡明な家基を次期11代将軍に据えようとする佐々木玲圓と磐音父子と、幕政を私物化し阻もうとする田沼意次一派の攻防が激しさを増す。
 前編で対決した伝説の老剣客・丸目高継がそのときの傷がもとで死んだことを、孫娘の歌女から磐音は知らされる。歌女は磐音への憎しみを募らせる。意次派の陰謀がじわじわ迫り、桂川国瑞が家基の御典医の座を、そして磐音の剣術指南役を外された。いまや家基の身を死守するのは依田鐘四郎のみとなった。そんな状況のなか愛妻おこんが意次の愛妾『神田橋のお部屋様』の手により拐(かどわか)された……。

 福岡入りした『やせ軍鶏』こと松平辰平や、槍折れの達人小田平助の武勇エピソードが挿入されている。

×  ×  ×

 10代将軍・家治の嫡男である家基は安永8年(1779年)鷹狩りの帰路、体調不良となり3日後に亡くなっている、という動がし難い史実を佐伯泰英はどのように脚色するのだろうか。と、期待を込めつつ下巻に突入する。
2010年1月26日読了更衣ノ鷹(上)ー居眠り磐音江戸双紙(31) (双葉文庫 さ 19-35)

2010年1月26日火曜日

大河「龍馬伝」あれこれ

玄武館&「汗血千里駒」
 
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」は、第4回放送(1月24日)で坂本龍馬がいよいよ江戸に入った。千葉定吉道場に入門し、『鬼小町』と言われる定吉の娘、佐那から剣技の洗礼を受け、また飲屋では桂小五郎と出逢うエピソードが描かれた。

×  ×  ×

 千葉定吉は千葉周作の弟で『小千葉』と言われた北辰一刀流の剣豪だった。佐那(さな子)は二女だった。定吉の道場は桶町にあった。周作の開設したのが有名な玄武館。日本橋品川町にあり、後に神田お玉ケ池に移転した。
 三波春夫の「大利根無情」(作詞・猪又良、作曲・長津義司)の台詞に出てくるので、「お玉ケ池」の馴染みを感じる。玄武館で名を馳せた剣士も渡世人の用心棒に身を落とした。利根の川原では、よしきりが我が身を責めるように鳴いている。江戸の方角、西空に茜雲がたなびいている。
『思い出すな……。お玉ケ池の千葉道場か。平手造酒も今じゃやくざの用心棒…人生裏街道の枯落葉か』――なんちゃって、ね(笑)。

 幕末の三大道場といえば、玄武館のほかに練兵館と士学館がある。
 練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎が開設した。桂小五郎(木戸孝允)は塾頭だった。士学館は鏡新明智流の桃井春蔵が開設した。龍馬の友、武市半平太は士学館で学んでいる。『位は桃井、技は千葉、力は斎藤』と三者三様に剣技の持ち味を評された。

×  ×  ×

「龍馬伝」は大三菱の創業者、岩崎弥太郎の視点から坂本龍馬の生きざまを描いている。ドラマは高知県土陽新聞社の記者、坂崎紫瀾が明治15年(1882年)、郵便汽船三菱の社長・岩崎に龍馬について取材するところから始まった。
 龍馬を描いた最初の伝記小説「汗血千里駒」は、坂崎紫瀾の手で明治16年から土陽新聞で連載された。坂崎はペリーが来航した嘉永6年(1853年)の生まれで、大正2年(1913年)に没した自由民権運動家であったが、人材多彩な幕末の人物列伝のなかで最初に龍馬を見出した御仁であることを認識したい。

 龍馬は、坂崎が目を付け、司馬遼太郎の筆による「竜馬がゆく」で日本史上最も愛されるヒーローになったと言える。ちなみに「竜馬がゆく」は数多い司馬作品のなかで最大のベストセラーで、現在までの2,000万部を超えて発行されている。

2010年1月23日土曜日

ブラタモリ浅草編に学ぶ

伝法&江戸千両トライアングル

 「ブラタモリ」1月21日放送の『浅草』編を観る。博識のタモリが独自の視点で街歩きするNHKのテレビ番組(木曜日・午後10時)が好きで毎週のように視聴している。今回は年明け初めての放送だった。
 伝法院の庭が立派なのには驚いた。非公開だが、公共放送のご威光か、許されて入園となったようだ。「東京にはいい庭園は皆無」とまで言うタモリが唯一名園かもしれないと、秘かにコネをつけ観たいと思っていたという。さすがに雑踏の浅草のど真ん中に静かに佇む“秘園”の趣(おもむき)を呈していた。

 伝法院といえば、「伝法」という言葉を思い出した。粗暴で無法な振る舞いをすることを言い、「伝法な男」などと表現するが、ここが語源だった。江戸のその昔、伝法院の寺男が寺の威光をかさにきて、境内の見世物小屋や飲食店で無法な振る舞いをしたところから、由来している。

×  ×  ×

 番組から知り得た知識だが、江戸にはかって三つの千両を稼ぐ町があったそうな。日本橋、猿若町、そして吉原だ。日本橋には魚河岸があった。1923年(大正12年)関東大震災で日本橋魚河岸が壊滅状態になり、現在の築地に移っている。猿若町は江戸三座といわれる「中村座」「市村座」「河原崎座」(森田座)があり、芝居見物の人で賑わった。吉原はご存知の花魁の色里。朝・昼・夜に千両が動く繁栄の千両町が江戸には存在した。特に猿若町、吉原、浅草寺を結んだトライアングルは江戸一番の繁華街ゾーンだった。

 なかなか勉強になる番組なのです。

2010年1月21日木曜日

武宮敏明:ちょいmemo

映画では小林旭が演じた

 読売ジャイアンツの合宿所寮長を29年間務め、常勝巨人を陰で支えた功労者、武宮敏明(たけみや・としあき)が2010年1月15日に亡くなった。88歳だった。

×  ×  ×

 思い出したことがある。
・ニックネーム命名の名手
 183㌢86㌔体躯ながら気の優しさから「メリーちゃん」といわれた下手投げ投手、渡辺秀武をご存知だろうか? 巨人―日本ハムー大洋―ロッテ―広島と渡り歩き19年間も現役生活を送った。巨人在籍の1970年(昭和45年)には23勝を稼いでいる。渡辺の「メリーちゃん」は武宮敏明が命名者である。
 渡辺は気の弱さから巨人入団後芽が出なかった。当時、バヤリースオレンジのテレビCMに出演しているチンパンジーの「メリーちゃん」を見て、「渡辺に似ている」と言ったことがニックネームの由来だそうだ。

 現役時代は大毎ミサイル打線の4番で「打撃の職人」「シュート打ちの名人」といわれ、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回に輝いた山内一弘だが、監督コーチになってからは「かっぱえびせん」の異名をとった。巨人で打撃コーチを務めていたころ、指導が熱心でなかなか「やめられない、とまらない」状態となった。そばで見ていた武宮寮長が「まるで“かっぱえびせん”のようじゃなぁ」と言ったのを、担当記者が聞きつけ記事したところ、テレビCMで流行っていたフレーズでもあり、あっという間に広まった。

川上哲治の2年後輩
 武宮は熊本工業出身で捕手だった。奉天満鉄倶楽部、九州産業交通を経て戦後の1947年(昭和22年)に巨人に入団した。V9監督・川上哲治は熊本工の2年先輩で、投手だった。巨人に入団後も、貴重な左腕として4年間で11勝を記録している。熊本工―巨人でバッテリーを組んだのは、強肩強打のファイター吉原正喜だった。吉原は1944年戦死したが、殿堂入りを果たしている。
 1957年、当時の巨人不動の4番で「打撃の神様」といわれていた川上の半生を描いた映画「川上哲治物語 背番号16」が日活で製作された。川上役は川上本人が演じた。恐ろしく台詞の少ない主役だった。
 妻には新珠三千代、同僚の吉原には宍戸錠、そして武宮役にはあの小林旭が扮したのである。小林は1959年の「南国土佐を後にして」(ペギー葉山の同名ヒット曲の映画化)が興行的に大当たりしてスターダムにのし上がったが、まだマイトガイ旭の売れる前のことだった。

2010年1月19日火曜日

反骨のエース小林繁死す

「亜紀子」の意味深な歌詞

 歌声がやるせない。
 ♪恨むことさえ 知らずに一人
  待っているのか 帰る日を
 訃報に接し、小林繁の歌う「亜紀子」を聴いてみた。

「空白の1日」事件で江川卓の身代わりとして読売ジャイアンツから阪神タイガースに移籍した小林繁(日本ハム投手コーチ)が急逝した。2010年1月17日のことだった。死因は心筋梗塞による心不全で、57歳だった。若すぎる死だった。

 阪神に移籍した1979年、因縁の巨人戦に8連勝し22勝を記録した。あの熱投は忘れられない。サイドハンドから細身を振り絞って投じる球に魂が乗り移っていた。あれは反骨の炎だったのか。

「亜紀子」はその1979年のシーズン後に吹き込んだ。作詞は八谷けい、作曲はあのクールファイブの内山田洋だった。小林の歌は素人とは思えないほど巧かった。

♯ ♯ ♯

 バーの片隅で佇む女がいる。別れた男は待っている。逢えない宿命(さだめ)と知りながら、帰る日を待つ女心。グラスの酒に身を任す、なんちゃって、ね。

 当時の巨人監督、長嶋茂雄サンちの奥さんも亜希子だったなぁ。冒頭の歌詞は3番で、なんとなく「意味深」だよね。
 ♪教えてやりたい 亜紀子
  亜紀子 亜紀子
 咽(むせび)なくように「亜紀子」を歌う小林がYouTubeから流れていた。

2010年1月18日月曜日

古田昌幸と立大の球侍

特別表彰で野球殿堂入り

 2010年度の野球殿堂表彰者が1月12日発表された。特別表彰には、アマチュア野球一筋に、学生、社会人で選手、監督として活躍した故・古田昌幸氏(1999年死去)が選ばれた。競技者表彰のプレーヤー部門には、西鉄や西武のエースとして通算251勝をあげた東尾修氏(59)が選ばれ、エキスパート部門では、中日とロッテで史上初の両リーグ首位打者を獲得した故・江藤慎一氏(2008年死去)が選出された。

×  ×  ×

 古田昌幸はプロ野球には入らなかったが、170センチ60キロと小柄ながら、華麗な守備と勝負強い打撃で「プロ以上の二塁手」と言われた。1933年熊本県出身。九州学院から立教大学、熊谷組とアマ野球一筋で活躍した。『ミスター都市対抗』の異名もあり、都市対抗には16回(うち監督兼任で10回)出場している。とくに監督兼二塁手として出場した1966年は準々決勝の延長13回にサヨナラ3ランを放ち、準決勝、決勝でもサヨナラ勝ちを収め優勝し、橋戸賞に輝いた。42歳までプレーした。
 
 草野の記憶に留めたいのは、立教大時代のことである。1955年(昭和30年)古田が4年生のとき、後に六大学野球記録の通算8ホーマーを記録した長嶋茂雄(読売入団)は2年生だった。『ミスタープロ野球』は『ミスターアマ野球』の2年後輩だった。
 古田の同期の4年生には大沢啓二(南海入団)がいた。長嶋の同期の2年生には、投手に杉浦忠(南海)、遊撃手に本屋敷錦吾(阪急)の立大三羽ガラス、さらに投手の拝藤宣雄(広島)がいて、3年生には外野手の矢頭高雄(大映)、投手の堀本律雄(読売)、さらに1年生には捕手の片岡宏雄(中日)と、懐かしい多士済々が顔を揃えていたのだった。

大沢啓二:神奈川県出身。頭脳的な守備で鳴らした外野手。南海―東京でプレーし、東京、ロッテ、日本ハムで監督コーチ。1981年日本ハムで指揮、リーグ優勝を果たす。
杉浦 忠:愛知県出身。球威のある下手投げ投手。南海で13年間プレーし187勝を記録。1959年の日本シリーズ4連投4連勝は語り草になっている。最多勝・最高勝率・最優秀防御率を各1回、最優秀選手1回を獲得。近鉄、南海、ダイエーでコーチ、監督を務める。1995年殿堂入り。
本屋敷錦吾:兵庫県出身。巧手の内野手。阪急、阪神でプレー。阪神、阪急でコーチを務める。
拝藤宣雄:鳥取県出身。投手。広島で4年間プレーし、12勝を稼ぐ。
矢頭高雄:山梨県出身。外野手。大映、大毎、東京で11年間プレー。ロッテ、日本ハムでコーチを務める。
堀本律雄:大阪府出身。投手。読売、大毎、東京で6年間在籍、1960年に29勝を記録し新人王・最多勝・沢村賞に輝く。大洋、日本ハムでコーチを務める。
片岡宏雄:岡山出身。捕手。浪商・立大を経て中日入団。国鉄でもプレー。ヤクルトのスカウトを永らく務める。

 昭和30年春季リーグ、立教大の監督は砂押邦信だったが、秋季には辻猛に代わっている。スパルタ式猛練習で長嶋らを鍛え上げ、黄金期の基礎を作った『鬼の砂押』だったが、厳しすぎる反動からか夏に大沢啓二ら上級生から排斥運動が起り、当時の立教大総長の松下正寿まで巻き込む騒動となり、退任を余議なくされた。砂押は後に国鉄、サンケイで監督、コーチを務めている。

 上記の多彩なメンバーにあって古田昌幸は率先垂範のリーダーであった。

2010年1月16日土曜日

東野圭吾:「卒業」

  東野圭吾の「卒業―雪月花殺人ゲーム」(講談社文庫)を読む。加賀圭一郎、最初の事件。
  シリーズはここから始まった。
 教師を経て刑事になる加賀は国立T大生として登場する。
 卒業を間近に控えた大学4年の秋、仲よしグループのひとり牧村祥子が女子専用アパートの自室で、死体で発見された。現場の状況は自殺を窺わせたが、警察は他殺の線も捨てず両面の捜査を続けていた。加賀は親友・相原沙都子と真相解明に乗り出すが、恩師・南沢雅子の誕生日を祝う茶会でまたしても仲間の金井波香が亡くなる悲劇が起った。波香は自殺なのか、他殺なのか。他殺だとすれば、状況から犯人は仲間のうちの誰かとなる。そして、祥子の死との関連はあるのか。

×  ×  ×

加賀圭一郎シリーズ
・卒業
・眠りの森
・どちらが彼女を殺した
・悪意
・私が彼を殺した
・嘘をもうひとつだけ
・赤い指
・新参者

 シリーズものは、主人公・加賀の性格・経歴も後々のためにチェックしたい。
・剣道は全日本大学選手権を制する大学一の剣士にして、茶道を嗜む。
・相原沙都子にプロポーズした。
・警察官の父親と二人暮らしである。

×  ×  ×

 副題となっている「雪月花之式」、茶道のトリックは複雑なため図入り説明があるが、頭の悪い草野球音には解りにくかったなぁ。
2009年1月15日読了卒業 (講談社文庫)

2010年1月12日火曜日

福田靖:大河「龍馬伝」

NHK大河「龍馬伝」

「坂本龍馬は嫌いだった。あんなに腹の立つ男はおらんかった」――という岩崎弥太郎だが、その表情は何故か笑っていた。
 明治15年(1882年)、郵便汽船三菱社長の岩崎は高知県土陽新聞社の記者・坂崎紫瀾から取材を受ける。郷土の維新志士、坂本龍馬について調べているという坂崎に、岩崎が虚空を見つめながら回想する。
 こうして、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」は始まった。

「龍馬伝」は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の視点から坂本龍馬を描くオリジナル作品で、福田靖(ふくだ・やすし)が脚本を担当している。「HERO」「ガリレオ」「救命病棟24時」などテレビの高視聴率ドラマの脚本家だ。映画では、「陰陽師」「海猿ウミザル」「容疑者Xの献身」なども手掛けている。
 龍馬役は福山雅治、岩崎役は香川照之、龍馬の初恋の人・平井加尾役は広末涼子が演じている。

×  ×  ×

 坂本龍馬といえば、なんといっても司馬遼太郎の歴史小説「竜馬がゆく」が有名だろう。ぼさぼさの髪、けして清潔とはいえぬ風体、土佐弁丸出しで粗野な立ち振る舞いながら優しく、人間味に満ち、男にも女にも惚れられる“龍馬像”が世間一般に知られるが、このイメージは司馬作品から生まれたと言っても過言ではない。
 本来は坂本「龍馬」であり「竜馬」ではないが、司馬が敢えて「竜馬」と表題に謳ったのは、歴史上の人物とは違う小説上の英雄を描くためと言われている。

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「龍馬伝」は福田靖のオリジナル作品だけに、脚本がドラマの成否のカギを握っているようですね。ちなみに、1月3日放送のドラマ第1回視聴率は(ビデオリサーチ調べ・関東地区)は23.2%だった。これから真価が問われるわけですが、龍馬役の福山雅治はイメージと違うなどと喧しいけど、新しい龍馬像を描く狙いの配役とのことですので、土佐藩の一介の下士が、古い衣を着た日本を「洗濯いたし申し候」と決意し維新の夜明けに奔走した“龍”に化けるサマを黙って見届けたいと思います。

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 蛇足ながら、三菱のマーク「スリーダイヤモンド」は、土佐藩山内家の家紋「三ツ柏」と創業家の岩崎家の「三階菱」を組み合わせ、岩崎弥太郎自身が考案したそうです。

2010年1月9日土曜日

セドナ:ちょいmemo

ヴォルテックス点在

 知る人ぞ知る観光地で、数年前から人気が高まっていた。アリゾナ州のセドナというが町が俄かに脚光を浴びている。このほど親密な交際が明るみとなった歌手の安室奈美恵とお笑いコンビ「ロンドンブーツ1号2号」の田村淳が、とかく人目に付きやすい日本を離れ、愛を確かめ合ったデートの地なんだそうな。今年、人気の観光スポットになるのではないか。

 セドナは地図で見れば、アメリカ南西部、アリゾナ州中北部にある町で、アリゾナ州の州都フェニックスから北へ車で2時間、グランドキャ二オンから南へ2時間の位置にある。鉄分が多く含有されることで生まれた赤い岩山、低木の緑に囲まれた景観を呈している。その昔、ネイティブアメリカンが神聖な地と崇め、儀式を執り行われていたスピリチュアルスポットで、地球の磁力が渦巻いていて癒しの効果があるといわれるvortex site(ヴォルテックス)が点在している。代表的なヴォルテックスは、ベルロック、エアポートメサ、カセドラルロック、ボイントンキャニオンの4箇所である。このヴォルテックスに身を置き精神を清めるツアーもある――アリゾナ州セドナ商工会議所観光局公式ウェブサイト参照。

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 30余年前、アリゾナに行ったことがある。美しい州都フェニックス、ヤクルト・スワローズのキャンプ地だったユマ、アリゾナ州立大学のあるテンピ、西部の町のようなツーソン……懐かしく思い出す。
 あのころ「聖地セドナ」を旅する日本人はいたのだろうか。

2010年1月7日木曜日

上田秀人「密封 奥右筆秘帳」

歯応え十分な作品
 
 上田秀人の「密封 奥右筆秘帳」(講談社文庫)を読む。

 横浜駅東口・そごう横浜7階にある「紀伊国屋書店」は馴染みの本屋で、近所なので週1程度の頻度で覗(のぞ)く。文庫を中心に、気に入った本を1,2冊買う。一度にたくさんは買わない。なぜなら、本屋に行くことが趣味みたいもので、読み終わった後にさて次はなにを読もうか、その都度選ぶ過程が楽しみなのだ。
 上田秀人の本は初めて読むが、以前から気になっていた。「奥右筆秘帳」という文庫書下ろしシリーズが、
・密封 
・国禁 
・浸蝕 
・継承
と4冊も並んでいる。佐伯泰英、鳥羽亮など文庫の時代小説シリーズを抱える作家は売れ筋で、それはとりもなおさず“シロイヌ”と睨んでいた。

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 徳川11代将軍家斉の時世。歴史的には“オットセイ将軍”の異名を持ち53人の子供を儲け、将軍在任50年の最長記録を持つ御仁である。田沼意次の重商主義政治が終ったのち、その反動から倹約を旨とする「寛政の改革」を実施した松平定信もまた老中職を降りた時代が物語の背景となっている。
 江戸城の公文書類決裁に関わる奥右筆組頭の立花併右衛門は、権勢を誇った田沼意次の孫・意明(おきあき)の死亡届をみて、12年前に殿中で若年寄・意知(おきとも)が旗本・佐野善左衛門に刺殺された事件に疑惑をはさむ。その夜城から麻布箪笥町の屋敷の帰り途、何者かに併右衛門は襲われる。生命の危機を感じた併右衛門は、涼天覚清流の剣術遣いで隣家に住む柊(ひいらぎ)家の次男、衛悟(えいご)に護衛を頼む。二人は幕政の闇に巻き込まれていく――。
 併右衛門の気丈で美人な一人娘瑞紀(みずき)、徳川将軍家斉、政治に口出しする家斉の実父・一橋民部卿治済(はるさだ)、閑職となった松平越中守定信、大太刀を遣う居合の達人・冥府防人など魅力的な登場人物が、併右衛門と衛悟にからむ。

×  ×  ×

 文庫カバーに書かれた筆者紹介によると、上田秀人は1959年大阪府生まれ。大阪歯科大学卒。府下で歯科医院を開業する歯医者さんだそうだ。さすがに『歯応えのある作品』に仕上がっている(笑)。
2010年1月6日読了密封<奥右筆秘帳> (講談社文庫)

2010年1月4日月曜日

仏から神へ初詣宗旨替え

バチあたりにも大吉のご託宣

 初詣は元旦にほろ酔いで近所の洲崎神社に参った。旧東海道は、日本橋から数えて品川、川崎の、3番目の神奈川宿にある神社で、江戸の昔は多くの人が行き交ったそうな。横浜駅から徒歩10分ほどの位置にありながら、地味に佇んでいる。
 以前は川崎大師(平間寺)に参拝していたが、混雑ぶりを敬遠し、寺から神社への宗旨替えだ。これって、バチあたりなのだろうか。いや、これこそが日本人の特性でないのか。
 日本人の宗教心はいい意味で寛容、悪く言えばいい加減なところがあるよね。教会で愛を誓い結婚したカップルも、死ぬ時はお経に送られ仏サンになる。
 八百万の神(やおよろずのかみ)という思想は日本古来からのもので、神道における神サマの概念だそうだ。万物に神々が宿っているという考え方だ。
 仏教が、そして後世にキリスト教が伝来しても、多少の“宗教内乱”は歴史的にあったにしろ、日本人は他国と比べより寛大に受け入れてきたと思う。

 文部科学省の宗教統計調査(平成19年度調査結果―平成18年12月31日現在)によると、日本における宗教団体の総数は、
・神社(神道系)81,295
・寺院(仏教系)77,158
・教会(キリスト教系)6,995
となっている。1県あたり神社は約1,700、寺院は約1,600も存在する計算だ。教会でさえ約150近くあるのだ。ちなみに全国の郵便局総数は、平成19年10月1日現在24,540局で、神社や寺院の総数は3倍強も上回る。外国の例はわからないが、百花繚乱の様相でこんな具合に神サマもお釈迦サマもイエス様も共存共栄している国はないのではなかろうか。

×  ×  ×

 八百万(やおよろず)とは、デジタル大辞泉を引くと「数の多いこと。多数。無数」とある。八百も同義で、嘘ばかりのでたらめを「嘘八百」と言い、町の多い江戸を「江戸八百八町」、橋の多い大坂を「大坂八百八橋」と表現される。また仏語で、煩悩のために受ける数多くの苦しみを、地獄にたとえて言う「八万地獄」「八万奈落」の言葉もある。

×  ×  ×

 自己都合で宗旨替えしたバチあたりにも、神サマは寛大で、洲崎神社で引いたおみくじは「大吉」だった。
 こいつぁ春から縁起がいいわい