2009年9月27日日曜日

土井正三の死とイチロー

氷解そしてリスペクト

「才能を見いだせなかった人物として知られるが…」の問いに、イチローは「そうじゃないのにねえ」と短く返したそうだ。
 巨人V9戦士として知られる土井正三が、2009年9月25日死去した。67歳だった。
 イチロー取材の日本人記者はこぞってリアクションを求めたことだろう。米国現地25日(日本時間26日)トロントでのブルージェイズ―マリナーズ戦後、静かなクラブハウスで、そのときが訪れた。確執とも言われた複雑な人間関係におよぶ質問を投げた記者連に常にない異様な緊張感が走ったと、推測する。
×  ×  ×
 土井は1991年から3年間オリックス・ブルーウェーブの監督を務めている。1992年入団のイチローは2年間配下にいたことになる。当時の登録名は鈴木一朗だった。92年は7月に一軍昇格し、40試合で95打数24安打、打率.253、盗塁3という記録を残す。期待された93年は開幕スタメン(9番センター)で起用され、野茂英雄からプロ初本塁打を放つなどしたが、43試合で64打数12安打、打率.188と振るわず二軍生活を余儀なくされた。ただしファームでは92年から93年にかけ46試合連続安打、92年のジュニア球宴では代打本塁打を放ちMVPを獲得するなど非凡さを見せている。
 イチローと改名して大活躍したのは、94年仰木彬が監督に就任してからで、つまり芽が出なかった2年間を評して「才能を見つけられない」指揮官と土井はレッテルを貼られた。
 その評判をイチローは否定し、土井に哀悼の意を表したのだった。
×  ×  ×
 デリケートな問題ながら、これは伝聞である。
 1993年に二軍降格を言いわたされたイチロー(当時鈴木)は、泣いて監督の土井に残留を懇願した。また、「振り子打法」を否定され打撃フォームの改造・修正を求められたが、イチローは断固拒否し続けた。
 イチローが大リーグに活躍の場を移した2001年のこと。アリゾナ州ビオリアのシアトル・マリナーズのキャンプ地を土井が視察した際、互いに存在を確認したものの、挨拶には歩み寄らなかった。
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 土井はイチローの将来性を認めていたとのちに発言している。大成とともに、イチローは過去の細事に拘らぬ人物に成長した。
 二人の間には“溝”が存在した、と草野球音は睨む。
 2001年には互いにその溝を埋める一歩を踏み出せなかった二人である。
 訃報がそれを氷解し、一流野球人同士の“リスペクト”をもたらした。

2009年9月24日木曜日

高橋克彦「だましゑ歌麿」

もとの濁りの田沼恋しき


 高橋克彦の「だましゑ歌麿」(文春文庫)読む。「だましゑシリーズ」の発端となる作品。「千に一つの目こぼしがない」南町奉行所の定町廻り同心、仙波一之進が主人公で、「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」などはそのスピンオフ作品である。
 水谷豊が17年ぶりに出演した時代劇、TVドラマ「だましゑ歌麿」(2009年9月13日記)で触れたが、江戸一番の人気絵師、喜多川歌麿の妻おりょうが大嵐の夜に殺され、事件の幕が開く。現場で見つけた髑髏(どくろ)の根付が付いた印籠を手掛かりに、真相を追う仙波の前に、やがて黒幕の正体が浮かび上がる。一同心の意地が、強大な権力と対峙する。

 作り物のキャラクターと歴史上の人物が巧みにクロスオーバーしているのが、小説の魅力となっている。
・仙波一之進:男っ気のある同心でご政道の改革に疑問を抱く
・仙波左門:一之進の父親で隠居。知恵があり、槍の名手でもある
・おこう:柳橋の売れっ子芸者。一之進に惚れる
・菊弥:一之進の使っている小者
・中山格之助:火附盗賊改、召取同心。一見、気弱な優男。
と、上記の架空の登場人物が歴史に絡む。
 10代将軍家治が死去し田沼意次が失脚したのち、11代将軍家斉のもとで白河藩主から老中首座になった松平定信は逼迫した幕政を建て直すため寛政の改革を実施した。質素、倹約を旨とし文武を奨励する。改革は厳しく、贅沢品(庶民の絹物など)を禁じ、出版・言論にも統制が加えられた。版元の「蔦重」こと蔦屋重三郎は、山東京伝の洒落本の出版で財産半減の過料を科せられ、京伝は手鎖50日の処罰を受けた。そして喜多川歌麿の絵画も改革の妨げと見做されるようになった。そんな社会情勢が小説の舞台となっている。
 さらに、
・春朗:のちの葛飾北斎。歌麿も風景画の才を認める。一之進の探索を手伝う
・長谷川平蔵:鬼と言われる火附盗賊改の長。「鬼平犯科帳」とは違うキャラ
の2人も登場し、時代小説ミステリーを盛り上げる。
 「だましゑ歌麿」を読めば、必ずや「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」などスピンオフ作品が読みたくなるだろう。
×  ×  ×
 『白河の清きに魚の住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき』なんて狂歌がありましたよね。大田南畝(おおた・なんぼ)の作でしたっけ。
2009年9月23日読了

2009年9月22日火曜日

温故"痴"新:西田佐知子

珈琲伝来は大化の改新のころ!?

 ♪初めて街で いつもの酒
  やぁ~ぱり おれは菊正宗~
 近ごろジェロの歌声がテレビから流れている。あれって西田佐知子が歌っていたヤツだよね。
 テレビ画面には「菊正宗創業350年」とあり、キクマサって、そんな歴史が古いのかと、妙に感心する。草野的には蕎麦屋の酒という印象で、経験則では蕎麦屋で酒を注文するとキクマサが出てくる場合が多い。粗塩を舐めながら冷えた樽酒を飲(や)るのもいいですな。杉の香が口中に広がる。
 「♪菊正宗」の原曲は「初めて街で」で、作詞は永六輔、作曲は中村八大。坂本九の歌唱で、世界的に大ヒットした「上を向いて歩こう」(別名スキヤキ、SUKIYAKI)を世に出した「六・八」名コンビだ。

 さて西田佐知子である。愛称「サッチン」。最近は司会ばかりで俳優をとんと御無沙汰の関口宏の奥さん。義父は松竹のスター俳優・佐野周二で、息子は関口知宏。1971年(昭和46年)結婚後、芸能活動を激減させ、専業主婦の道を選んだ。NHK紅白歌合戦10年連続出場したスター歌手だった。代表曲は「アカシアの雨がやむとき」(作詞・水木かおる、作曲・藤原秀行)だろう。「エリカの花散るとき」「くれないホテル」も記憶に残る。気になるのは、外国のカバー曲「コーヒー・ルンバ」(作曲・ホセ・マンソ・ペローニJ・M・PERRONI、作詞・中沢清二)だった。
 ♪昔アラブの偉い お坊さんが
  恋を忘れた あわれな男に
  しびれるような 香りいっぱいの
  琥珀色した 飲み物を教えてあげました
 1961年のヒット曲です。物語のような歌詞で、魅惑のドリンクで男はたちまち若い娘に恋心を抱く。そのドリンクこそ、
 ♪それは素敵な飲み物 コーヒーモカマタリ
となるわけだが、耳には「珈琲も鎌足」と聴こえてくるのだ。
×  ×  ×
 「コーヒー」と「カマタリ」――。
 ?……?
 「カマタリ」⇒「鎌足」といえば中臣鎌足(なかとみのかまたり)となりし、コーヒー伝来は大化の改新のころ? なんてぇことに発想が膨らんだ。
 カマタリは、中大兄皇子(後の天智天皇)とともに蘇我氏を滅ぼした政変劇の主役の一人で、藤原氏の始祖である。
 蘇我蒸し殺す大化の改新と覚えた645年、コーヒー伝来の次期としては早すぎよう。ついでに、「なんとキレイな平城京(710年)「鳴くよウグイス平安京(794年)」なんて歴史年号の記憶方法もありました。
 コーヒーの日本伝来は諸説あるようだが、江戸時代初期、オランダ人から長崎に持ち込まれたのが最初といわれている。空耳で聴こえた「珈琲も鎌足」から妙な発想を飛躍したが、「コーヒー・モカマタリ」であることがわかったのは、「コーヒー・ルンバ」のヒットが下火になったころで、西田佐知子に悪いことをした(笑)。
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 イエメンの港町モカはコーヒーの輸出港で、イエメン産と対岸のエチオピア産のコーヒーを総称して「モカ」と呼び、イエメン産のコーヒー豆を特に「モカ・マタリ」と珍重される。さわやかな香りと強い酸味が特徴で、その「No.9」は最高級品だそうだ。
 西田佐知子――温故“痴”新の旅でした。

2009年9月18日金曜日

愛犬は晴れの日に逝った

アルフィーに感情移入

 鳩山由紀夫首相が東京・田園調布の自宅で飼っていた愛犬アルフィーが、首相誕生直後の2009年9月16日夕に死んだ。衆院本会議の首相指名選挙の傍聴後、帰宅した幸(みゆき)夫人に看取られて息を引き取ったという。数日前から体調を崩していた。老衰。12歳だった。
 アルフィーはゴールデンレトリバーのオスで、旧民主党を結党した1996年に生まれた。官邸に引越し後も「ファーストドッグ」として一緒に暮らす予定だった。彼の死はすぐに首相に知らされたが、皇居での認証式、記者会見をこなした。
 それは「晴れ姿」を見届けるような死だった。
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 犬にも飼い主の思いが伝わるのだろうか。結党から政権交代という悲願までの道程を、身近にいて観てきた愛犬が、首相指名を受けた直後に世を去った。偶然と言う人もいるだろうが、見えない糸に結ばれていたという気がするのだよね。
 我が家のポメラニアンも14歳8カ月と高齢です。目を耳も鼻も利かなくなりました。親の介護とは幸い無縁でしたが、犬の介護を覚悟しています。
 感情移入させられるニュースでした。

2009年9月13日日曜日

TVドラマ「だましゑ歌麿」

北斎と写楽も同時代

 高橋克彦の同名小説をテレビドラマ化した「だましゑ歌麿」(テレビ朝日系2009年9月12日放送)を観る。

 絵師、喜多川歌麿役を演じる水谷豊が17年ぶりに時代劇に出演することで話題となっていたドラマだ。江戸を大嵐が襲った夜、歌麿の妻おりょうが殺される事件が起こる。ときは老中、松平定信の寛政の改革の時代。倹約を旨としていた。歌麿の画風は公儀に睨まれていた。「千に一つの目こぼしがない」南町奉行所同心、仙波一之進が謎解きに乗り出す。が、水谷の起用もあり、歌麿の比重も高い設定になっているようだ。
 主役の仙波役の中村橋之助がよかった。江戸弁、武家の所作など歌舞伎役者らしくごく自然に感じられるのが、いいねぇ。観ていて安心感がある。
 歌麿の妻おりょうとドラマの最後で仙波と夫婦になるおこうの二役は鈴木杏樹、仙波を助ける小者の菊弥に山本太郎、将来を嘱望される絵師の春朗に原田龍二、版元の蔦屋重三郎に岸部一徳、火附盗賊改の頭、長谷川平蔵に古谷一行を配している。
 原作では、仙波の父、左門が登場するが、ドラマでは母の設定となっており、その名も「おもん」役は市原悦子である。
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 終盤に歌麿が春朗に向って言うシーンが……。
 「おまえさん、名前を変えたほうがいい。どこの出だい? 葛飾か、葛飾は江戸の北だね。葛飾北斎ってのはどうかね」
 春朗はのちの葛飾北斎であったというサービストークが付いていました。
 そういえば、寛政の時代に東洲斎写楽が登場し、わずか10カ月で忽然とその姿を消します。世に送り出した版元は蔦屋重三郎ですね。浮世絵の巨匠が揃っていた時代だったのですね。
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ちょいmemo:高橋克彦「浮世絵殺人事件三部作」
・写楽殺人事件
・北斎殺人事件
・広重殺人事件

2009年9月11日金曜日

高橋克彦「おこう紅絵暦」

与力の妻で元柳橋芸者

 高橋克彦の「おこう紅絵暦」(文春文庫)を読む。シロイヌである。
 北町奉行筆頭与力、仙波一之進の妻で、元柳橋芸者のおこうが、舅の左門、絵師の春朗、仙波が使っている小者の菊弥らの力を借りて、江戸の街に起った事件を解く。美人で賢い、粋なおこうが魅力的だ。
 短編連作12編が収められている。
・願い鈴
・神懸かり
・猫清
・ばくれん
・迷い道
・人喰い
・退屈連
・熊娘
・片腕
・耳打ち
・一人心中
・古傷

 まずは「ばくれん」(莫連)の意味は? 手元のデジタル大辞泉で引くと、「すれてずるがしこいこと、そのような女性、あばずれ、すれっからし」とある。おこうはばくれん上がりだ。芸者になる前の十四、五のころ、女だてらに酒を飲み、役者まがいの派手な化粧に革草履の腕まくりで、徒党を組んで闊歩していた不良少女のころの物語。
 「迷い道」は、なに不自由のない楽隠居ながら、気鬱に襲われる左門の話。草野も共感できる心境である。
 「古傷」では、おこうの昔の男が明るみになる。一之進の心の広さが男だねぇ。
「この世にゃ男と女しかいねぇんだ。互いにいろんな相手と知り合って当たり前。今はこうしておれとおめぇが居る」。一之進がおこうの肩に手を添える。嬉しさにおこうは嗚咽する。ぐっとくる場面だ。
×  ×  × 「だましゑ歌麿」が前編にあたるそうだ。「春朗合わせ鏡」は姉妹編。実は知らなかった。「だましゑー」では千に一つの目こぼしがない同心、仙波一之進が主人公で、おこうと出逢う。売れない絵師の春朗はのちの葛飾北斎だそうだ。浮世絵に造詣の深い高橋克彦らしい登場人物の設定だ。順序が逆になったが、「だましゑ歌麿」を俄然読んでみたくなった。
2009年9月11日読了

2009年9月8日火曜日

それは横浜から始まった

福澤諭吉と神奈川展

 安政6年(1859年)、若いサムライが横浜に現れた。
 前年に5カ国(米・英・仏・蘭・露)と徳川幕府との間で締結された修好通商条約により、函館、新潟、横浜、神戸、長崎の五つの港が開かれた。横浜はそのひとつであった。開港地には貿易をもくろむ外国人がやってきた。港の周辺ににわかに街ができた。とりわけ東海道の宿場・神奈川から離れた寒村を開港場とした横浜は、その様変わりは急だった。
 大坂・適塾で蘭学を学びオランダ語に堪能だった彼は、早速腕試しを試みたが、話は通じない。言っていることはわからない。街の看板は読めなかった。
 英語ショック――。蘭学の知識から世界で広く英語が使われていることは知っていた彼は、オランダ語でなく英語の時代だと体感したのだった。横浜から江戸に戻り、英語の猛勉強を始めた。
 そのサムライこそ、24歳の福澤諭吉であった。
×  ×  ×
 横浜・馬車道の神奈川県立歴史博物館で開催されている特別展「福澤諭吉と神奈川」(2009.8.22~9.23)を観る。慶応義塾創立150周年、横浜開港150周年のアニバーサリーにあたり、福澤諭吉と神奈川県、横浜市とのかかわりに焦点をあてた展覧会である。
 日吉や湘南藤沢キャンパスなど神奈川県と関係の深い福澤コネクションが興味深い。横浜正金銀行、横浜商業高校(通称Y校)、書店の丸善、箱根の富士屋ホテルの創業・創立に際し、政財界、教育界に尽力した諭吉の姿がうかがわれ、面白かった。
・中村道太(横浜正金銀行の初代頭取)
・早矢仕有的(書店丸善を横浜で創業)
・山口仙之助(箱根・富士屋ホテル創業者)
・美沢進(横浜商業の初代校長)
 上記は、福澤の門人たちだった。
 神奈川県立歴史博物館は、横浜正金銀行として1900年(明治33年)に着工、1904年に完成した建物を利用している。1969年(昭和44年)「旧横浜正金銀行本館」として国の重要文化財、1995年(平成7年)に国の史跡に指定されている。
*「ヴ」考案は福澤諭吉(2008年7月29日記)
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 蛇足ながら……。
 館内の喫茶ルームに昼食に入ってビックリです。甘口のカレーにポテトサラダ、食後にコーヒーが付いて700円という安さでしたよ。
2009年9月8日観覧 

2009年9月4日金曜日

トリノが誇る美の遺産


エジプト・コレクション120点

 東京・上野の東京都美術館で開催されている「トリノ・エジプト展―イタリアが愛した美の遺産―ANCIENT EGYPT in TORINO」(2009.8.1~10.4)を観る。 
 カイロのエジプト博物館、ロンドンの大英博物館、パリのルーヴル美術館、ベルリン・エジプト博物館、ニューヨーク・メトロポリタン博物館に比肩する世界有数のエジプト・コレクションを誇るイタリアのトリノ・エジプト博物館の所蔵品を展示している。同館は19世紀、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのアレクサンドリア総領事になったベルナルド・ドロベッティの収集品を中心に創設された。3万数千点の所蔵品から、大型彫像、ミイラ、彩色木棺、パピルス文書、ステラ(石碑)、アクセサリーなど約120点を紹介している。
 展示構成は、
・第1章:トリノ・エジプト博物館
・第2章:彫像ギャラリー
・第3章:祈りの軌跡
・第4章:死者の旅立ち
・第5章:再生への扉
となっている。
 半可通の草野的には、「アメン神とツタンカーメン王の像」「イビの石製人型棺の蓋」などが見こたえがあった。
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 蛇足ながら……。
 トリノといえば、2006年の冬季五輪が開催されたイタリア北西部、フランスに近接した都市です。フィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得したよね。日本選手はそろって不振でしたが、ひとり気を吐いたのを記憶しています。得意技の「イナバウアー」は流行語になりました。あれから3年余の歳月が過ぎているのですよね。
・「海のエジプト展」クレオパトラが愛した都=2009.7.10記
2009年9月3日観覧

2009年9月3日木曜日

居眠り磐音「侘助ノ白」

いよいよ安永8年に

 佐伯泰英の“居眠り磐音江戸双紙シリーズ第30弾「侘助ノ白」”(双葉文庫)を読む。
 ドラマティックな「陽炎ノ辻」から始まったシリーズも数えて30巻目、よくぞ続いていると感心する。さすがにネタに苦労している感は否めないが、佐伯泰英の読ませる技術・筆力はさすが、だなぁ。
 今回は年の瀬から正月にかけての江戸と土佐の高知の2元中継。でぶ軍鶏こと重富利次郎が土佐藩近習目付の父、百太郎と土佐入りして藩政改革を巡る騒動に巻き込まれる。利次郎の剣士として成長が描かれる。今後、霧子とのロマンスの進展がありそうな雲行き。
 江戸・神保小路の尚武館道場では新キャラの登場となる。富田天信正流槍折れの小田平助が門下(門番)として迎えられる。下士上がりの棒術の名人で、歳のころは44、45歳の苦労人、これからの活躍が見られそう。
 物語の本題である次期将軍とされる西の丸(家基)を巡る動きは、田沼意次の嫡男、意知の放った伊皿子風也を筆頭する五人組が尚武館に道場破りに現れるが、新参の小田平助が先陣を切り2人を打ち破りすごすご退散する、というごく軽く触るだけだった。
 そして、クライマックスともいえる安永8年(1779年)の年が明けた……。


磐音シリーズ
・第29弾「冬桜ノ雀」2009・5・7記
・第28弾「照葉ノ露」2009・1・29記
・第27弾「石榴ノ蠅」2008・10・4記
2009年9月1日読了