2009年6月4日木曜日

石本美由起:memoryⅢ

マドロス・港町・波止場

 「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」と相次ぎヒットを飛ばし、作詞家として踏み出した石本美由起は1951年、キングレコードからコロムビアに移籍する。ここで、作詞家人生で最も傾倒した歌い手・美空ひばりと出逢うことになる。今や伝説の域に達している“歌謡界の女王”に数々の名曲を残す。ひばりに捧げた詞は実に200余におよぶという。

 最初のヒット曲は「ひばりのマドロスさん」だろう。1954年(昭和29年)の作品。作曲は上原げんと。
 ♪縞のジャケツの マドロスさんは
  パイプ喫(ふか)して 
  アー タラップのぼる
 船員姿のひばりが瞼によみがえる。
 余談ながら、「マドロス」をデジタル大辞泉で引くと、『(オランダ)matroos=水夫、船乗り、船員』とある。最近、使わなくなった言葉である。

 ガキのころ好きだったのは「港町十三番地」だった。「みなとちょう」と読む『港町』は京浜急行・大師線の駅名にあり、その昔、発売元の日本コロムビアの工場があったそうだ。工場所在地は川崎市川崎区港町9番地。 「9」より「13」の方が語呂がよさそうだ。
 歌詞イメージからは、その舞台は横浜だろう。1957年の作品で、作曲は上原げんと。
 ♪長い旅路の 航海終えて
  船は港に 泊まる夜
 ハマの大桟橋から懐かしいそうにぶらり歩いく。行く先は決まっている。馴染みの酒場(バー)。長旅の疲れを癒す酒はウィスキーが似合う。紫煙の向こうに女がいる。
 ひとときの逢瀬の後には、早くも次の航海が待っている。逢うは別れの始めなのだ。船乗りの宿命(さだめ)とはいえ、
 ♪船が着く日に 咲かせた花を
  船が出る夜 散らす風
寂しい光景がある。

 「哀愁波止場」は1960年の作品。台詞がある。船村徹が作曲にあたる。
 ♪夜の波止場にや 誰あれもいない
  霧のブイの灯 泣くばかり
 出だしから高音部の咽(むせ)ぶようなひばりの歌声だった。新境地をさぐる意欲作だったが、ひばりの母親・喜美枝は「うちのお嬢になんて歌を歌わすの」と怒った話を、船村徹がテレビで述懐していた。高音から低音まで、類稀な音域を誇るひばりの歌唱が認められ、彼女はその年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。

×  ×  ×

 住み暮らし、終の棲家を横浜に決めた石本美由起。横浜・磯子の魚屋の娘、美空ひばり。ふたりの間には、流行り歌に命をかける同じ志があったと草野球音は思う。(続く)
哀愁波止場/ひばりのマドロスさん

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