2009年3月10日火曜日

浜崎真二そしてペイジ

最年長記録

 横浜FCのカズ(三浦知良)が42歳10日のJリーグ最年長出場を果たした。2009年3月8日の平塚戦(平塚競技場)の途中出場し、東京V(当時V川崎)ラモス瑠偉が持つ41歳9ヶ月5日を更新した。
 カズもゴン(中山雅史)も頑張る。カズは1967年2月26日、ゴンは同年9月23日生まれである。
 カズの偉業からプロ野球の最年長記録に思いを移す。
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 阪急、国鉄などで監督を務め、引退後は「球界彦左」と呼ばれた浜崎真二(1901年―1981年)が日本プロ野球の記録保持者である。
 1950年(昭和25年)11月5日、阪急の監督兼投手であった浜崎は先発を果たしている。その時、なんと48歳10ヶ月であった。浜崎は敗戦投手となったが、この登板が日本の最年長出場記録となっている。対する相手も長老。毎日の監督である湯浅禎夫が先発している。こちらは48歳4ヵ月だった。11月での試合で分かるように、消化試合だった。
 浜崎は48歳4ヵ月で勝利投手となり、日本プロ野球史上最年長勝利の記録も持つ。慶応大学、満鉄を経て45歳でプロ野球(阪急)に監督兼選手で入団した。身長は五尺二寸(154センチ)の小兵だった。プロ野球の通算の投手成績は5勝5敗、防御率4.03。阪急、高橋、トンボ、国鉄での監督通算成績は1219試合535勝639敗29分、勝率.456を残す。1978年に野球殿堂入りを果たしている。
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 野球の本場アメリカの記録はどうだろうか。史上最高の投手の一人と言われる伝説の男、サチェル・ページSatchel Paige(1906年―1982年)が最年長の記録ホルダーである。
 1965年にカンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結び、先発し3イニングを無失点に抑えている。この時、ページは59歳だった。正確な生年月日が不明なため、異説があり当時60歳を越えていたとも言われる。
 ページのメジャーリーグ入りは42歳と遅かった。1948年のことである。前年の1947年、ロサンゼルス・ドジャースにジャッキー・ロビンソンが入団し、黒人選手に大リーグの門戸が初めて解放された。ページが全盛だったころ、20代、30代のころは、メジャーリーグで投げることを許されなかった。活躍したのは、ニグロ・リーグといわれる黒人たち専門の野球リーグだった。2500試合登板し、2000勝以上の勝星を挙げ、ノーヒットノーラン55試合という信じがたい伝説を残している。相手打者が打てないので観客が沸かないため、わざと四球を出し満塁のピンチを作り、投げたという逸話もある。
 記録のはっきりしている1934年には105試合登板104勝の離れ業を成し遂げている。1930年、大リーグ選抜との試合では22三振を奪い、完封勝ちを収め、その実力は当代ナンバー1であった。
 メジャーリーグでの成績は28勝31敗、防御率3.29であるが、年齢を考えれば立派だろう。46歳の1952年には12勝をあげている“バケモノ投手”なのだ。
 初めからメジャーで登板していたら、恐らく球史は変わっていたと推測する。1971年に黒人として初めて野球殿堂入りを果たした。
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 草野球音には浜崎の投げている姿を想像できない。記憶にあるのは国鉄監督のころで、エースの金田正一と一緒に映っている写真が滑稽だったことか。154センチと長身184センチの凸凹コンビぶりが笑いを誘った。
 サチェル・ページは佐山和夫が著した伝記「史上最高の投手はだれか」を読んで、その存在を初めて知ったのだった。1984年(昭和59年)のことだった。これほどの投手がいたのか。生年不詳ながら59歳の大リーグ最年長登板、ニグロリーグの2000勝以上など、伝説に触れワクワクしたのを覚えている。
史上最高の投手はだれか (潮文庫 (245))

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