2009年12月31日木曜日

温故“痴”新:水木かおる

霧笛が俺を呼んでいる

 思わず口ずさむ歌がある。季節や、世の出来事によって無意識に歌っているのだ。事象に接し脳が刺激され、記憶のなかから適時、曲を選んでいる。この痴呆気味の頭脳にどれほどの曲が詰まっているかは定かでないが、脳が命令もしないのに勝手に歌い出す。そして、そのあとから郷愁に誘わることがある。

 ターキーこと水の江滝子が訃報を知った11月からは、赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」である。1960年(昭和35年)の日活映画の主題歌だ。監督は山崎徳次郎、脚本は熊井啓だった。水の江滝子の企画だった。
 白い上下の航海士姿の赤木圭一郎と白いワンピースの芦川いづみが、霧がたちこめる横浜の波止場を歩く別れのラストシーンが印象的だった。
 ♪さびた錨に からんで咲いた
  浜の夕顔 いとしい笑顔

 海で育った船乗りは海に帰るのが宿命(さだめ)なのか。日活アクションのラストは、好き合った男と女がなぜか別れるのだ。
 ボー。ボー。霧笛がせかせるように咽びなく。船に向うトニーに哀愁が漂う。
 なんちゃって、いいようねぇ(笑)。

霧笛:濃霧などで視界不良のときに、衝突事故を防ぐために船舶や灯台などが鳴らす汽笛。きりぶえ――小学館デジタル大辞泉。

×  ×  ×

 「霧笛が俺を呼んでいる」の作詞は水木かおる。作曲は藤原秀行だった。2人のコンビで有名なのは、西田佐知子が歌った「アカシアの雨がやむとき」だろう。
 ♪アカシアの雨に うたれて
  このまま 死んでしまいたい
 2人の歌でやはり西田が歌った「エリカの花散るとき」なんて曲がありました。

 水木かおるの作詞で、遠藤実作曲では、「くちなしの花」「みちづれ」がある。こちらは赤木圭一郎の日活の後輩、渡哲也ですな。朴訥な歌っっぷりが似ているよね。

×  ×  ×

 さてあっという間に2009年も大晦日です。
 横浜では午前0時。港に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らします。往く年、来る年の合図ですね。煩悩を滅する寺の鐘音もいいですが、除夜の汽笛も心に沁みます。

2009年12月24日木曜日

あさのあつこ「弥勒の月」

巧み冒頭の“つかみ”
 あさのあつこの「弥勒の月」(光文社文庫)を読む。
 冒頭の“つかみ”が巧い。文庫文末の解説で児玉清が触れているが、興味を惹かれ物語へのめり込む。

 月が出ていた。丸く、丸く、妙に艶めいて見える月だ。
 女の乳房のようだ。(――本文より)

 女遊びの帰路、満月にあられもない想像をめぐらした南本所石原町の履物問屋、稲垣屋惣助は、二つ目之橋で若い女の身投げを目撃する。現場に残されたのは、赤い鼻緒の下駄だった。なぜか履物屋の彼は下駄を抱きかかえてその場を去った。

 翌朝、一ッ目之橋近くの朽ちかけた杭に引かかった女の死体が発見される。

 女は森下町の小間物問屋遠野屋の若おかみ、おりんだった。遺体を前に、遠野屋の主人清之介はいささかも取り乱さなかった。尋常でない、その姿に北定町廻り同心、木暮信次郎は不審を抱き、岡っ引の伊佐治に身辺を洗え、と命じた――。

目次
・第一章 闇の月
・第二章 朧の月
・第三章 欠けの月
・第四章 酷の月
・第五章 偽の月
・第六章 乱の月
・第八章 陰の月
・第九章 終の月

 鋭い言葉で迫る信次郎と、ドンと受けてたつ清之介の対峙に緊迫する。
×  ×  ×
 続編の「夜叉桜」から本編へと逆コースとなったが、人物設定を知っているので解りやすかった。まだ、読んでいない方には、当たり前ながら順序通りに読むことをお勧めする(笑)。

2009年12月17日木曜日

東野圭吾「嘘をもうひとつだけ」

 東野圭吾の「嘘をもうひとつだけ」(講談社文庫)を読む。刑事・加賀恭一郎が活躍するシリーズの一作。本編は、
・嘘をもうひとつだけ
・冷たい灼熱
・第二の希望
・狂った計算
・友の助言
の5作からなる短編集。主人公の加賀は、年の頃三十なかば、長身でがっしりした体形、彫りの深い顔立ちで、冷静沈着、犯人に対しても優しさや思いやりを忘れない、練馬署捜査一係の刑事として登場する。

「嘘をもうひとつだけ」では、バレー団の事務員が自宅マンションのベランダから転落死する。自殺で処理されようとされるが、刑事がバレー団にやってくる。殺人事件の幕が開く。やってきたのは、もちろん加賀だ。推理とは別に、彼がバレーに興味を持っていることがわかり、面白い。シリーズものは登場人物の性格まで深く知りたくなるから。
 犯人は読み出して直にわかる。コロンボさんや古畑任三郎さんのドラマを観る感覚で、加賀恭一郎の理詰な推理が楽しめるのではないでしょうか。

ちょいmemo:松井秀喜

SAYONARA,HIDEKI(さよなら、秀喜)
GODZILLA’S GOING TO DISNEYLAND(ゴジラがディズニーランドへ行く)
 上記は、2009年12月15日付(日本時間16日)エンゼルスとの契約に基本合意した松井秀喜を取り上げたニューヨークの新聞見出しだ。
 辛口で知られるNYメディアにも惜しまれつつ、米大リーグのヤンキースからFAとなった松井は、イチローが所属するマリナーズと同じア・リーグ西地区のエンゼルスへ移籍することになった。16日(同17日)にはアナハイムで本人が出席し、入団会見が行われた。
 エンゼルスとの契約は1年。年俸は650万ドルで、ヤンキース時代の1300万ドルの半額となった。
×  ×  ×
 お節介な懸念がある。みなさんもご覧になっているだろう。松井が缶コーヒーのコマーシャルで、赤いヘルメットで登場している。キリンビバレッジの『ファイア』。初めて見たのはまだヤンキース在籍中だったが、なんと似合わないことか、と思った。エンゼルスに入団すると、赤い帽子をかぶることになる。
 外野手兼DHで打順は中軸が予定されている。本業になんの不安もない。必ずや活躍するだろう。
 だが、しかし……。あの赤いヘルメット姿が、サマになるのか。心配だわな。

2009年12月12日土曜日

あさのあつこ「夜叉桜」

ハードボイルド木暮信次郎

 あさのあつこの「夜叉桜」(光文社文庫)を読む。
「弥勒の月」(草野球音は読んでいないが……)の続編とか。江戸の町で女が相次いで殺される。被害者はいずれも女郎で、殺しの手口は背後から喉を切り裂いたものだった。北町奉行所の定廻り同心、木暮信次郎は殺された女のひとり、おいとの挿していた簪(かんざし)が、小間物問屋「遠野屋」で売れられていたことを知る。
・辛辣でキレ者の八丁堀・木暮信次郎
・過去を背負って生きる「遠野屋」主人の清之介
・老練で実直な岡っ引の伊佐治
物語を彩る登場人物は上記の3人である。一見強面な木暮が女子供のようにアメ好きという。性格の異なる三者三様の心理描写が織り込まれている。
×  ×  ×
「バッテリー」の著者であることは知っていたが、あさのあつこの文章は初めて読んだ。和語(やまとことば)を大事にする文体は、かえって馴染みがなく読みにくいと思われるが、美しい。
 文章を書くとき留意することは、
・カタカナ外来語を極力使わない
・漢語を避け和語に置きかける
と、以前に先輩に教えていただいたことがある。「夜叉桜」を読んで、さもありなんと思った。
2009年12月11日読了夜叉桜 (光文社時代小説文庫)

2009年12月10日木曜日

平山郁夫『文明の十字路』

再興第94回院展

 黄土色の砂漠をラクダに乗った隊商が黙々と往く――。横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6 F)で「再興第94回院展」(2009年11月128日~12月23日)を観る。なんといっても、12月2日に79歳で亡くなられた日本画家で文化勲章受章者、平山郁夫の作品が目当てだった。今秋に描きあげた『文明の十字路を往く―アナトリア高原 カッパドキア、トルコ』が展示されている。
×  ×  ×
 再興院展は、1914年から続く日本美術院による日本画の公募展。日本美術院は岡倉天心が中心になって1898年(明治31年)創立した日本画の研究団体で、横山大観、下村観山、今村紫紅、速水御舟ら絵画史を彩った俊英を輩出している。
 本年度の院展受賞者
・内閣総理大臣賞 川瀬麿士『韻』
・文部大臣賞 今井珠泉『静日(イヌワシ)静夜(流氷』
・日本美術院賞(大観賞) 井手康人『不二一元』、岸野香『シンフォニー』
 本展では88点が展示されている。
×  ×  ×
『文明の十字路を往く』―絵の前でしばし見惚れていた。平山最後の大作だろうか。そごう美術館は、いつもより人出が多く、平山郁夫の人気を物語っていた。
2009年12月10日観覧 そごう美術館

2009年12月3日木曜日

水の江滝子さん forever

 水の江滝子さんが亡くなった。2009年11月16日のことだった。「ターキー」の名で親しまれた元女優で映画プロデューサー。94歳だった。

×  ×  ×

・石原裕次郎の育ての親だった。石原慎太郎の芥川受賞「太陽の季節」の同名映画化作品に主人公の友人役で初出演した慎太郎の弟、裕次郎を第二作「狂った果実」で主演させ、スーパースターに育てた。上原謙の代表される超ハンサムのみがスターになりえた映画界に、裕次郎の登場は衝撃をもたらした。

・企画・制作した映画は76本。訃報を知り口ずさんだ。
 ♪霧が流れて むせぶような波止場
  思い出させてヨー また泣ける
 裕次郎のヒット曲「俺は待ってるぜ」だ。作詞・石崎正美、作曲は上原謙六。曲のイメージから兄の慎太郎が脚本を書いて、1957年(昭和32年)日活で映画化された。主演はもちろん裕次郎。相手役は北原三枝。監督は「憎いあンちくしょう」「栄光の5000キロ」の蔵原惟繕(くらはら・これよし)でデビュー作品。プロデュースは水の江滝子だった。

・赤木圭一郎主演の映画「霧笛が俺を呼んでいる」の企画も水の江だった。1960年(昭和35年)日活作品。共演は芦川いづみで、吉永小百合も出演していたっけ。監督は山崎徳治郎、脚本は熊井啓。日活アクションの黄金期だったなぁ。
 ♪霧に波止場に 帰って来たら
  待っていたのは 悲しいうわさ
 作詞は水木かおる、作曲は藤原秀行だった。

・NHK「ジェスチャー」にも出演していた。白組キャプテンに柳家金語楼、紅組は水の江滝子。司会は高橋圭三、小川宏。問題をジェスチャーだけで表し、それを当てていく番組で、人気があり1953年から1968年まで続いた。印象の残っているシーンがある。「俺は待ってるぜ」という出題で、水の江が手掛けた映画のポスターそっくりに、右足を波止場の舫杭(もやいぐい)に乗せたポーズをとると、女性軍からすかさず正解がかえってきたのだ。その様の決まり方。「ターキー」として活躍した男装の麗人を彷彿させたのだった。

×  ×  ×

 1993年(平成5年)森繁久弥を葬儀委員長に生前葬を華やかに執り行った。森繁の死去から6日後、後を追うように永眠した水の江滝子だった。

2009年12月1日火曜日

東野圭吾「悪意」

加賀恭一郎シリーズ
 東野圭吾の「悪意」(講談社文庫)を読む。加賀恭一郎シリーズの第4作とか。
 人気作家の日高邦彦が自宅の仕事場で殺された。第一発見者は妻の日高理恵と日高の中学時代からの友人で児童向けの小説を書いている野々口修だった。事件を追う刑事の加賀は、捜査の早い段階から前職の教師時代の同僚、野々口を犯人と睨むが、動機が思い当たらない。綿密な捜査を続ける加賀の前に、幾重にも巧妙に仕掛けられた罠が明らかになっていく。

目次
・事件の章 野々口修による手記
・疑惑の章 加賀恭一郎の記録
・解決の章 野々口修による手記
・追及の章 加賀恭一郎の独白
・告白の章 野々口修による手記
・過去の章その一 加賀恭一郎の記録
・過去の章その二 彼等を知る者たちの話
・過去の章その三 加賀恭一郎の回想
・真実の章 加賀恭一郎による解明

×  ×  ×

 早々と犯人がわかる。ミステリーとして興醒めと思いきや、どっこい! そこからが東野圭吾の筆力で読ませる。
 恥ずかしながら、草野は加賀恭一郎シリーズを読んだことがなかった。「探偵ガリレオ」「予知夢」「容疑者Xの献身」の湯川学とは面識があるのだが(笑)、加賀サンは初対面だ。次はシリーズ作品、なにを読もうか、楽しみになってきた。
2009年11月30日読了悪意 (講談社文庫) 


2009年11月24日火曜日

丘灯至夫 FOREVER

ああ 高校三年生

 ♪赤い夕日が 校舎をそめて
  ニレの木陰に 弾む声
 舟木一夫が学ラン姿で歌い大ヒットした「高校三年生」の作詞家、丘灯至夫(おか・としお)が2009年11月24日亡くなった。92歳だった。
 ♪フォークダンスの 手をとれば 
  甘く匂うよ 黒髪が
 歌詞に胸がキュンとなったものだ。昭和38年(1963年)、作曲は遠藤実、その門下生の舟木のデビュー曲だった。
 昭和32年(1957年)には初代コロムビア・ローズの「東京のバスガール」も作詞している。こちらの作曲は上原げんと。
 ♪若い希望も 恋もある
  ビルの街から 山の手へ
 そういえば、当時ワンマンバスはなく、若い女の車掌さんが乗っていた。「発車、オーライ」。紺の制服を着て切符を渡していたっけ。
×  ×  ×
 耳に残る丘の名作がまだある。

 ♪汽車の窓から ハンケチ振れば
  牧場(まきば)の乙女が 花束なげる
 岡本敦郎の歌唱で、作曲は古関裕而だった。

 島倉千代子の「襟裳岬」も覚えている。吉田拓郎のではないヤツだ。作曲は遠藤実だった。
 ♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
  誰か私を 呼んでるような

 作品は永遠に――。
×  ×  ×
 東映時代劇のお姫様女優、千原しのぶが2009年11月22日に亡くなった。78歳だった。このところ森繁久弥、水の江滝子と記憶に刻みこんでおきたい人の訃報が相次ぐ。……。

2009年11月23日月曜日

鳥羽亮「妖し陽炎の剣」

女の白肌のような京女鬼丸

 鳥羽亮の「妖(あやか)し陽炎の剣―介錯人・野晒唐十郎」(祥伝社文庫)を読む。野晒唐十郎シリーズ第2弾。
 八月(旧暦)初旬、本所相生町で南町奉行所定町廻り同心と岡っ引きが、妖刀「京女鬼丸」を持つ辻斬りに斬殺された。同夜、浅草諏訪町の米問屋に「大塩救民党」と名乗る賊が押し入り、主人、妻、奉公人を皆殺しにし、千ニ百両が強奪された。翌日、市井の試刀家、小宮山流居合の達人・狩谷唐十郎は二千石の大身旗本、綾部家で試刀を頼まれた。試し斬りに渡されたのは、女の白肌のような優美さを刀身に湛(たた)える京女鬼丸だった……。
目次
・第一章 京女鬼丸
・第二章 三龍包囲陣
・第三章 大塩救民党
・第四章 槍と居合
・第五章 化身
・第六章 大川残映
 唐十郎と辻斬りの対決描写の読み応えがある。
 シリーズ第1弾から引き続き、野晒唐十郎のほか、
・試刀や介錯の際の助手、本間弥次郎
・伊賀者の相良甲蔵
・甲蔵の娘で石雲流小太刀の名手、咲
・十手持ちの狢(むじな)の弐平
と馴染みの顔が登場する。
 時代背景は、天保8年(1837年)大坂で窮民救済を旗印に蜂起した大塩平八郎の乱から8年後の弘化2年(1845年)となっている。
2009年11月22日読了妖し陽炎の剣―介錯人・野晒唐十郎 (ノン・ポシェット)

2009年11月15日日曜日

鳥羽亮「与三郎の恋」

長身イケメンの銀次

 鳥羽亮の「まろほし銀次捕物帳―与三郎の恋」(徳間文庫)を読む。一角流十手術に伝わる特殊な小武器「まろほし」の遣い手で江戸の岡っ引き・銀次が活躍するシリーズ。

・団扇(うちわ)の血痕
・女変化
・怪盗猿(ましら)小僧
・老盗
・魔剣、提灯(ちょうちん)斬り
・与三郎の恋
の6編からなる連作となっている。
 シリーズものは登場人物に親近感を抱く。主人公の銀次は長身イケメン独り者の十手持ちで、下谷、池之端界隈では「池之端の親分」「まろほしの親分」と呼ばれ、歳は若いが人に知られる存在だ。母親おそでは小料理屋、嘉乃屋を営む。銀次の手先には、事件のないときは嘉乃屋の板場を手伝う与三郎と、松吉がいる。神道無念流の達人でさびれた道場の主・向井藤三郎と北町奉行所定廻り同心、島崎綾之助などがレギュラー陣である。
 「団扇の血痕」は松吉、「魔剣、提灯斬り」は向井藤三郎、「与三郎の恋」では与三郎と、銀次を取り巻く脇役にスポットがあたるスピンオフ的な作品となっている。「怪盗猿小僧」と「老盗」は義賊ともいえる盗人の心情を描いている。
2009年11月14日読了

2009年11月14日土曜日

森繁久弥さん FOREVER

「社長」シリーズ 
 映画からテレビ、ラジオ、舞台まで。シリアスな芝居から喜劇、ミュージカルまで。主役から端役まで。果てはシンガーソンライターまでこなした戦後芸能史の大立者であり、名優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが2009年11月10日に亡くなった。96歳、老衰だった。あっぱれな大往生だった。
 偉大な足跡のほんの一部を振り返って偲びたい。
×  ×  × いつも助平心に誘われて浮気の機を窺う社長だが、肝心なときに決まって邪魔が入り浮気は失敗してしまう。森繁久弥が主演した映画「社長シリーズ」は東宝の看板で1956年(昭和31年)から1970年(昭和45年)にかけて33本も製作された。
 キャストは豪華だった。
・仕事は出来るが女に弱い社長に森繁久弥
・真面目で融通が利かない秘書に小林桂樹
・慎重な実直な総務部長に加東大介
・宴会好きな営業部長に三木のり平
・取引相手となる日系人(地方の名士なども)にフランキー堺
と芸達者が揃い、役どころをそれぞれがきっちりこなしていた。
 社長を取り巻く浮気相手の色っぽいバーのマダムや芸者には、新珠三千代、淡路恵子、草笛光子、池内淳子などが扮した。社長夫人は久慈あさみ。浮気が叶いそうな場面でバレてしまい、森繁がなんともバツの悪そうな表情となる。お決まりのシーンだが、これが絶妙であった。
 特に好きなキャラは三木のり平の“宴会部長”だった。「パーっと行きましょう。パーっと」といいながら、宴会をセッティングして仕切る。その宴会でみせる珍芸に腹を抱えて笑ったものだ。森繁も凄いが、のり平も只者ではない。
 小林桂樹の恋人(のちに妻)役は司葉子。シリーズ33本のうち23作品のメガホンを握ったのは松林宗恵だった。
×  ×  × 加東大介、三木のり平、フランキー堺、そして森繁とシリーズの常連が鬼籍に入った。日本経済の高度成長期にときを同じくして咲いた映画の華、その最後の花弁が散った想いがする。

2009年11月11日水曜日

上野の森美術館「チベット展」

豪華で精巧な仏像

 東京・上野にある上野の森美術館で「聖地チベット ポタラ宮と天空の至宝」展(2009年9月19日~2010年1月11日)を観る。チベット文化を総合的に紹介している展覧会。ユネスコの世界文化遺産に登録されているポタラ宮や歴代ダライラマの夏の離宮だったノルブリンカなど、寺院や博物館から美術・文化の名品を集めている。
・序章 吐蕃王国のチベット統一
・第一章 仏教文化の受容と発展
・第二章 チベット密教の精華
・第三章 元・明・清との交流
・第四章 チベットの暮らし
の構成になっている。
 カーラチャクラ父母仏立像、ダーキニー立像の豪華で精巧な作りに感心した。
2009年11月10日観覧

2009年11月10日火曜日

鳥羽亮「鬼哭の剣」

血臭漂う描写力

 鳥羽亮の「鬼哭の剣―介錯人・野晒唐十郎」(祥伝社文庫)を読む。
×  ×  ×
 刹那、シャというかすかな刃音をたてて、唐十郎の構えた五郎清国が一閃した。
 ゴッ、という頸骨(けいこつ)を断つ音を残して黒い塊(かたまり)が一間(いっけん)ほども飛び、その後を追うように首根から血が、走った。勢い よく噴出した血は棒状に前に飛び、まさに、走った、ように見えた。
 斬首された新井は前につっ伏すように倒れ、その首根から、ビュ、ビュと音をたてて噴きだした血が白砂や青畳を見る見る赤黒く染めた。春の新緑の匂いのなかから、蒸(む)せるような生あたたかい血の濃臭がたちこめてきた。~「鬼哭の剣」からの抄録

×  ×  ×
 狩谷唐十郎は小宮山流居合に達人にして市井の試刀家で、藩邸や旗本から頼まれ身寄りのない生き倒れや自殺者、小塚原で処刑された罪人の屍(むくろ)をもらいうけ刀の利鈍を試すが、ときには切腹の介錯も務める。神田松永町の自宅庭には、身の丈一尺二三寸ほどの石仏が並んでいる。唐十郎が命を奪った者への供養に置かれたものだが、野晒状態である。人は「野晒唐十郎」と呼んだ。
 天保13年(1842年)、世は老中・水野忠邦のもと幕政改革が行われていた時代であった。花の季節も終えた3月(旧暦)、野晒唐十郎は旗本・久野孫左衛門の依頼を受け、先代将軍の家斉拝領の名刀「蘇我弥五郎清国」の試刀と介錯を頼まれる。斬ったあとに刀剣に浮き上がる牡丹映りがないことから、贋作と看破する。が、偽物であることを告げずに帰途につくと、刺客に狙われる。この試刀と介錯を機に、唐十郎は南町奉行の鳥居耀蔵と老中・土井利位(としつら)の政争に巻き込まれていく……。
×  ×  ×
 上の段落にある抄録は、冒頭の介錯の場面。擬音効果が臨場感を増す。なんとも血臭漂う描写に圧倒される。
2009年11月8日読了

2009年11月5日木曜日

世界最高齢の犬は20歳

秘訣は愛情・食事・定期健診

 NHK教育テレビの英語講座「ニュースで英会話」を観ている。毎週木曜日の朝6時40分から20分間の番組だ。と言っても熱心な視聴者ではない。頭の体操を兼ね、眺めている状態である。2009年11月5日の放送では「長寿犬のニュース」を扱っていたので備忘録として記す。
A dachshund-cross terrier in the United Kingdom has been named the world's oldest canine. But he's still healthy and enjoying every one of his dog days.
Otto has been recognized by Guinness World Records as the world's oldest dog at the age of 20 years and eight months. The previous record-holder, a 21-year-old dachshund in the United States, died in August.
They say he's lived so long thanks to plenty of love, good food, and regular checkups at the vet’s.
~英国のオットーという20歳8カ月の犬が世界最高齢の犬がギネスで認定された。以前の最高齢犬は21歳の米国の犬だった。長寿の秘訣は飼い主の愛情と食事、そして定期健診にあるそうだ。
 “chekup”という言葉は検診の意味。番組では、”humon dock”人間ドックは和製英語で英語では”chekup”というと講師の鳥飼久美子が説明していた。なるほど!
×  ×  ×
 長寿犬から訃報の連想はいかがなものか。と思いつつも書く。
 女優の南田洋子が2009年10月21日に亡くなった。76歳だった。南田の本名は北田(旧姓)だったことを妙に思い出した。「北」よりも暖かい陽のイメージの「南」したというのが芸名を付けた理由だそうだ。
 南田の死亡記事を日刊スポーツで読んでときめいた。ガキのころ好きだった「芦川いづみ」の談話が載っていた。1968年に藤竜也と結婚して以来めったに公の場に出ないヒトだけに感慨を覚えた。石原裕次郎主演の「乳母車」「陽のあたる坂道」「あじさいの歌」などの出演が印象に残る。可憐で清楚な女優だったなぁ。

2009年11月3日火曜日

鳥羽亮「愛弟子」

まろほし銀次

 鳥羽亮の「まろほし銀次捕物帳―愛弟子」(徳間文庫)を読む。「まろほし銀次捕物帳」はシリーズ化されていて、すでに10巻ほど刊行され「愛弟子」は最新作とか。

「まろほし」の異名は、銀次が江戸の岡っ引きにして、一角流十手術に伝わる特殊な小武器の遣い手でもあるところから由来している。「まろほし」とはその小武器である。このあたりの設定も剣道有段者・鳥羽のアイデアだろう。野村胡堂の「銭形平次」の投銭のような代物で、岡っ引きを主人公にした時代小説の場合、武士の刀剣に対抗するには十手だけは心もとないため“キメ技”があると組み伏せ捕縛する説得力が出るためではないか、と草野球音は考える。
・騙(かた)りの権八
・嘘から出た殺人(ころし)
・九寸五分の男
・叫び
・愛弟子
以上5編からなる連作構成となっている。
 表題となっている「愛弟子」がいい。辻斬りが2件続けて起った。銀次と昵懇の道場主の向井藤三郎は死人の傷跡から、ある弟子の太刀筋を思い出す。剣才を認め目をかけていたが、貧しさ故に剣の道から外れなければならなかった男がいた。向井は真相を確かめるため夜毎、辻斬りを待ち闇に立つが……。
×  ×  ×
 鳥羽の作品は、
「はぐれ長屋の用心棒」(双葉文庫)・逢魔時の賊
「八丁堀剣客同心」(ハルキ文庫)・華町源九郎江戸暦/袖返し
を読んだことがあったが、「まろほし銀次―」は初めて。シリーズの一見読者にも配慮して、人物など登場シーンでその都度説明してあるので、すんなり読める。
2009年11月3日読了

2009年10月29日木曜日

婚活詐欺女⇒クレイジー

ハイそれまでョ&紺屋高尾

 “婚活詐欺女”の話題で喧(かまびす)しい。なんでも34歳の女は婚活サイトで交際相手を募り、お金を無心し、せしめた金は1億円を超えるとか。それだけならフツ―の結婚詐欺だが、付き合った男が次々に怪死したというから、疑惑は好奇心を煽(あお)り、テレビのワイドショーや大衆かわら版の絶好のネタとなったのだ。
「専門学生でお金が必要。卒業したら、あなたに尽します」という殺し文句で、男をコロリと騙(だま)すそうだ。
×  ×  ×
 これって、まるでハナ肇とクレイジー・キャッツが歌った「ハイそれまでョ」ではないか。作詞は青島幸男で、作曲は萩原哲晶だ。
 ♪あなただけが 生きがいなの
  お願い お願い 捨てないで
てなことを言われて、その気になって、退職金まで前借りして貢いだが、トンズラされてしまう。
三番の歌詞では、
 ♪私だけが あなたの妻
  丈夫で長持ち 致します
てなことを言われ、結婚した炊事洗濯はまれでダメ、食べることは3人前。ひとこと小言を言ったら、プイと出てきり「ハイそれまでョ」である。
×  ×  ×「ハイそれまでョ」よりも以前に、聞いた節回しがある。
 ♪遊女は客に惚れたといい、客は気もせでまた来るという
  嘘と嘘との色里で 恥もかまわず身分まで
  よう打ち明けてくんなました
 浪曲「紺屋高尾」の出だしの節だそうだ。
×  ×  ×・本気な女VS本気な男
・嘘気な女VS嘘気な男
の組みわせは問題は起こらないが、とかくトラブルとなるのはそのバランスが崩れたカップルの場合だ。どちらかが本気で、相手がその気がないケース。そんなとき、修羅の悪魔がパックリ口を開けるのである。

2009年10月27日火曜日

「横浜」をつくった易聖

易聖・高島嘉右衛門
 
 高木彬光の『「横浜」をつくった男』(光文社文庫)を読む。副題として「易聖・高島嘉右衛門の生涯」となっている。「大予言者の秘密」1979年カッパ・ブックス(光文社)刊、1982年角川文庫刊の再文庫化したものだそうだ。
 横浜の高島町は高島嘉右衛門からとった地名で、世界の港・横浜の恩人というべき御仁である。日本初の鉄道は新橋―横浜間に1872年(明治5年)に開通したが、伊藤博文、大隈重信にその必要性を説き、横浜の入江の一部を埋め立て、鉄道路線の敷設に貢献している。外国公館の建設、旅館の経営、学校の設立、ガス灯の設備など公益事業で活躍した。
 実業家であるばかりでなく、「易聖」と呼ばれるほどに易断のよる占いはよく当たることで有名だった。日清戦争、日露戦争の占いは新聞にも掲載され、予言が的中した。また、伊藤博文の死期を予見し、自分の死期までも予知したほどだった。
 伊藤博文とは親交が深く、長女が博文の長男に嫁ぎ姻戚関係にあり、ブレーンでもあった。幕末に生まれ明治維新を生きた嘉右衛門の波瀾万丈の生涯が描かれている。

 嘉右衛門の名を冠した東横線の高島駅は廃止されたが、みなとみらい線に「新高島」駅ができている。Jリーグの横浜Fマリノスの施設「マリノスタウン」の最寄り駅で、2009年8月には日産自動車本社が東京・銀座から当駅付近に移転した。
×  ×  ×
 易とは筮竹(ぜいちく)と算木(さんぎ)を使う占いだそうで、この本の中にたびたび「卦」の解説があるが、草野の頭では理解できなかったのであります(笑)。
2009年10月27日読了

2009年10月20日火曜日

篤姫が想い馳せた桜島

 横浜・みなとみらいの横浜美術館で「大・開港展―徳川将軍家と幕末明治の美術」(2009年9月19日~11月23日)を観る。
・1953年(嘉永6年)ペリーの黒船来航
・1954年(嘉永7年/安政元年)日米和親条約締結
・1958年(安政5年)5カ国と修好通商条約締結
・1959年(安政6年)横浜開港
・1967年(慶応3年)大政奉還
・1967年(慶応3年)王政復古
・1968年(明治元年)明治政府成立
黒船以降わずか15年で目まぐるしく変わった政治の激動のなかで芸術や文化もまた大いに様変わった。江戸から明治へ――伝統として残ったもの、そして新たに生み出しものを展示している。横浜開港150周年、横浜美術館開館20周年の節目の展覧会。
 出展は、
・第一章 徳川時代
・第二章 開港の時代
・第三章 明治時代
の3部から構成されている。
 特に目を引いたのは、篤姫所用の『薩州桜島真景図』(展示は9月19日から10月21日)だった。桜の咲く錦江湾から桜島を望む作品で、作者は薩摩藩の御用絵師の柳田龍雪(やなぎだ・りゅうせつ)。篤姫(天璋院)が将軍・家定に嫁ぐ折、義父・島津斉彬(しまづ・なりあきら)が故郷の思い出にと持たせたとされる。篤姫、斉彬の想いはいかばかりだったか。
×  ×  × 明治期の充実ぶりに比べて徳川将軍家の作品が物足りなかったかなぁ。
2009年10月20日観覧

2009年10月17日土曜日

だまし絵 エッシャー展

父はお雇い外国人

 横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6F)で「迷宮への招待エッシャー展」(2009年10月10日~11月16日)を観る。
 オランダの画家、版画家、マウリッツ・コルネリス・エッシャーMaurits Cornelis Escher 1998年-1972年)のイタリア風景版画や視覚トリックを駆使した不思議な世界を表現した作品を展示している。
 だまし絵の巨匠。だまし絵=騙し絵は、フランス語で“トロント・ルイユ”というそうな。
 このところ続けて高橋克彦の「だましゑシリーズ」である「だましゑ歌麿」「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」「京伝怪異帖」と読んできたが、展覧会を観ながら高橋克彦⇒エッシャーの騙し絵繋(つな)がりだわい、と独りほくそ笑む。
×  ×  ×
 ところでエッシャーの父親ジョージ・アーノルド・エッセルは明治期に日本の近代化に貢献したお雇い外国人だった。土木技術者で、大阪の淀川修復工事や三国港のエッセル堤、龍翔小学校(福井県坂井市)などの設計、指導にあたった。エッセルとエッシャーはともにEscherと綴るが、日本語表記に違いが出たもの。
2009年10月15日観覧

2009年10月16日金曜日

高橋克彦「春朗合わせ鏡」

父は公儀お庭番

 高橋克彦の「春朗合わせ鏡」(文春文庫)を読む。「だましゑ歌麿」「おこう紅絵暦」の姉妹編で、春朗こと葛飾北斎を主人公にした「だましゑシリーズ」のスピンオフで作品である。
・女地獄
・父子道
・がたろ
・夏芝居
・いのち毛
・虫の目
・姿かがみ
連作7編からなり、若き絵師春朗が事件を解いていく。

「京伝怪異帖」で伝蔵こと山東京伝や風来山人こと平賀源内、安兵衛こと窪俊満ともに活躍した女より美しい若衆髷(わかしゅわげ)の蘭陽が春朗を助ける。北町奉行吟味方筆頭与力の仙波一之進、元柳橋の芸者で妻おこう、隠居の左門などのお馴染みレギュラーメンバーも揃って登場する。
 父親は公儀のお庭番であること、少年時代に叔父にあたる御用鏡師の中島伊勢のもとに修行に出るが辛抱できずに逃げ出したこと、絵師を志し勝川派に入門したが画風が合わず破門されたこと、葛飾に妻子がいて月に2,3日帰っていること、中島家からは養子縁組を、父親には隠密を引き継ぐように勧められていることなどが、連作を読み進むにつれ春朗の生い立ち・生活ぶりが明らかにされる。
 また、作者の浮世絵に対する造詣が随所に生かされている。
 そういえば、高橋克彦は「北斎殺人事件」(1987年)で北斎隠密説を展開しているが、「春朗合わせ鏡」はその延長線上にある作品といえるだろう。
2009年10月14日読了

2009年10月10日土曜日

高橋克彦「京伝怪異帖」

どっこい生きていた源内

 高橋克彦の「京伝怪異帖」(文春文庫)を読む。「だましゑ歌麿」に端を発した「だましゑシリーズ」の姉妹編である。
 伝蔵こと山東京伝が、風来山人・平賀源内や兄貴分の絵師・安兵衛(窪俊満)、女より美しい若衆髷(わかしゅわげ)の蘭陽と組み奇怪な事件に挑み、謎を解く。
・天狗髑髏(てんぐどくろ)
・地獄宿
・生霊変化(いきりょうへんげ)
・悪魂(あくだま)
・神隠し
連作5編で構成されている。

 史実による平賀源内が獄死したといわれる安永8年(1780年)12月18日、吉原で源内死去のニュースを聞きつけた伝蔵は不審を抱き、その通夜に出向くところから小説の舞台が開く。伝蔵は山東京伝として売り出す前の19歳。田沼意次の権勢そして没落、やがて松平定信の寛政の改革へと、連作は読み進むうちに時代背景も推移する。
 出版プロデューサーの蔦屋重三郎や勝俵蔵と名乗った若き日の鶴屋南北など歴史上の人物が登場し絡む。
 また、伝蔵が武器に“糸印”(いといん)を使うのも、銭形平次の投銭のようで面白いアイデアである。安兵衛が吉原で女たちに説明する件がある。
「伝兄ぃはそいつを空に飛ばして雀ぐれえは簡単に落とすぜ。武士(さむれえ)なんぞの刀よりずっと恐ろしい。優男に見えるだろうが、並の男じゃかなわねえ」
×  ×  × 「糸印」をデジタル大辞泉で引くと、
「室町時代、明から輸入した生糸の荷に添えて送られてきた鋳銅製の印章。斤量を検査し、これで押印した受領証書を送り返した。形は方形・円形・五角形などがあり、つまみは人物や動物の形をしている。形状・字体ともに風雅に富む」とある。
×  ×  × 安永8年、大名屋敷の修理を請け負った源内は自宅で棟梁2人と酒を飲んだ。夜中に便所に起き、懐に入れた修理計画書がないことに気づく。盗まれたと思い、大工に詰め寄り押し問答となり、激高し2人を殺傷してしまう。盗まれたのは勘違いで計画書は帯の間に挟まれていたのだった。
 投獄されたのち上記の日に小伝馬町で獄死したと史実ではなっているが、生き延び天寿を全うしたという説もある。この小説では、死んだのは偽装でどっこい生きていた!と生存説を採っている。 山東京伝のブレーンとして活躍するのである。
 源内は男色家としても知られ、生涯妻帯しなかった。彼に付き添う蘭陽は陰間上がり。果たして、二人の関係はどうなのだろうか。
2009年10月9日読了

2009年10月9日金曜日

沈壽官400年の伝統美

一子相伝の技冴える

 台風18号の勢いが鎮まったころを見計い、横浜駅西口の横浜タカシマヤ7F美術画廊で「薩摩焼 15代 沈壽官展」(2009.10.7~10.13)を観る。横浜タカシマヤ開店50周年の記念展とか。優美かつ精緻な細工――さすがに400年におよぶ歳月を経て受け継がれた伝統技術の冴えと感心し、目の保養となった。
 釈迦に説法になるだろうが、その歴史をかいつまんで書く。
15代沈壽官(ちん・じゅかん)は、慶長3年(1598年)豊臣秀吉の朝鮮出兵の帰途、島津義弘により日本に連行された朝鮮陶工の末裔である。陶工たちは鹿児島串木野島平に着船し、慶長8年に伊集院郷苗代川(現在の美山)に移住した。以来、約400年間、美山で脈々とその技術を一子相伝で継承し守ってきた薩摩焼の開祖宗家15代目。
 司馬遼太郎の「故郷忘れじがたく候」では、望郷の想いを抱きながら、異国で生き続けた朝鮮陶工の姿が描かれている。
2009年10月8日観覧

2009年10月6日火曜日

薩摩路でバッタリ龍馬

帯刀とどっちが先?
 薩摩路で龍馬に出くわした。
 ぶらり旅に出る。さしたるアテもない物見遊山である。
 歴史好きなら、薩摩⇒龍馬となれば、あれだと推測するだろう。鹿児島は、坂本龍馬とおりょうさん(楢崎龍)が日本で初めて(と言われている)新婚旅行に出かけた地なのだ。
×  ×  × ときは慶応2年(1866年)。江戸幕末。徳川政権は揺らいでいた。その1月、土佐の素浪人、坂本龍馬の斡旋により、とかく牽制しあう外様の雄、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎(木戸孝允)が会談し、「薩長同盟」を結んだ。政権交代――倒幕へ大きな一歩を踏み出した歴史の瞬間だ。
 直後に「寺田屋事件」が起る。龍馬は薩摩藩の船宿、伏見・寺田屋で幕吏に襲われる。ここはよく映画、ドラマにあるシーンである。入浴中のおりょうが異変を察知し、裸で急を告げる。おりょうの機転で、龍馬は愛用の短筒で応酬しながら、薩摩藩邸に難を逃れる。手に傷を負った彼と介護したおりょうは、夫婦の契りをかわす。負傷を癒すため、西郷に薩摩の温泉を勧められ、薩摩藩船「三邦丸」で旅に出る。
 この湯治が日本で初めてハネムーンというわけだ。
×  ×  × おりょうとの結婚の経緯(いきさつ)を知らせる、姉乙女(おとめ)に宛てた龍馬の手紙が残っている。
~今年正月廿三日夜のなんにあいし時も、此龍女がおれバこそ、龍馬の命ハたすかりたり
――寺田屋騒動でおりょうに命を助けられたことを告げ、
~両りづれにて霧島山の方へ行道にて日当山の温泉ニ止マリ、又しおひたしと云温泉に行。此所ハお大隅の国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、陰見の滝其滝の布ハ五十間も落て、中程にハ少しもさわりなし。実此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。此所に十日計も止りあそび、谷川の流にてうおおつり、短筒ピストヲルをもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかし
――夫婦で霧島に登り日当温泉、塩浸温泉に泊まり、和気清麻呂ゆかりの地で、犬飼の滝の景観に驚き、谷川では魚を釣り、鳥を撃ったり、大いに楽しんだと綴っている。
*写真=犬飼滝滝見台の掲示板2009年10月3日撮影
×  ×  × 幕吏と応戦した短筒と霧島で鳥を撃ったピストヲルは同じものだったのだろうか。同一だったと表記するものもあるが、龍馬の愛用した短筒は2丁あり、いずれもS&W(スミス&ウェッソン)製で、寺田屋騒動の際に紛失してしまい、のちに買い求めたという説もある。
 日本人初の新婚旅行は龍馬でなく薩摩藩士、小松帯刀(こまつ・たてわき)説があるのを、草野球音は今回の鹿児島の旅で初めて知った。龍馬に先立つこと10年、安政3年(1856年)、帯刀は妻ちかと結婚直後に霧島の栄之尾(えのお)温泉を訪れたことが、帯刀の日記に認められているそうだ。そういえば、薩長同盟も京都の帯刀邸で交わされたといわれており、龍馬の鹿児島湯治行には帯刀も同船している。龍馬と帯刀は昵懇であった。自らの経験からハネムーンを勧めた、つまり帯刀が先だったという説である。
 短筒、そして新婚旅行、さてどっち?

2009年9月27日日曜日

土井正三の死とイチロー

氷解そしてリスペクト

「才能を見いだせなかった人物として知られるが…」の問いに、イチローは「そうじゃないのにねえ」と短く返したそうだ。
 巨人V9戦士として知られる土井正三が、2009年9月25日死去した。67歳だった。
 イチロー取材の日本人記者はこぞってリアクションを求めたことだろう。米国現地25日(日本時間26日)トロントでのブルージェイズ―マリナーズ戦後、静かなクラブハウスで、そのときが訪れた。確執とも言われた複雑な人間関係におよぶ質問を投げた記者連に常にない異様な緊張感が走ったと、推測する。
×  ×  ×
 土井は1991年から3年間オリックス・ブルーウェーブの監督を務めている。1992年入団のイチローは2年間配下にいたことになる。当時の登録名は鈴木一朗だった。92年は7月に一軍昇格し、40試合で95打数24安打、打率.253、盗塁3という記録を残す。期待された93年は開幕スタメン(9番センター)で起用され、野茂英雄からプロ初本塁打を放つなどしたが、43試合で64打数12安打、打率.188と振るわず二軍生活を余儀なくされた。ただしファームでは92年から93年にかけ46試合連続安打、92年のジュニア球宴では代打本塁打を放ちMVPを獲得するなど非凡さを見せている。
 イチローと改名して大活躍したのは、94年仰木彬が監督に就任してからで、つまり芽が出なかった2年間を評して「才能を見つけられない」指揮官と土井はレッテルを貼られた。
 その評判をイチローは否定し、土井に哀悼の意を表したのだった。
×  ×  ×
 デリケートな問題ながら、これは伝聞である。
 1993年に二軍降格を言いわたされたイチロー(当時鈴木)は、泣いて監督の土井に残留を懇願した。また、「振り子打法」を否定され打撃フォームの改造・修正を求められたが、イチローは断固拒否し続けた。
 イチローが大リーグに活躍の場を移した2001年のこと。アリゾナ州ビオリアのシアトル・マリナーズのキャンプ地を土井が視察した際、互いに存在を確認したものの、挨拶には歩み寄らなかった。
×  ×  ×
 土井はイチローの将来性を認めていたとのちに発言している。大成とともに、イチローは過去の細事に拘らぬ人物に成長した。
 二人の間には“溝”が存在した、と草野球音は睨む。
 2001年には互いにその溝を埋める一歩を踏み出せなかった二人である。
 訃報がそれを氷解し、一流野球人同士の“リスペクト”をもたらした。

2009年9月24日木曜日

高橋克彦「だましゑ歌麿」

もとの濁りの田沼恋しき


 高橋克彦の「だましゑ歌麿」(文春文庫)読む。「だましゑシリーズ」の発端となる作品。「千に一つの目こぼしがない」南町奉行所の定町廻り同心、仙波一之進が主人公で、「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」などはそのスピンオフ作品である。
 水谷豊が17年ぶりに出演した時代劇、TVドラマ「だましゑ歌麿」(2009年9月13日記)で触れたが、江戸一番の人気絵師、喜多川歌麿の妻おりょうが大嵐の夜に殺され、事件の幕が開く。現場で見つけた髑髏(どくろ)の根付が付いた印籠を手掛かりに、真相を追う仙波の前に、やがて黒幕の正体が浮かび上がる。一同心の意地が、強大な権力と対峙する。

 作り物のキャラクターと歴史上の人物が巧みにクロスオーバーしているのが、小説の魅力となっている。
・仙波一之進:男っ気のある同心でご政道の改革に疑問を抱く
・仙波左門:一之進の父親で隠居。知恵があり、槍の名手でもある
・おこう:柳橋の売れっ子芸者。一之進に惚れる
・菊弥:一之進の使っている小者
・中山格之助:火附盗賊改、召取同心。一見、気弱な優男。
と、上記の架空の登場人物が歴史に絡む。
 10代将軍家治が死去し田沼意次が失脚したのち、11代将軍家斉のもとで白河藩主から老中首座になった松平定信は逼迫した幕政を建て直すため寛政の改革を実施した。質素、倹約を旨とし文武を奨励する。改革は厳しく、贅沢品(庶民の絹物など)を禁じ、出版・言論にも統制が加えられた。版元の「蔦重」こと蔦屋重三郎は、山東京伝の洒落本の出版で財産半減の過料を科せられ、京伝は手鎖50日の処罰を受けた。そして喜多川歌麿の絵画も改革の妨げと見做されるようになった。そんな社会情勢が小説の舞台となっている。
 さらに、
・春朗:のちの葛飾北斎。歌麿も風景画の才を認める。一之進の探索を手伝う
・長谷川平蔵:鬼と言われる火附盗賊改の長。「鬼平犯科帳」とは違うキャラ
の2人も登場し、時代小説ミステリーを盛り上げる。
 「だましゑ歌麿」を読めば、必ずや「おこう紅絵暦」「春朗合わせ鏡」などスピンオフ作品が読みたくなるだろう。
×  ×  ×
 『白河の清きに魚の住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき』なんて狂歌がありましたよね。大田南畝(おおた・なんぼ)の作でしたっけ。
2009年9月23日読了

2009年9月22日火曜日

温故"痴"新:西田佐知子

珈琲伝来は大化の改新のころ!?

 ♪初めて街で いつもの酒
  やぁ~ぱり おれは菊正宗~
 近ごろジェロの歌声がテレビから流れている。あれって西田佐知子が歌っていたヤツだよね。
 テレビ画面には「菊正宗創業350年」とあり、キクマサって、そんな歴史が古いのかと、妙に感心する。草野的には蕎麦屋の酒という印象で、経験則では蕎麦屋で酒を注文するとキクマサが出てくる場合が多い。粗塩を舐めながら冷えた樽酒を飲(や)るのもいいですな。杉の香が口中に広がる。
 「♪菊正宗」の原曲は「初めて街で」で、作詞は永六輔、作曲は中村八大。坂本九の歌唱で、世界的に大ヒットした「上を向いて歩こう」(別名スキヤキ、SUKIYAKI)を世に出した「六・八」名コンビだ。

 さて西田佐知子である。愛称「サッチン」。最近は司会ばかりで俳優をとんと御無沙汰の関口宏の奥さん。義父は松竹のスター俳優・佐野周二で、息子は関口知宏。1971年(昭和46年)結婚後、芸能活動を激減させ、専業主婦の道を選んだ。NHK紅白歌合戦10年連続出場したスター歌手だった。代表曲は「アカシアの雨がやむとき」(作詞・水木かおる、作曲・藤原秀行)だろう。「エリカの花散るとき」「くれないホテル」も記憶に残る。気になるのは、外国のカバー曲「コーヒー・ルンバ」(作曲・ホセ・マンソ・ペローニJ・M・PERRONI、作詞・中沢清二)だった。
 ♪昔アラブの偉い お坊さんが
  恋を忘れた あわれな男に
  しびれるような 香りいっぱいの
  琥珀色した 飲み物を教えてあげました
 1961年のヒット曲です。物語のような歌詞で、魅惑のドリンクで男はたちまち若い娘に恋心を抱く。そのドリンクこそ、
 ♪それは素敵な飲み物 コーヒーモカマタリ
となるわけだが、耳には「珈琲も鎌足」と聴こえてくるのだ。
×  ×  ×
 「コーヒー」と「カマタリ」――。
 ?……?
 「カマタリ」⇒「鎌足」といえば中臣鎌足(なかとみのかまたり)となりし、コーヒー伝来は大化の改新のころ? なんてぇことに発想が膨らんだ。
 カマタリは、中大兄皇子(後の天智天皇)とともに蘇我氏を滅ぼした政変劇の主役の一人で、藤原氏の始祖である。
 蘇我蒸し殺す大化の改新と覚えた645年、コーヒー伝来の次期としては早すぎよう。ついでに、「なんとキレイな平城京(710年)「鳴くよウグイス平安京(794年)」なんて歴史年号の記憶方法もありました。
 コーヒーの日本伝来は諸説あるようだが、江戸時代初期、オランダ人から長崎に持ち込まれたのが最初といわれている。空耳で聴こえた「珈琲も鎌足」から妙な発想を飛躍したが、「コーヒー・モカマタリ」であることがわかったのは、「コーヒー・ルンバ」のヒットが下火になったころで、西田佐知子に悪いことをした(笑)。
×  ×  ×
 イエメンの港町モカはコーヒーの輸出港で、イエメン産と対岸のエチオピア産のコーヒーを総称して「モカ」と呼び、イエメン産のコーヒー豆を特に「モカ・マタリ」と珍重される。さわやかな香りと強い酸味が特徴で、その「No.9」は最高級品だそうだ。
 西田佐知子――温故“痴”新の旅でした。

2009年9月18日金曜日

愛犬は晴れの日に逝った

アルフィーに感情移入

 鳩山由紀夫首相が東京・田園調布の自宅で飼っていた愛犬アルフィーが、首相誕生直後の2009年9月16日夕に死んだ。衆院本会議の首相指名選挙の傍聴後、帰宅した幸(みゆき)夫人に看取られて息を引き取ったという。数日前から体調を崩していた。老衰。12歳だった。
 アルフィーはゴールデンレトリバーのオスで、旧民主党を結党した1996年に生まれた。官邸に引越し後も「ファーストドッグ」として一緒に暮らす予定だった。彼の死はすぐに首相に知らされたが、皇居での認証式、記者会見をこなした。
 それは「晴れ姿」を見届けるような死だった。
×  ×  ×
 犬にも飼い主の思いが伝わるのだろうか。結党から政権交代という悲願までの道程を、身近にいて観てきた愛犬が、首相指名を受けた直後に世を去った。偶然と言う人もいるだろうが、見えない糸に結ばれていたという気がするのだよね。
 我が家のポメラニアンも14歳8カ月と高齢です。目を耳も鼻も利かなくなりました。親の介護とは幸い無縁でしたが、犬の介護を覚悟しています。
 感情移入させられるニュースでした。

2009年9月13日日曜日

TVドラマ「だましゑ歌麿」

北斎と写楽も同時代

 高橋克彦の同名小説をテレビドラマ化した「だましゑ歌麿」(テレビ朝日系2009年9月12日放送)を観る。

 絵師、喜多川歌麿役を演じる水谷豊が17年ぶりに時代劇に出演することで話題となっていたドラマだ。江戸を大嵐が襲った夜、歌麿の妻おりょうが殺される事件が起こる。ときは老中、松平定信の寛政の改革の時代。倹約を旨としていた。歌麿の画風は公儀に睨まれていた。「千に一つの目こぼしがない」南町奉行所同心、仙波一之進が謎解きに乗り出す。が、水谷の起用もあり、歌麿の比重も高い設定になっているようだ。
 主役の仙波役の中村橋之助がよかった。江戸弁、武家の所作など歌舞伎役者らしくごく自然に感じられるのが、いいねぇ。観ていて安心感がある。
 歌麿の妻おりょうとドラマの最後で仙波と夫婦になるおこうの二役は鈴木杏樹、仙波を助ける小者の菊弥に山本太郎、将来を嘱望される絵師の春朗に原田龍二、版元の蔦屋重三郎に岸部一徳、火附盗賊改の頭、長谷川平蔵に古谷一行を配している。
 原作では、仙波の父、左門が登場するが、ドラマでは母の設定となっており、その名も「おもん」役は市原悦子である。
×  ×  ×
 終盤に歌麿が春朗に向って言うシーンが……。
 「おまえさん、名前を変えたほうがいい。どこの出だい? 葛飾か、葛飾は江戸の北だね。葛飾北斎ってのはどうかね」
 春朗はのちの葛飾北斎であったというサービストークが付いていました。
 そういえば、寛政の時代に東洲斎写楽が登場し、わずか10カ月で忽然とその姿を消します。世に送り出した版元は蔦屋重三郎ですね。浮世絵の巨匠が揃っていた時代だったのですね。
×  ×  ×
ちょいmemo:高橋克彦「浮世絵殺人事件三部作」
・写楽殺人事件
・北斎殺人事件
・広重殺人事件

2009年9月11日金曜日

高橋克彦「おこう紅絵暦」

与力の妻で元柳橋芸者

 高橋克彦の「おこう紅絵暦」(文春文庫)を読む。シロイヌである。
 北町奉行筆頭与力、仙波一之進の妻で、元柳橋芸者のおこうが、舅の左門、絵師の春朗、仙波が使っている小者の菊弥らの力を借りて、江戸の街に起った事件を解く。美人で賢い、粋なおこうが魅力的だ。
 短編連作12編が収められている。
・願い鈴
・神懸かり
・猫清
・ばくれん
・迷い道
・人喰い
・退屈連
・熊娘
・片腕
・耳打ち
・一人心中
・古傷

 まずは「ばくれん」(莫連)の意味は? 手元のデジタル大辞泉で引くと、「すれてずるがしこいこと、そのような女性、あばずれ、すれっからし」とある。おこうはばくれん上がりだ。芸者になる前の十四、五のころ、女だてらに酒を飲み、役者まがいの派手な化粧に革草履の腕まくりで、徒党を組んで闊歩していた不良少女のころの物語。
 「迷い道」は、なに不自由のない楽隠居ながら、気鬱に襲われる左門の話。草野も共感できる心境である。
 「古傷」では、おこうの昔の男が明るみになる。一之進の心の広さが男だねぇ。
「この世にゃ男と女しかいねぇんだ。互いにいろんな相手と知り合って当たり前。今はこうしておれとおめぇが居る」。一之進がおこうの肩に手を添える。嬉しさにおこうは嗚咽する。ぐっとくる場面だ。
×  ×  × 「だましゑ歌麿」が前編にあたるそうだ。「春朗合わせ鏡」は姉妹編。実は知らなかった。「だましゑー」では千に一つの目こぼしがない同心、仙波一之進が主人公で、おこうと出逢う。売れない絵師の春朗はのちの葛飾北斎だそうだ。浮世絵に造詣の深い高橋克彦らしい登場人物の設定だ。順序が逆になったが、「だましゑ歌麿」を俄然読んでみたくなった。
2009年9月11日読了

2009年9月8日火曜日

それは横浜から始まった

福澤諭吉と神奈川展

 安政6年(1859年)、若いサムライが横浜に現れた。
 前年に5カ国(米・英・仏・蘭・露)と徳川幕府との間で締結された修好通商条約により、函館、新潟、横浜、神戸、長崎の五つの港が開かれた。横浜はそのひとつであった。開港地には貿易をもくろむ外国人がやってきた。港の周辺ににわかに街ができた。とりわけ東海道の宿場・神奈川から離れた寒村を開港場とした横浜は、その様変わりは急だった。
 大坂・適塾で蘭学を学びオランダ語に堪能だった彼は、早速腕試しを試みたが、話は通じない。言っていることはわからない。街の看板は読めなかった。
 英語ショック――。蘭学の知識から世界で広く英語が使われていることは知っていた彼は、オランダ語でなく英語の時代だと体感したのだった。横浜から江戸に戻り、英語の猛勉強を始めた。
 そのサムライこそ、24歳の福澤諭吉であった。
×  ×  ×
 横浜・馬車道の神奈川県立歴史博物館で開催されている特別展「福澤諭吉と神奈川」(2009.8.22~9.23)を観る。慶応義塾創立150周年、横浜開港150周年のアニバーサリーにあたり、福澤諭吉と神奈川県、横浜市とのかかわりに焦点をあてた展覧会である。
 日吉や湘南藤沢キャンパスなど神奈川県と関係の深い福澤コネクションが興味深い。横浜正金銀行、横浜商業高校(通称Y校)、書店の丸善、箱根の富士屋ホテルの創業・創立に際し、政財界、教育界に尽力した諭吉の姿がうかがわれ、面白かった。
・中村道太(横浜正金銀行の初代頭取)
・早矢仕有的(書店丸善を横浜で創業)
・山口仙之助(箱根・富士屋ホテル創業者)
・美沢進(横浜商業の初代校長)
 上記は、福澤の門人たちだった。
 神奈川県立歴史博物館は、横浜正金銀行として1900年(明治33年)に着工、1904年に完成した建物を利用している。1969年(昭和44年)「旧横浜正金銀行本館」として国の重要文化財、1995年(平成7年)に国の史跡に指定されている。
*「ヴ」考案は福澤諭吉(2008年7月29日記)
×  ×  ×
 蛇足ながら……。
 館内の喫茶ルームに昼食に入ってビックリです。甘口のカレーにポテトサラダ、食後にコーヒーが付いて700円という安さでしたよ。
2009年9月8日観覧 

2009年9月4日金曜日

トリノが誇る美の遺産


エジプト・コレクション120点

 東京・上野の東京都美術館で開催されている「トリノ・エジプト展―イタリアが愛した美の遺産―ANCIENT EGYPT in TORINO」(2009.8.1~10.4)を観る。 
 カイロのエジプト博物館、ロンドンの大英博物館、パリのルーヴル美術館、ベルリン・エジプト博物館、ニューヨーク・メトロポリタン博物館に比肩する世界有数のエジプト・コレクションを誇るイタリアのトリノ・エジプト博物館の所蔵品を展示している。同館は19世紀、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、フランスのアレクサンドリア総領事になったベルナルド・ドロベッティの収集品を中心に創設された。3万数千点の所蔵品から、大型彫像、ミイラ、彩色木棺、パピルス文書、ステラ(石碑)、アクセサリーなど約120点を紹介している。
 展示構成は、
・第1章:トリノ・エジプト博物館
・第2章:彫像ギャラリー
・第3章:祈りの軌跡
・第4章:死者の旅立ち
・第5章:再生への扉
となっている。
 半可通の草野的には、「アメン神とツタンカーメン王の像」「イビの石製人型棺の蓋」などが見こたえがあった。
×  ×  ×
 蛇足ながら……。
 トリノといえば、2006年の冬季五輪が開催されたイタリア北西部、フランスに近接した都市です。フィギュアスケートで荒川静香が金メダルを獲得したよね。日本選手はそろって不振でしたが、ひとり気を吐いたのを記憶しています。得意技の「イナバウアー」は流行語になりました。あれから3年余の歳月が過ぎているのですよね。
・「海のエジプト展」クレオパトラが愛した都=2009.7.10記
2009年9月3日観覧

2009年9月3日木曜日

居眠り磐音「侘助ノ白」

いよいよ安永8年に

 佐伯泰英の“居眠り磐音江戸双紙シリーズ第30弾「侘助ノ白」”(双葉文庫)を読む。
 ドラマティックな「陽炎ノ辻」から始まったシリーズも数えて30巻目、よくぞ続いていると感心する。さすがにネタに苦労している感は否めないが、佐伯泰英の読ませる技術・筆力はさすが、だなぁ。
 今回は年の瀬から正月にかけての江戸と土佐の高知の2元中継。でぶ軍鶏こと重富利次郎が土佐藩近習目付の父、百太郎と土佐入りして藩政改革を巡る騒動に巻き込まれる。利次郎の剣士として成長が描かれる。今後、霧子とのロマンスの進展がありそうな雲行き。
 江戸・神保小路の尚武館道場では新キャラの登場となる。富田天信正流槍折れの小田平助が門下(門番)として迎えられる。下士上がりの棒術の名人で、歳のころは44、45歳の苦労人、これからの活躍が見られそう。
 物語の本題である次期将軍とされる西の丸(家基)を巡る動きは、田沼意次の嫡男、意知の放った伊皿子風也を筆頭する五人組が尚武館に道場破りに現れるが、新参の小田平助が先陣を切り2人を打ち破りすごすご退散する、というごく軽く触るだけだった。
 そして、クライマックスともいえる安永8年(1779年)の年が明けた……。


磐音シリーズ
・第29弾「冬桜ノ雀」2009・5・7記
・第28弾「照葉ノ露」2009・1・29記
・第27弾「石榴ノ蠅」2008・10・4記
2009年9月1日読了

2009年8月30日日曜日

蛇足ながら…Wけんじ

「やんなっ」「バカだなぁ」

 「柴田が噛んだ」と林家三平がギャグれば、あの当時1960年代の人気漫才のWけんじにも伊東ゆかりの「小指」ネタがあった。蛇足ながら書く。
 ロイド眼鏡をかけた東けんじが、
 ♪あなたがたが 噛んだ
と、何回歌っても「あなた」でなく複数形の「あなたがた」になってしまう。そこで、細身の宮城けんじが東の頭をド突く。叩かれた東は「やんなっ」と得意のギャグを飛ばす。しばらく話が続き、間があって東が「いてーなー」と痛がる。「遅いよ」と宮城がツッコむのだった。
 字で書くと、面白さが伝わらない気がするが、これが結構笑えたのだった。
×  ×  ×
 眼鏡の東がボケ、ツッコミは痩せた方の宮城だった。「やんなっ」のほかに「バカだなぁ」なんてギャグがあった。テンポのいい喋くりで人気があった。東のその場で走っているように見せるパントマイムも面白かったなぁ。これも、書いただけでは伝わらない(筆力不足を棚にあげて…)。実際に見ないと、ね。

2009年8月29日土曜日

ちょいmemo:LocoM

伊東ゆかりが歌った

 CMにおやっと思う。SMAPが登場しているソフトバンクのヤツだ。聞き覚えのある曲に乗って5人が踊っている。
 ♪Come on,come on, Do the locomotion with me
 そうだ。あの曲は伊東ゆかりが歌っていたっけ。「ロコ・モーション」だ。
 ♪さァ さァ ダンスのニューモード
  だれでも一度で 好きになる
 1962年(昭和37年)にリトル・エヴァLittle Evaの歌唱でヒットしたポップスで、作詞はジェリー・ゴーフィンGerry Goffin 、作曲はキャロル・キングCarole King、編曲はラリー・ノレッドLarry Norredだそうだ。
 その日本語カバー曲を訳詞あらかわひろしで、伊東ゆかりが歌ったのだ。当時彼女は15,6歳だったと思う。「小指の思い出」をリリースしたのが1967年だから、メジャーになる前の出来事だった。
×  ×  ×
「locomotion」を手元の電子辞書〈ユースプログレッシブ英和辞典〉で引くと、「移動、移行、移動力、歩行力」とあります。「locomotive 」といえば機関車のことです。
×  ×  ×
「小指の思い出」は作詞・有馬三恵子、作曲・鈴木淳の作品。
 ♪あなたが噛んだ 小指が痛い
  きのうの夜の 小指が痛い  
 そういえば、今は亡き先代の林家三平が、
 ♪柴田が噛んだ 小指が痛い
と歌い、笑いを誘っていましたな。巨人Ⅴ9の核弾頭・柴田勲と伊東ゆかり、ってロマンスの噂がありましたよね。昔の話です。
小指の思い出/恋のしずく/知らなかったの

2009年8月25日火曜日

刑事・鳴沢了「久遠」

東映並みオールスター

 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」最終章「久遠(上)(下)」(中公文庫)を読む。
 前夜会っていた情報屋の岩隈が殺される。鳴沢に容疑がかかる。疑いが晴れぬまま、警視庁公安部の刑事、山口が殺される。山口は同僚刑事、山口美鈴の父親で、過去の事件で関わりがあり、鳴沢の指紋のついたダンベルが現場から発見された。2つの殺人事件の疑惑に晒される。
 自宅謹慎を命じられた鳴沢だが、命令を無視して立ち上がる。独自の捜査が進むなか、事件の奥行は深く、警視庁の内部抗争、アメリカの政界、中国マフィアが絡み、すべては鳴沢に結びついていた。そして殺された岩隈と山口はともに同じ事件を追っていたのだった。



・雪虫 2008/11/15記
・破弾 2008/11/29記
・熱欲 2008/12/13記
・孤狼 2008/12/18記
・帰郷 2008/12/30 記
・讐雨 2009/2/10記
・血烙 2009/3/22記
・被匿 2009/4/18記
・疑装 2009/5/31記
・久遠(上・下) 2009/8/25記
と、シリーズ最終の第10弾は上下巻で構成されている。
 完結編らしくオールスター勢ぞろい。さしずめ「任侠清水港」(1957年)や「赤穂浪士」(1961年)の東映オールスター映画のようだった(笑)。
・元同僚で私立探偵の小野寺冴
・元同僚で万念寺住職の今敬一郎
・最愛の女性、内藤優美とその息子の勇樹
・優美の兄でニューヨーク市警刑事の内藤七海
・新潟県警時代の後輩刑事、大西海
・元東日新聞記者で小説家の長瀬龍一郎
・西新宿署署長の水城
・八王子市内の病院の医師、荒尾
と、お馴染みの鳴沢ファミリーともいえる常連が登場するのも楽しみである。
 下巻の終盤で、長瀬が鳴沢をモデルに小説を書きたいという件はニヤリとさせられる。そのタイトルも「雪虫」だという。楽屋落ちっぽいが、筆者のサービス精神の表れと受け流す。
 そして、最後のシーン。優美と鳴沢――久々の再会は‥‥。
2009年8月24日読了

2009年8月22日土曜日

温故“痴”新:藤間哲郎

ざんざら真菰

 いやぁ歳には勝てませんや。このところ眼は白内障予備軍、歯は歯槽膿漏、そして耳は老人性難聴気味と、加齢化の荒波が男五尺の身体に押し寄せます。アンチエージングなどと力んでみても、所詮は時の流れには身を任せるしかなさそうです。
 そんなハマの隠居にして覆面雑文屋の、遠くなった耳に時折聴こえてくる歌があります。あの懐かしのメロディです。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」といいますが、「温故知新」いや「温故“痴”新」の旅へ出てみましょうか。
 ♪嬉しがらせて 泣かせて消えた
  憎いあの夜の 旅の風
 あの三橋美智也の歌謡曲デビューとなった「おんな船頭唄」三橋美智也 1。山口俊郎作曲で、作詞は藤間哲郎です。1955年(昭和30年)民謡を歌っていた三橋を歌謡曲のスターに押し上げた出世作です。
 三橋は売れない時分、横浜・綱島温泉で働いていたそうです。亡くなったおふくろは「綱島で三助(さんすけ)をしていた」と言っていたが、雑誌などを読むと「ボイラーマン」と書いてあったっけ。
 ところで「サンスケ」って、わかりますか?
 デジタル大辞泉を引くと「銭湯で、風呂を沸かしたり、客の背中を流したりした男」とある。銭湯に半股引に腹巻のみ着用した男の従業員がいたことを、草野は記憶している。現在では存在しないし、三助って「差別語」っぽい響きがありますなぁ。
 話を戻しましょう。
 高音の歌い出しに、あの三橋の美声が伸びやかに響いた。ガキのころ、続く「思い出すさえ ざんざら真菰(まこも)」という意味がわからなかった。
 「ざんざら」は「ざわざわ音がする」という意味だそうで、真菰は沼、川、湖などの水辺に生育するイネ科の多年草だそうだ。
 ♪利根で生まれて 十三七つ
 二十歳のおんな船頭が恋をします。逢瀬は利根の河原。真菰が風にざわざわ鳴っていました。男は去ります。悲恋です。消えない男の面影――。
 意味を解釈してしまうと、なんでもないことですが、このフレーズを生んだ作詞は只者ではないぞと、成人になってから思い知った次第なのです。
 その作詞家の名は藤間哲郎(ふじま・てつろう)。調べてみると、名曲があります。
 大津美子の「東京アンナ」(渡久地政信作曲=1955年)や、松山恵子の「お別れ公衆電話」(袴田宗孝作曲=1959年)もヒットしました。
 「男のブルース」(山口俊郎作曲=1956年)男のブルース/夜霧の滑走路は三船浩の低音の魅力を引き出しました。ちなみに芸名の三船は、彼自身が柔道有段者で講道館の三船久蔵十段から命名したそうです。フランク永井、神戸一郎、石原裕次郎とともに低音ブームを巻き起こしました。
 ♪ネオンが巷(まち)に まぶしかろうと
  胸は谷間だ 風も吹く
 1964年の新川二郎の「東京の灯よいつまでも」(佐伯としを作曲)東京の灯よいつまでも/君を慕いて/おれの日本海もいいですな。
 ♪雨の外苑 夜霧の日比谷
  今日もこの目に やさしく浮かぶ
「おんな船頭唄」から作詞家・藤間哲郎への温故“痴”新サーフィンでした。

2009年8月21日金曜日

横浜開港150年記念博

巨大蜘蛛マシン

 ぶらり散歩に出る。横浜・みなとみらい地区で開催されている「横浜開港博Y150―ベイサイドエリア」(4月28日~9月27日)を観る。
 1853年(嘉永6年)の黒船来航、1854年の日米和親条約締結、1858年(安政5年)の修好通商条約締結を受け、1859年に横浜は開港した。以来、2009年の今年が150年目のアニバーサリーとなる。横浜では、未来への「出港」をテーマに「150年目の大博覧会」を開催している。みなとみらい地区のベイサイドエリア、横浜駅周辺から山下・山手地区のマザーポートエリア、ズーラシア近隣のヒルサイドエリアと3地区が会場となっている。
 ベイサイドエリアでは、のっしのっしと歩く巨大蜘蛛(ぐも)のマシンが最大の見どころか。
 草野は地元であり極力愛情を持って観たが、開港150年の記念すべき博覧会としては、残念ながら規模・内容ともに物足りない。ましてや入場料金2400円(大人)は高すぎる。
 草場の陰でペリーも泣いているのではないか。
×  ×  ×
 蛇足ながら‥‥。
 黒船艦隊の提督マシュー・ペリーは1858年3月4日ニューヨークで死去している。よって、横浜の開港は知らないままだった。
2009年8月20日観覧

2009年8月17日月曜日

陰の男 難波昭二郎死す

木次に大橋に岩下

 日向があれば、日陰がある。
 「東の長嶋、西の難波」といわれ、戦後スポーツ界最大のヒーロー長嶋茂雄のライバル難波昭二郎(なんば・しょうじろう)が2009年8月14日亡くなった。74歳だった。
 大阪出身。高槻高校から関西大学に進み、関西六大学では通算7本塁打を記録し強打の三塁手として鳴らした。1958年(昭和33年)長嶋とともに読売ジャイアンツに入団したが、同じポジッションに長嶋がいたところから、出場機会に恵まれず、1962年に西鉄ライオンズに移籍し、その年引退した。
 実動5年。生涯通算成績は179試合に出場、255打数54安打、7本塁打、25打点、打率2割1分2厘と、寂しいものだった。
 引退後、サラリーマンに転じ、ワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で取締役まで出世した。プロ野球でこそ日陰者だったが、彼は努力で日向に花を咲かせた。
 長嶋といえば王となる。王貞治の日陰の存在は木次文夫(きつぎ・ふみお)である。長野・松商学園高校時代に甲子園に出場、早稲田大学では当時としては東京六大学リーグ歴代2位となる通算7本塁打を記録した。豪打の一塁手だった。王の入団2年目、1960年(昭和35年)に巨人入団したが、王との競り合いに敗れた。1962年に国鉄スワローズに移籍したが、その年引退した。
 生涯通算成績は在籍3年、59試合出場、54打数5安打、2打点、打率は9分3厘と1割にも満たず、持ち前の長打力は不発でホームランの記録はない。
 木次は脳溢血で40歳の若さで他界した。
×  ×  ×
 V9の頭脳・森昌彦との正捕手争いに敗れた大橋勲(土佐高校―慶応大学)、不動の4番一塁手・川上哲治の控えを務めた岩下守道(長野・小県農業高校)なんて、日陰の選手もいましたなぁ。常勝巨人軍を陰で支えた人たちです。

2009年8月15日土曜日

白馬童子 山城新伍さん死す

スターの美学

 これは伝聞である。
 山城新伍の入院を知った里見浩太朗が人づてにお見舞いを打診した。山城から返事があった。
 「先輩の顔は見たい。でも、おれの顔は見られたくない」

 俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名・渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが2009年8月12日、東京都町田市の特別養護老人ホームで死去した。70歳だった。
 1960年(昭和35年)テレビドラマ「白馬童子」で主役を演じ人気を博し、映画「仁義なき戦い」や、テレビバラエティ番組などの司会で活躍した。

×  ×  ×

 38歳で亡くなった映画全盛時代を支えた俳優、市川雷蔵は、入院後、病み衰えた顔を見られたくないといって、すべての面会を謝絶した。そればかりか、遺言により、顔に白布をかけたまま火葬場に運ばれたという。

2009年8月10日月曜日

風太郎「人間臨終図巻」

大原麗子と江利チエミ

 せめて最期は看取られたい。人知れず、ひっそりと逝くのは寂しすぎる。
 映画「網走番外地」や「男はつらいよ」のマドンナ役を演じた女優、大原麗子(おおはら・れいこ)が東京都世田谷区の自宅で死亡しているのを2009年8月6日、警視庁成城署員が見つけた。同署の調べでは病死とみられる。 62歳だった。
 1970年代にはウィスキーのCMで恋女房が旦那を慕い「少し愛して、ながーく愛して」と甘いハスキーボイスで語る台詞が世の男性を虜にした。好感度タレントランキング1位の座に14度就いた。1999年からは運動能力が低下するギラン・バレー症候群を発症し、芸能活動をセーブしていた。
×  ×  ×
 山田風太郎著「人間臨終図巻」(徳間文庫)を読んでいる。古今東西900人ほどの臨終、末期、死に際を記述してある。死亡時の年齢順で、若い人から徐々に高齢化して掲載するように編集されている。
 奇書であり珍書である。よくまぁこれほどの資料を集めたものだ。ただ単に資料の紹介、羅列でなく、それぞれに風太郎の主観を入れた文章に仕上げているのが、『さすが』なのである。文章に長短があり、短いもので10行足らず、長いのは数ページにも及ぶものがある。この長短は風太郎の故人への思い入れの大小と正比例しているのだろうか。
・第1巻:15歳から55歳で死んだ人々
・第2巻:56歳から72歳で死んだ人々
・第3巻:73歳から121歳で死んだ人々
 3巻で構成されている。第1巻の冒頭を飾る(果たして飾る、という表現が妥当か)のは、15歳(数え年16歳)で火あぶりの刑に処せられた八百屋お七、第3巻のトリを務めるのは121歳で大往生した世界一の長寿、泉重千代と多彩だ。
 「人間臨終図巻」3巻は愛蔵書として、折に触れ紐解(ひもと)きたくなる本である。


 
 大原麗子から江利チエミを連想した。「人間臨終図巻」では、『江利チエミ』の項でこう書き出している。
――戦後昭和二十七年、「テネシーワルツ」で売り出し、美空ひばり、雪村いづみと歌の「三人娘」といわれた江利チエミは、昭和四十六年、俳優高倉健と離婚し、四十七年、付人をやっていた異父姉に財産の大部分二億円をだましとられるという災難を受けたころから落ち目になり、キャバレー出演やドサまわりの運命に落ちていった。

 1982年(昭和57年)2月12日、熊本での着物ショーに出演したチエミは、帰京後に芝大門の寿司屋でしたたか飲んだ。酔った彼女をマネジャーはマンションに送った。部屋でも彼女は飲んだ。
 翌日、マンションをマネジャーが訪ねると、ベッドにうつぶせになって死んでいた。解剖の結果、死因は吐いたものが泥酔のため気管につまり窒息したことがわかった。
チエミ45歳だった。

 人間、死ぬときは所詮ひとり――孤独死なんて言葉を軽々しく使うな、との声もあるが、ひっそり逝くのはやはり寂しいと思うのだ。

×  ×  ×

 さらに連想は六本木野獣会へ。1960年ごろ六本木にたむろした10代を中心とした若者たちの集団(裕福な家庭の子弟が多かった)は、ファッション、音楽など時代の最先端を突っ走っていた。田辺靖雄、峰岸徹、加賀まりこ、井上順、そして大原麗子がそこにいた。

2009年8月5日水曜日

B・ビュフェとアナベル展

重要な他人

 横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6階)で「ビュフェとアナベル―愛と美の軌跡 展」(7月29日~8月31日開催、会期中無休)を観る。1999年に自殺したビュフェの没後10年を記念して、静岡県長泉町にあるベルナール・ビュフェ美術館の所蔵品から約60点を展覧している。

 1928年パリに生まれたビュフェは、第二次世界大戦後、19歳で若手画家の登竜門アンデバンダン展に出品し、高い評価を得た。硬質で鋭い輪郭線、黒を基調とした色彩、独特な陰鬱な画風が不安感や虚無感を描き出し、人気を呼び、20代でパリ画壇のスターとなった。
 30歳のとき、南仏サン・トロペでアナベルと運命的に出逢う。美しい容貌のアナベルはモデル、歌手として活躍していた。半年後に結婚する。彼らは“重要な他人”siginificanto others として惹かれあった。
 結婚後、彼女をテーマにした作品を数多く手掛けている。また、彼の作風はモノトーンから色彩が付いてくる。
 後年、彼は体調不良に悩む。パーキンソン病を患い、絵筆を握るのに難儀するようになる。描くことが命であった彼は、死にとりつかれるようになる。晩年の作品には骸骨を描いたものが目立つ。
 そして1999年ついに自らの命を断つ。

 個人的には色が乗ってきた作品、「大運河」が好みだった。
 
×  ×  ×

 この蜘蛛巣丸太には、そごう美術館の企画展がたびたび登場しています。どの美術館よりも多いはずです。これは自宅からやたら近いという立地条件が原因です。そごう横浜店に、ぶらり散歩に出ることが多いのです。
 めったに混んでいないので、ゆったり観ることができます。

 蛇足ながら‥‥。
 ビュフェは1928年、日本でいえば昭和3年生まれ。先ごろ亡くなった“フジヤマのトビウオ”古橋広之進も同年の生まれだったことを思い出しました。彼がパリ画壇の新星だったころ、トビウオも世界新を連発していたのです。
2009年8月4日観覧

2009年7月30日木曜日

二谷英明がCMに登場

特捜最前線のシーン
 妙に気になることがある。
 家庭教師のトライのテレビCMだ。若い時分の二谷英明が登場している。ドラマ「特捜最前線」~特捜最前線 BEST SELECTION BOX VOL.8 [DVD]のシーン。犯人を追い詰め、説得しているのだろうか。トランシーバーを持つ二谷。後ろに大滝秀治が控える。そして二谷が話す。
 「夏休みだけ家庭教師をつけたいですか」
 「しかも地元のトップ高出身の理数系が得意な女性の家庭教師をお願いします」
 もちろん台詞は吹き替え。緊迫な場面に、トライのコマーシャルが流れ、思わず苦笑いさせられる。
 特捜最前線はテレビ朝日で1977年から10年間放送され、根強い人気があった刑事ドラマで、二谷英明は主演の特命課長、神代恭介役を演じていた。

 なぜ二谷英明の起用なのか。

 会社情報を見て分かった。家庭教師のトライを筆頭とするトライグループは、個別指導教室に人材派遣業と事業展開している。全国に36ヶ所の支店・支社を持ち、従業員数は450名、運営スタッフ1,000名。教師登録数48万人(全国累計)、生徒数82万人(2007年10月)とあり、その代表取締役社長は二谷友里恵だった。
 そうだ! 友里恵のお父さんは二谷英明だった。郷ひろみと離婚後、トライ創業者と再婚していた。
 というわけで、CMから出た疑問が、妙にナットクして氷解したのである。

 えっ、そんなこととっくに知っていた? 
 お呼びでない。こりゃまた失礼しました。

2009年7月29日水曜日

ちょいmemo:浪or波

 白浪五人男と白波五人男、「浪」と「波」両方の表記があります。
デジタル大辞泉をみると、『「後漢書」霊帝紀から。黄巾の乱の残党で、略奪をはたらいた白波賊(はくはぞく)を訓読みしたもの。盗賊。どろぼう』とあります。黄河上流の白波谷(はくはこく)という場所を根城にしていたので、この賊を白波賊と呼んだそうです。語源からは「白波」となりますが、歌舞伎での表記「白浪」があり、2通りになったものです。現在では「白浪」を、より多く見聞するような気がします。

2009年7月27日月曜日

あの名台詞:白浪五人男

*ガキののころ、芝居や映画の台詞を覚えるのが好きだった。「名台詞」シリーズも今回を最後として、青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)を締めとする。すでに同芝居の浜松屋の場で、弁天小僧の台詞(4月4日記)は登場済みだが、有終の美を飾るのは稲瀬川勢揃いの場である。白浪五人男が「志らなみ」の番傘を差し名乗りをあげる。
 白浪の五人とは、首領の日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸である。

・日本駄右衛門
問われて名乗るもおこがましいが、
生まれは遠州浜松在、十四の時から親に離れ、
身の生業も白波の沖を越えたる夜働き、
盗みはすれど非道はせず、人に情を掛川から
 ~中略~最早四十に人間の定めは僅か五十年、
六十余州に隠れのねぇ、
賊徒の張本日本駄右衛門

・弁天小僧菊之助 ・忠信利平
さてその次は江ノ島の
岩本院の稚児あがり 普段着慣れし振袖から、髷も島田に由比が浜 ~中略~
八幡様の氏子にて、鎌倉無宿と肩書きも
島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助・忠信利平
続いてあとに控えしは
月の武蔵の江戸そだち、がきの折から手癖が悪く、 ~中略~
後を隠せし判官の御名前がたりの忠信利平

・赤星十三郎
またその次につらなるは以前は武家の中小姓、故主のために斬り取りも
 ~中略~
今日ぞ命の明け方に、消ゆる間近き星月夜、
その名も赤星十三郎

・南郷力丸
さてどん尻に控えしは
磯風荒れえ小ゆるぎの、磯馴の松の曲がりなり
~中略~
覚悟はかねて鴫立つ沢、然し哀りゃあ身に知らぬ念仏嫌れえな南郷力丸

×  ×  × 次から次へと名乗りをあげるサマが面白かったなぁ。
 青砥稿花紅彩画は「浜松屋」と「稲瀬川勢揃い」の2場取りあげたが、それだけ印象が強かったのだろう。「弁天小僧の名台詞」を書いたのが、桜の盛りの4月上旬だった。2ヶ月間の中断もあったものの、なんとか“完投”に漕ぎつけた。名台詞シリーズをひとまず締めたい。
×  ×  × あの名台詞シリーズ
①お富さん=3月30日記
②弁天小僧=4月4日記
③遠山桜=4月5日記
④三人吉三=4月7日記
⑤多羅尾伴内=4月9日記
⑥壷坂霊験記=4月11日記
⑦絶景かな=4月14日記
⑧瞼の母=5月9日記
⑨一本刀土俵り=7月5日記
⑩関の弥太っぺ=7月8日記
⑪沓掛時次郎=7月11日記
⑫国定忠治=7月14日記
⑬白浪五人男=7月27日記

2009年7月25日土曜日

泣けた「犬と10の約束」

命短かし愛せよ‥
 犬と私の10の約束[プレミアム・エディション](2枚組) [DVD]をたまたま観る。そこにDVDがあり、暇な時間があり、観たわけですが、いや参りましたな。アラ還オヤジが涙々でした。人に見せられザマではありませんや。

 ♪泣けた 泣けた
  こらえ切れずに 泣けたっけ
 春日八郎の歌唱で大ヒットした、あの「別れの一本杉」状態です。作詞は26歳の若さで帰らぬ人となった高野公男でした。作曲は高野の刎頚の友、船村徹友よ~高野公男を歌う~です。1955年(昭和30年)の作品でした。
 恋人を故郷に置いて上京した男が、あの日の別れを思い出します。あれは、村はずれの一本杉でした。カケスが鳴いていました。あれから‥‥。嫁にも行かないで、男の帰りを待っている娘は、とうに二十歳は過ぎています。今の晩婚時代と違い、当時の女性の適齢期は二十歳そこそこだと推測します。東京で一旗上げられない男もつらい。縁談をやいのやいのと催促される娘もつらい。なんちゃって、昔話に脱線しましたが、時計の針を昭和から平成に50年ほど戻しましょう。

 さて「犬と私の10の約束」です。
 14歳のあかりは医者の父と優しい母と暮らしていた。突然、母が病気で倒れる。忙しい父、ひとり家で寂しいあかりの元に、ゴールデンリトリバーの子犬が迷い込む。犬嫌いの父を説得し、犬を飼うことに。犬はソックスと名付けられた。母はあかりに犬を飼うときは「10の約束」をしなけばならないと教える。それは、犬の立場から人間への10のお願いであった‥‥。
・あなたには学校もあるし、友だちもいます。でも私にはあなたしかいません。
・私は10年くらいしか生きられません。だからできるだけ一緒にいてください。
・私が死ぬとき、お願いです。そばにいてください、覚えていてください。私がずっとあなたを愛していたことを。

 監督は本木克英。あかりに田中麗奈(福田麻由子)、父親に豊川悦司、母親に高島礼子、初恋の人で結婚する相手に加瀬亮のキャストとなっています。
 子供時代のあかりを演じた福田麻由子に将来の輝きを感じました。

 犬の寿命は大型犬で10歳程度、小型犬で12歳~14歳といわれています。犬を飼うということは、飼主が臨終を見届けることになります。
 ♪命短し 恋せよ乙女
  紅き唇 あせぬ間に
 「ゴンドラの唄」ですな。作詞は吉井勇、作曲は中山晋平ですよ。1915年(大正4年)に発表された名曲ですな。森繁久弥が歌っていたのを聴いたことがあります。
 お~ッとまたまた古い話で恐縮です。
 草野球音の家にも14歳6ヶ月のポメラニアンがいます。老犬です。近頃は、白内障でモノが見えていないようです。耳も老人性難聴(耳が遠い)気味です。老いは誰にもやってきます。飼い犬をダブらせながら、観ていると、涙が恥ずかしいほど出てきたのでした。

2009年7月14日火曜日

あの名台詞:国定忠治

*赤城の山に名月が傾きかけ、雁が鳴いて西の空に飛んで行く。役人に追われ、国定忠治は赤城山を降りる決心を子分たちに告げるシーンである。

赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定村や、
縄張りを捨て、国を捨て、
可愛い子分のてめえたちとも別れ別れになるかどで(首途)だ。

心の向くまま、足の向くまま、
あても果てしもねえ旅に立つんだ。

加賀国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物。
万年溜めの雪水に淨めて、
俺にゃあ、生涯てめえという強い味方があったのだ。

あの名台詞シリーズ第12弾は、三尺物の名作のひとつ「国定忠治」。芝居や浪曲、講談でお馴染みだが、草野球音が推すのは三船敏郎の映画だ。1960年(昭和35年)の東宝作品。監督は谷口千吉だった。
 天保7年、国定村は凶作に喘いでいた。幕府は苛政をもってのぞんでいた。故郷に戻った国定忠治は立ち上がる。代官所に斬り込む。
 国定忠治に三船敏郎。子分の日光の円蔵に加東大介、頑鉄に藤木悠。板割の浅太郎に夏木陽介が扮した。浅太郎の叔父にあたる目明し、勘助には東野英治郎。その幼子の勘太郎には、中村勘九郎だった。後の中村勘三郎である。当時の勘九郎をオンブして赤城山を三船の忠治が降りた。50年近く昔の話だが、今となっては世界の三船と十八代目勘三郎という“お値打ちモノ”のキャストだったなぁ。

 1958年の東映作品は、片岡千恵蔵の国定忠治だった。板割の浅太郎に里見浩太郎、勘介役は月形龍之介だった。監督は小沢茂弘。これもなかなかの配役だった。

 東海林太郎が歌った「名月赤城山」も忘られない。戦前の1934年の作品で、大ヒットした。作詞は矢島寵児、作曲は菊池博。
 ♪男ごころに 男が惚れて
  意気が解け合う 赤城山
  澄んだ夜空の まんまる月の
  浮世横笛 誰が吹く
 「赤城の山も今夜限り」の国定忠治を歌っている。

×  ×  ×
 「赤城の山も今夜限り」の名台詞は、行友李風(ゆきとも・りふう=1877年―1959年)の作で、新国劇の座付き作者として「国定忠治」~新国劇 極付 国定忠治 [DVD]「月形半平太」の作品を書いた。国定忠治はそれ以前にも浪曲や講談で語られていたが、この台詞が沢田正二郎演出で極め付きとなった。また、「月形半平太」の「月様、雨が‥‥」「春雨じゃ、濡れて行こう」という名台詞となっている。

2009年7月12日日曜日

ちょいmemo:三 尺 物

股旅物の別称
 「瞼の母」「一本刀土俵入り」「関の弥太っぺ」「沓掛時次郎」などの、各地を旅する博徒、侠客を主人公とし、義理人情の世界を描いた芝居・映画・小説を股旅物という。昭和初期から使われるようになった語。また、三尺物ともいう。
 長谷川伸は股旅物、三尺物の“本家”といっていい御仁である。

 三尺という長さは、「かね尺で約91センチ、鯨尺で約114センチ」。侠客は三尺帯を締めていた。通常は二重か三重に巻く帯だが、侠客は短い三尺帯(約1メートル)を一重に巻き体の前で結んでいたという。後ろから帯を掴まれても簡単に解け、逃げられる。用心からの生まれた風俗だった。というわけで、三尺帯を着用していた侠客が主人公となる芝居・講談・浪曲などの演目を、「三尺物」というようになった――豆知識でした。

×  ×  ×
 あの名台詞シリーズ
①お富さん=3月30日記
②弁天小僧=4月4日記
③遠山桜=4月5日記
④三人吉三=4月7日記
⑤多羅尾伴内=4月9日記
⑥壷坂霊験記=4月11日記
⑦絶景かな=4月14日記
⑧瞼の母=5月9日記
⑨一本刀土俵り=7月5日記
⑩関の弥太っぺ=7月8日記
⑪沓掛時次郎=7月11日記

2009年7月11日土曜日

あの名台詞:沓掛時次郎

*ガキのころ、映画や芝居の台詞を覚えるのが好きだった。長谷川伸シリーズの今回は、「沓掛時次郎」である。

あっしは旅人でござんす。
一宿一飯の恩があるので、
怨みもつらみもねぇお前さんに敵対する、
信州沓掛の時次郎というくだらねぇ者でござんす。

左様でござんすか。
手前もしがねぇ者でござんす。
ご丁寧なお言葉で、お心のうちはくみとりまするでござんす。

信州沓掛生まれの時次郎は、親分なし子分なし一本独鈷の旅烏。一宿一飯の恩義から、なんの怨みもない六ツ田の三蔵を長脇差のやりとりをする破目になり斬ってしまう。息を引き取る間際、三蔵は女房おきぬと倅の太郎吉を、おきぬの在所に送り届けることを託される。亭主の敵と旅をするおきぬは時次郎を憎んでいたが、月日の流れと時次郎の誠に心を開き、いつしか愛するように‥‥。

 名台詞は沓掛時次郎と六ツ田三蔵が、白刃を交える前の口上である。

 1961年(昭和36年)大映で、市川雷蔵が沓掛時次郎 [DVD]を、おきぬに新珠三千代で映画化されている。監督は池広一夫だった。主題歌は橋幸夫が歌った。作詞は佐伯孝夫、作曲は吉田正。
 ♪女知らずが 女の世話を
  その上 坊やの手をひけば

 1966年には東映沓掛時次郎 遊侠一匹 [DVD]で、中村錦之助の時次郎と池内淳子のおきぬのコンビで、加藤泰監督で撮っている。このときの六ツ田の三蔵は東千代之介だった。

 戦前にも大河内伝次郎、林長二郎(後の長谷川一夫)が時次郎役を映画で演じている。1928年(昭和3年)に発表された長谷川伸の戯曲だが、当代きっての時代劇俳優が演じるほどに魅力的な役柄だった。


 そういえば、超人気テレビ番組「てなもんや三度笠」(1962年~1968年朝日放送)で藤田まことが扮した「あんかけの時次郎」は、本家の沓掛時次郎のパロディであった。
 「泉州は信太の生まれ。あんかけの時次郎。義理にゃ強いが人情にゃ弱い。男の中の男一匹‥‥」と、番組の最初に口上を述べ寸劇があり、「オレがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」とコマーシャルに繋げていたっけ。

2009年7月10日金曜日

クレオパトラが愛した都

海のエジプト展

 横浜・みなとみらいのパシフィコ横浜で開催中の「海のエジプト展~海底からよみがえる、古代都市アレキサンドリアの至宝~」(6月27日~9月23日)を観る。
 「海のエジプト展」は地中海に面した街の海底から発掘された遺物を紹介し、紀元前700年から後800年の古代エジプトの末期王朝から「プトレマイオス朝」、「ギリシャ」「ローマ」時代へと繋がる1500年の歴史を辿っている。
 「カノープス」「ヘラクレイオン」「アレキサンドリア」という3つの古代都市ごとに発掘された遺物490点余りを展示している。
・聖なる癒しの都カノープスCanopus
・神々とファラオが出会う都ヘラクレイオンHeracleion
・クレオパトラが愛した都アレキサンドリアAlexandria
 高さ5メートルを超えるファラオの石像やヒエログリフ(神聖文字)がはっきり読み取れるネクタネボ1世のステラ(石碑)も素晴らしかったが、クレオパトラの宮殿があったアレキサンドリアに馴染みがあり、興味を惹かれた。
 アレキサンドリアは、アレキサンダー(アレキサンドロス)大王がプトレマイオス朝の都を置いた場所で、現在でもカイロに次ぐエジプト第2の都市。プトレマイオス朝最後の王が絶世の美女を謳われたクレオパトラ7世で、カエサル(シーザー)との息子を表したといわれるカエサリオン像の頭部が展示されていた。
 紀元前31年、クレオパトラ・アントニウス連合軍はオクタヴィアヌスのローマ軍と戦い、敗れる。クレオパトラはオクタヴィアヌスに屈することを拒み、毒蛇コブラに乳房を噛ませ自殺したと伝えられている。エジプトを征服したオクタヴィアヌスは、「カエサルの後継者」となる虞(おそれ)があるカエサリオンを殺害した。ここにプトレマイオス朝は終焉を迎えた。
×  ×  ×
 「阿修羅展」の教訓から超混雑を避けようと、開門(9時30分)前に到着したが、比較的快適に閲覧できた。学生が夏休みに入る前、今が観る絶好機だと思う。
2009年7月9日観覧

2009年7月8日水曜日

名台詞:関の弥太っぺ

*ガキのころ、映画や芝居の台詞を覚えるのが好きだった。「瞼の母」「一本刀土俵入り」のあとは、「関の弥太っぺ」とする。長谷川伸戯曲シリーズである。

この娑婆には辛い事、
悲しい事がたくさんある。
忘れるこった。
忘れて明日になれば・・・。
(空を見上げて)ああ、明日は晴れだなぁ。

1963年(昭和38年)の東映作品、中村錦之助(後の萬屋錦之介)の「関の弥太っぺ」を観た。錦之助のオーラが映画館を包んでいた。瞳がキラキラ輝いていた。それほどに勢いのある芝居だった。監督は山下耕作で、日本映画の傑作といわれる。

 生き別れた妹を探す旅人、関本の弥太郎、通称「関の弥太っぺ」は、川にはまった少女お小夜を助ける。お小夜は父親和吉と旅をしていた。その和吉が金の諍いから箱田の森介に斬られる。いまわの際に和吉からお小夜を宿場の旅籠、沢井屋に送り届けることを頼まれる弥太郎。父親の死を知らないお小夜に、語りかける弥太郎の台詞が、「この娑婆には辛い事―」である。
 お小夜を無事送り届けた弥太郎は、名も告げず旅立つ。
 探していた妹は死んだことを知った弥太郎は生きる目的を失う。
 それから10年。弥太郎の風貌は一変していた。助っ人稼業に心は荒んでいた。出入りで出会った旧知の田毎の才兵衛から、お小夜とその家族が恩人である旅人を探していると聞く。
 10年ぶりに再会する弥太郎とお小夜。だが、お小夜は弥太郎に気づかない。別れ際、「この娑婆には辛い事―」とあの台詞が再び弥太郎から語られる。すべてを悟ったお小夜は弥太郎のあとを追う――。
 名台詞が物語のキーワードになっているのだ。

 お小夜に十朱幸代、箱田の森介に木村功、田毎の才兵衛に月形龍之介、堺の和吉に大坂志郎が扮した。男の身勝手さを演じた木村功の演技が絶妙だったと、記憶している。

×  ×  ×
 ちなみに1959年大映で長谷川一夫も「関の弥太ッペ」を演じている。箱田の森介に勝新太郎、お小夜は中村玉緒だった。この映画は残念ながら、観ていない。

2009年7月5日日曜日

名台詞:一本刀土俵入り

*ガキの ガキのころ、映画や芝居の台詞を覚えるのが好きだった。「あの名台詞―」は、そんな昔を語るシリーズである。
・お富さん=3月30日記
・弁天小僧=4月4日記
・遠山桜=4月5日記
・三人吉三=4月7日記
・多羅尾伴内=4月9日記
・壷坂霊験記=4月11日記
・絶景かな=4月14日記
・瞼の母=5月9日記
と、8本書いて、ほったらかしていたが、まだまだ続けたい。第8弾の「瞼の母」以来、約2ヶ月ぶりに登場する演目は、やはり長谷川伸原作の「一本刀土俵入り」である。

親子三人、いつまでも仲良くお暮らしなさんせ。
十年前に、櫛(くし)、簪(かんざし)、巾着ぐるみ、
意見をもらった姐はんへ
せめて見てもらう駒形の
しがねぇ姿の土俵入りでござんす。

 取手宿。親方に見放され食い詰めた力士、茂兵衛は酌婦のお蔦から櫛、簪、巾着までもらい世話になる。10年後、力士を断念しやくざになった茂兵衛は取手を訪ねる。お蔦の夫がいかさま博打でやくざに追われ、お蔦のもとに逃げてきていた。恩返しに茂兵衛は追っ手のやくざを引き受ける。相手のやくざの親分は草相撲で鳴らした男。長脇差を捨て相撲で勝負を挑んできたが、茂兵衛は投げ飛ばす。横綱にはなれなかったが、恩ある人に見せる、これがせめてもの土俵入りだった。
 
 1957年(昭和32年)東宝映画で観た。駒形茂兵衛に加東大介、お蔦に越路吹雪が扮していた。監督はマキノ雅弘だった。ちなみに、加東大介の兄は沢村国太郎、姉は沢村貞子、甥は長門裕之、津川雅彦。

 三波春夫が歌う「一本刀土俵入り」もよく聴いた。作詞は藤田まさと、作曲は春川一夫。1960年の作品。
 ♪千両万両と 積んだとて
  銭に買えない 人ごころ
 長い台詞が入る。
「角力になれず、やくざになって尋ねてみりゃ、この始末。さぁ、姐さん、この金もってお行きなせえまし。飛ぶにゃ今が潮時だ。あとはあっしが引き受けました」

×  ×  ×
 三波春夫の「一本刀土俵り」雪の渡り鳥/一本刀土俵入りは近くの映画館の幕間に流れていたっけ。台詞入りの歌謡曲は、聴くほうが照れくさかったが、今となると物語が浮かんできて、実にいいもんだなぁ。

2009年7月2日木曜日

堂場瞬一「蒼の悔恨」

魅力ある真崎薫

 堂場瞬一の蒼の悔恨 (PHP文庫)を読む。
 神奈川県警捜査一課の刑事、真崎薫が主人公。堂場のヒット・シリーズ鳴沢了と同様、上司の命令はきかず自分流に捜査を進める“はみ出しデカ”である。鳴沢との相違は、酒を飲み、煙草ラッキー・ストライクを吸う。自分の名前「薫」が大嫌い。ポトフやビーフシチューを上手に作る料理好き。愛車は10年型落ちのBMW、180センチ超の長身でハンサムと、主人公のキャラクターは魅力的だ。
 連続殺人犯、青井猛郎を、真崎は初めてコンビを組んだ女性刑事、赤澤奈津ともに大けがを負った上、取り逃がす失態を演じる。その汚名を返上しようと立ち上がる。奈津の父は横浜随一の宝石商、海星社の社長。闇の世界で隠然たる存在の新世界飯店の店主、楊貞姫(ヤン・ジェン・ジー)が登場したりして、横浜ムードもある小説に仕上がっている。
 犯人を挙げた真崎は奈津に「君を愛させてくれ」と叫ぶ。ラストシーンもいい。
×  ×  ×
 まぁ、欠点は挙げないようにしょう。愉しく読めればよしとする。
 貶されるって誰でもイヤだよね。若い時分、草野球音は褒めれれて成長する典型だったなぁ。つまりお調子モノだったから。
2009年6月25日読了

2009年6月18日木曜日

レオナール・フジタ展

パリ派の代表画家

 横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6階)で「レオナール・フジタ展」(6月12日~7月21日)を観る。
 「よみがえる幻の壁画たち 世界を魅了した天才画家、藤田嗣治。」と副題にあるように、藤田嗣治(Leonard Foujita1886年―1968年)の作品を集めた展覧会。壁画は、1992年にフランスのオルリー空港近くの倉庫で発見され、6年の歳月をかけ修復後、フジタの没後40年の昨年日本で公開され話題となった。その大作壁画4点と、日本で手掛けた作品、仏エソンヌ県のアトリエ再現、ランスの「平和聖母礼拝堂」建設の資料・習作などを展覧している。

 藤田嗣治は、エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的な画家で、1920~1930年代「乳白色の肌」といわれた裸婦像がフランス画壇の寵児となった。戦時中の戦争画が、戦後になって批判・バッシングを受け、日本を離れた。日本に嫌気がさし1955年フランス国籍を取得し、1959年カトリックの洗礼を受けLeonard Foujitaになった。
 
×  ×  ×

 下世話だが、フジタは結婚を5度もしているだよね。最期を看取ったのは、5番目の妻・君代だった。その君代が今年4月2日亡くなった。98歳だった。彼女の遺骨は、ランスのフジタ礼拝堂に彼とともに眠っているそうだ。
2009年6月16日観覧

2009年6月13日土曜日

横山秀夫「ルパンの消息」

横山秀夫の処女作ルパンの消息 (光文社文庫)を読む。

 彼が上毛新聞社の記者時代にサントリーミステリー大賞に応募、佳作となり、作家生活への一歩を踏み出した作品。長らく未出版だったが、2005年に改稿し光文社カッパノベルズとして刊行された。今回(2009年)さらに加筆され文庫化された。

  15年前の女教師の自殺事案につき
  他殺の疑い濃厚との有力情報あり
  至急、帰署されたし

 平成2年(1990年)12月、忘年会の宴もたけなわ。某警察署の署長・後閑耕造(ごせき・こうぞう)に伝言が届いた。
 女教師嶺舞子(みね・まいこ)の自殺と処理していた案件は、実は殺しだった。
 タレコミ(有力情報)には容疑者の名前も特定され、「ルパン作戦」というキーワードも示されていた。容疑者は当時、高校生の喜多芳夫、竜見譲二郎、橘宗一の3人で、「ルパン」はたむろする喫茶店名だった。その喫茶店経営者・内海一矢は、「三億円事件」の有力容疑者であった。
 時効まで24時間と迫るなか、本庁捜査一課強行犯捜査第四係の係長・溝呂木義人(みぞろぎ・よしと)の指揮のもと、息を吹き返した女教師殺人事件の捜査が始まった。

 終盤、犯人が割り出され事件が解決されたかに見えるが、どんでん返しが待っている。



 高校生の生態に描写が多く割かれているあたりが、初期作品ゆえか。警察小説とは趣きが異なる。ただ、ここでの警察内部の組織や人間の描写が熟成され、「陰の季節」「動機」という後の出世作に繋がったと思う。
2009年6月13日読了

2009年6月11日木曜日

石本美由起:memoryⅤ

こまどり・島倉・ちあき

 石本美由起の告別式の模様を映し出したテレビの芸能ニュースで、久々にこまどり姉妹の姿があった。ふたりは古希を過ぎただろうか。昭和30年代の、三味線の撥(ばち)を力強く叩く、はちきれんばかりの面差はさすがになかったが、恩師を失った悲嘆の表情のなかにも凛とした雰囲気を漂わせていた。

 岡晴夫、美空ひばりを語れば、石本美由起は欠かせない。こまどり姉妹もまた、恩人である。


 こまどり姉妹、並木栄子と葉子の双生児は1938年(昭和13年)北海道厚岸生まれで、育ったのは樺太(サハリン)であった。敗戦後に引き揚げ、北海道を転々し、1951年に上京、浅草近辺で流しをしていたところをコロムビアにスカウトされた。
 デビュー作は浅草姉妹。1959年(昭和34年)、作詞・石本美由起、作曲は遠藤実である。
 ♪なにも言うまい 言問橋の
  水に流した あの頃は
 浅草を根城する流しの姉妹を題材とし、実生活を一部重ね合わせた詞となっている。
 
 この続編にあたる三味線姉妹(作詞・作曲とのみ遠藤実)がある。石本の詞ではないが、記しておく。♪お姉さんのつまびく三味線に 唄って合わせて今日も行く
 路地裏の屋台ののれんをくぐる姉妹の姿が浮かぶ。

 北海道を舞台にした詞もある。ソーラン渡り鳥だ。作詞・石本美由起、作曲・遠藤実で1961年の作品。
 ♪津軽の海を 越えて来た
  ねぐら持たない みなしごつばめ
 民謡「ソーラン節」を挿入した曲となっている。
 浅草、北海道、姉妹、三味線、渡り鳥――が、こまどり姉妹のキーワードとなった。ふたりがデビューを飾り、ヒット曲を連発した功労者は、石本美由起であり、遠藤実であった。

 島倉千代子の「逢いたいなァあの人に」「東京の人よさようなら」は1961年の石本の詞。
 ♪逢いたいなァ あの人に
  子供の昔に 二人して
  一番星を エー探したね
 作曲は上原げんと。

 ♪海は夕焼け 港は小焼け
  涙まじりの 汽笛がひびく
 「東京の人よさようなら」の作曲は竹岡信幸。いずれの2曲も島の娘をテーマにしている。

 今や伝説の歌手となった、ちあきなおみの演歌2曲がある。いずれも作曲・船村徹で、作詞はもちろん石本である。
 ♪明日のゆくえ さがしても
  この眼に見えぬ さだめ川
 「さだめ川」は1975年(昭和50年)の作品で、翌年の「矢切の渡し」は内容的にも姉妹曲である。
 ♪「つれて逃げてよ‥」
  「ついておいでよ‥」
  夕暮れの雨が降る 矢切の渡し
 「矢切の渡し」は「酒場川」のB面として発売されたが、1983年になって細川たかしがカバーして大ヒットし、レコード大賞に輝いている。また、翌1984年も五木ひろしの「長良川艶歌」で、石本は2年連続のレコード大賞曲の作詞家として名を連ねる。

 美空ひばりらの歌手ばかりでなく、石本美由起は古賀政男、上原げんと、船村徹、遠藤実らの作曲家との出逢いにより、名曲を後世に伝えることになる。人の縁に恵まれた作詞家の人生であった。(完)

×  ×  ×

 「矢切―」は、ちあきなおみの歌唱がいいなぁ。定番 歌カラ ベスト3 喝采/矢切の渡し/さだめ川

2009年6月6日土曜日

石本美由起:memoryⅣ

悲しい酒・人生一路

 美空ひばりの売上ベスト10曲を挙げる。
1.柔(1964年)180万枚=関沢新一作詞・古賀政男作曲
2.川の流れのように(1989年)150万枚=秋元康作詞・見岳章作曲
3.悲しい酒(1966年)145万枚=石本美由起作詞・古賀政男作曲
4.真紅な太陽(1967年)140万枚=吉岡治作詞・原信夫作曲
5.リンゴ追分(1952年)130万枚=小沢不二夫作詞・米山正夫作曲
6.みだれ髪(1987年)=星野哲郎作詞・船村徹作曲
7.港町十三番地(1957年)=石本美由起作詞・上原げんと作曲
8.波止場だよ、お父つぁん(1956年)=西沢爽作詞・船村徹作曲
9.東京キッド(1950年)=藤浦洸作詞・万城目正作曲
10.悲しき口笛(1949年)=藤浦洸作詞・万城目正作曲
さすがに歌謡界の女王。名曲は綺羅星の如く、である。

 作詞家でベスト10曲に二度顔を出しているのは、石本美由起と藤浦洸のふたり。作曲では古賀政男と船村徹で、このあたりが「女王ひばり伝説」を作った功労者たちと言っていいだろう。
 
 ひばりの代表作のひとつ「悲しい酒」が世に出たのは1966年(昭和41年)だった。作曲は古賀政男。
 これはどこぞで読んだ話である。石本は横浜駅西口にほど近いバーでホステスの語る身の上話から、
 ♪ひとり酒場で 飲む酒は
  別れ涙の 味がする
というフレーズが浮かんだ。
 好きな男と添えなかった女が、バーの止まり木に寂しく佇み、グラスを傾ける光景が浮かぶ。
 ♪酒よこころが あるならば
  胸の悩みを 消してくれ
 そして、夜が更けていく。

×  ×  ×

 「人生一路」は美空ひばりの人生のテーマ曲だった。1970年(昭和45年)の作品である。
 石本美由起の通夜に参列した美空ひばりの長男で、ひばりプロダクション社長の加藤和也が「先生には母の人生のテーマ曲というべき『人生一路』を作っていただいた」と、述懐していた。
 ♪一度決めたら 二度とは変えぬ
  これが自分の 生きる道
 作曲は、加藤和也の実父であり、ひばりの実弟であるかとう哲也である。かとう哲也は、俳優、歌手をしていたが、ひばりの七光りによる出演が多かったと記憶する。後に作曲を手掛けるようになる。母親・喜美枝、かとう哲也と香山武彦(旧芸名・花房錦一)のふたりの弟に先立たれ、肉親の縁の薄いひばりは、かとうの息子、加藤和也を養子として迎えた。
 かとう哲也はデビュー当時、小野透と名乗った。小野満から名をとった芸名で、ひばりと満は一時恋仲であり、ジャズの指導をしたことで知られる。あの紅白歌合戦で白組の演奏・指揮をした「小野満とスイングビーバーズ」のバンドマスターだ。
 ちなみに香山武彦のデビュー時の芸名は花房錦一で、これはひばりと親交の深い中村錦之助(後の萬屋錦之介)から「錦」の字を頂いた。
 「母の人生のテーマ曲」という加藤和也には、実父の手による作曲であり、「人生一路」に特別の思いがあったのではないか。歌うひばりも、愛した弟の作品であり、力の入れようは半端でなかった。名曲は綺羅星の如くだが、この一曲は特別だったと草野球音は看破する。
 ♪胸に根性の 炎を抱いて
  決めたこの道 まっしぐら
 どこまでも歌詞は人生を前へ突き進み、「花は苦労の 風に咲け」と結ばれている。頑固一徹な生き様を謳う詞に、ひばりは自分の人生を投影したのだろうか。(続く)
特選集/悲しい酒
かとう哲也作品集 人生一路

 

2009年6月4日木曜日

石本美由起:memoryⅢ

マドロス・港町・波止場

 「長崎のザボン売り」「憧れのハワイ航路」と相次ぎヒットを飛ばし、作詞家として踏み出した石本美由起は1951年、キングレコードからコロムビアに移籍する。ここで、作詞家人生で最も傾倒した歌い手・美空ひばりと出逢うことになる。今や伝説の域に達している“歌謡界の女王”に数々の名曲を残す。ひばりに捧げた詞は実に200余におよぶという。

 最初のヒット曲は「ひばりのマドロスさん」だろう。1954年(昭和29年)の作品。作曲は上原げんと。
 ♪縞のジャケツの マドロスさんは
  パイプ喫(ふか)して 
  アー タラップのぼる
 船員姿のひばりが瞼によみがえる。
 余談ながら、「マドロス」をデジタル大辞泉で引くと、『(オランダ)matroos=水夫、船乗り、船員』とある。最近、使わなくなった言葉である。

 ガキのころ好きだったのは「港町十三番地」だった。「みなとちょう」と読む『港町』は京浜急行・大師線の駅名にあり、その昔、発売元の日本コロムビアの工場があったそうだ。工場所在地は川崎市川崎区港町9番地。 「9」より「13」の方が語呂がよさそうだ。
 歌詞イメージからは、その舞台は横浜だろう。1957年の作品で、作曲は上原げんと。
 ♪長い旅路の 航海終えて
  船は港に 泊まる夜
 ハマの大桟橋から懐かしいそうにぶらり歩いく。行く先は決まっている。馴染みの酒場(バー)。長旅の疲れを癒す酒はウィスキーが似合う。紫煙の向こうに女がいる。
 ひとときの逢瀬の後には、早くも次の航海が待っている。逢うは別れの始めなのだ。船乗りの宿命(さだめ)とはいえ、
 ♪船が着く日に 咲かせた花を
  船が出る夜 散らす風
寂しい光景がある。

 「哀愁波止場」は1960年の作品。台詞がある。船村徹が作曲にあたる。
 ♪夜の波止場にや 誰あれもいない
  霧のブイの灯 泣くばかり
 出だしから高音部の咽(むせ)ぶようなひばりの歌声だった。新境地をさぐる意欲作だったが、ひばりの母親・喜美枝は「うちのお嬢になんて歌を歌わすの」と怒った話を、船村徹がテレビで述懐していた。高音から低音まで、類稀な音域を誇るひばりの歌唱が認められ、彼女はその年の日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。

×  ×  ×

 住み暮らし、終の棲家を横浜に決めた石本美由起。横浜・磯子の魚屋の娘、美空ひばり。ふたりの間には、流行り歌に命をかける同じ志があったと草野球音は思う。(続く)
哀愁波止場/ひばりのマドロスさん

2009年6月3日水曜日

石本美由起:memoryⅡ

ハワイへ行こう!

 ハワイについて補足する。
 「憧れのハワイ航路」が流行った戦後すぐにハワイへの観光旅行ができたわけではない。海外渡航の自由化は東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)のことで、それ以前は留学・移民など目的を持った人にしか旅券(パスポート)発行されず、観光目的では簡単に出国できなかった。
 当時の為替レートは1ドル360円で、渡航者1人500ドル(18万円)までと持ち出せる外貨の制限もあった。
 1961年にサントリー・ウィスキーの「トリスを飲んでハワイへ行こう!」というテレビCMが大人気となった。1960年に政府が「貿易為替自由化大網」を発表し、海外旅行への道筋ができた。そのタイミングを捉えて海外旅行が自由化になり次第、ハワイへ行けるという賞品を掲げたのである。まさに「憧れのハワイ」に夢が膨らんだ。

 ハワイ観光が脚光を浴び出したのは、1959年米国の50番目の州と昇格してからだ。それまでは軍事基地の島であった(現在も米国太平洋艦隊の基地がある)。同年、アラモアナ・ショッピングセンターが完成し、イケメン探偵が活躍するテレビ番組「ハワイ・アイ」(1959年~1963年)が放送され、全米でハワイ・ブームが巻き起こった。この年の、観光客数は20万人だった。
 1967年に100万人、1972年200万人、1976年300万人、1982年400万人、1986年500万人と観光客数は増え続け、現在では年間700万人が訪れる世界的な観光の島となっている。そのうち日本人観光客は約2割。

 1885年に初めて官約移民が日本からハワイに渡った。先立つこと13年、1868年(明治元年)にハワイに移民していたが、徳川幕府と移民ブローカーとの間で交わされた協定で募集された移民で、発足直後の明治政府からは認められなかった。この日本人移民を“元年もの”と呼ばれた。
 1941年12月7日(日本時間は12月8日)日本海軍はホノルルの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入する。ハワイで生まれ育った日系アメリカ人の若者は忠誠心を誓い、志願兵となった。本土の日系人と合流し442連隊となり、欧州戦線で多くの戦死者を出しながらもアメリカのために勇躍した。

 成田空港からハワイ・ホノルル空港まで路線距離にして3,831マイル。1マイル=1.609kmで計算すると、太平洋を挟み6,164キロ隔てている。ハワイは日本人にとって、移民の歴史も古く、発火点となった太平洋戦争の因縁も深く、最も親近感のある海外といえる。

 ハワイで道草したが、本題の「石本美由起:memory」に戻ろう。(続く)
啼くな小鳩よ/東京の花売娘/憧れのハワイ航路

2009年5月31日日曜日

刑事・鳴沢了「疑装」

またまた小野寺冴登場

 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」第9弾「疑装」(中公文庫)を読む。
 西八王子署管内で保護された、日本語は分かるようだが喋らない少年。鳴沢はどことなく勇樹と重なる彼を気遣うが、病院から忽然と消えてしまう。調査を進めると少年が日系ブラジル人であること、父親が罪を犯し、ブラジルに帰国したことが判明する。単なる失踪なのか、あるいは…強引に捜査に乗り出した鳴沢は、一路群馬に飛ぶ (「BOOK」データベースより)

 日系ブラジル人コミュニティと群馬県警との微妙な関係、またまた登場する元刑事の美人探偵、小野寺冴と事件との絡みも読んでのお楽しみだ。
 巻末で鳴沢了に、弁護士の宇田川から電話がかかってくる。服役中の石井敦夫の弁護をしているが、その石井から了に伝言だという。
 「お前は狙われている。気をつけろ」
 
×  ×  ×

 気になる内容ですな。石井敦夫は犯罪に走った警視庁捜査一課の元刑事です。シリーズ第6弾「讐雨」で登場しています。さて次作は「久遠」上下2巻で物語は展開されます。石井の伝言が次回作の導入部となりました。
2009年5月29日読了

石本美由起:memoryⅠ


憧れのハワイ航路

 先ごろ(2009年5月27日)85歳で亡くなった作詞家、石本美由起(いしもと・みゆき、本名・美幸)の残した名曲を辿り、備忘録「石本美由起:memory」としたい。

×  ×  ×

 高く晴れた青空に、岡晴夫の伸びやかな歌声が響きわたった。敗戦から3年、その後遺症の影を落とす昭和23年(1948年)、日本人に希望を与えた。「憧れのハワイ航路」岡晴夫 BEST★BESTの大ヒットは、石本美由起の名を轟かせた。作曲は、「月月火水木金金」「赤いランプの終列車」で知られる江口夜詞(えぐち・よし)である。
 ♪晴れた空 そよぐ風
  港出船の ドラの音愉し
 海外旅行など庶民には無縁の時代であった。太平洋を隔て常夏の島がある。航空機より船の渡航が当たり前だった。おそらく横浜の大桟橋あたりだろう。出航のドラが鳴り、五色のテープが舞う。往く人、送る人の満面に笑顔がある。
 いざ、ハワイへ出発すると、気分はさらにリラックス、2番の歌詞では‥‥
 ♪ひとりデッキで ウクレレ弾けば
  歌もなつかし あのアロハ・オエ
と、平和が訪れた今、心の底からハワイ航路を愉しでいる。

 日本海軍が米国の太平洋艦隊の基地オアフ島真珠湾を航空攻撃したのは、1941年12月8日未明のことだった。ここに日米決戦の火蓋が切られた。ハワイは戦争の発火点でもあった。
 その因縁の地へ暗く耐える戦時を経て、旅ができるようになった。海外旅行はもちろんのこと、国内の旅でさえ覚束ない一般大衆は、オカッパルの歌声に、必ず訪れる明るい時代への予兆を感じたのではないか。

 日本人のハワイ好き・信仰は、この詞から始まった、と草野球音は推測する。

 1924年広島県大竹の出身。「憧れのハワイ航路」は、大竹の港から別府へ向かう航路の風景がモチーフになったという。デビューは、「長崎のザボン売り」で歌謡同人誌に投稿した詞が、関係者の目にとまり、江口夜詞が曲をつけ小畑実が歌いヒットしている。同じ1948年にリリースした2作目の「憧れのハワイ航路」で、石本美由起はプロ作詞家として一本立ちしたのだった。(続く)
啼くな小鳩よ/東京の花売娘/憧れのハワイ航路

2009年5月28日木曜日

飛騨路でバッタリ鉄舟

剣・書・禅の達人

 飛騨路で“鉄舟”に出くわした。ぶらり旅に出る。物見遊山である。名所である高山陣屋を観る。
 そこに剣・書・禅の達人であり「江戸無血開城」の交渉人、山岡鉄舟(やまおか・てっしゅう、1836年―1888年)がいたのだ。陣屋の展示品に彼の書などがあった。
 ところで、鉄舟と高山陣屋との繋がりを、知っていますか?
 鉄舟の父、小野朝右衛門高福(おの・あさえもんたかよし)は飛騨郡代として高山陣屋に赴任していて、彼は幼少時代を飛騨高山で過ごしている。実は草野も浅学で見学するまで知らず、飛騨路で鉄舟に出逢うとは思いもしなかった。
 鉄舟については、『山本一力:「背負い富士」(2009年2月21日記)』の稿で清水次郎長との交誼を書いたが、再び触れておく。
 ときは官軍と幕府軍が戦った戊辰戦争の時代。榎本武揚は箱館へ海路脱出する際、咸臨丸が暴風雨に遭い破船し清水港に停泊した。そこを官軍に襲われ船員全員が死亡した。賊軍としてその遺体は放置されていた。次郎長は遺体を引き上げ埋葬した。いきさつを知った鉄舟は次郎長と意気投合、「壮士之墓」を揮毫(きごう)して与えた。
 また、西郷隆盛と勝海舟の江戸無血開城の会談をお膳立て、江戸を戦火から救った幕臣として知られる。江戸城開戦の準備を整える官軍が駐留する駿府にたどり着き、西郷に直談判し、無血開城の下交渉を行っている。
 明治維新後は西郷のたっての依頼で明治天皇に10年間限定の約束で侍従として使えている。
 身長六尺二寸(188㌢)体重二十八貫(105㌔)の偉丈夫であった。
×  ×  ×
 陣屋とは、江戸時代に郡代や代官が治世を行った場所で、役所や役宅、御蔵などを総称して呼んだそうです。高山陣屋は金森氏が支配していましたが、元禄5年(1692年)から幕府の天領(直轄地)となっています。飛騨とは、旧国名で、現在の岐阜県の北部に相当します。
「ときは元禄15年12月14日」――忠臣蔵の討ち入りがあった元禄年間(1688年~1703年)。5代将軍、綱吉の時代です。
2009年5月24日観覧

2009年5月21日木曜日

築山桂「北前船始末」

緒方洪庵と種痘

 築山桂の「緒方洪庵 浪華の事件帳」の第2弾『北前船始末』(双葉文庫)を読む。
 前作の「禁書売り」同様に4つの話からなる連作。
・第一話「神道者の娘」
・第二話「名目金貸し」
・第三話「北前船始末」
・第四話「蘭方医」
 表題をとった「北前船始末」がシロイヌ。緒方章(後の洪庵)が北前船の抜け荷をめぐる事件に巻き込まれる。船頭・卯之助が松前から荒波を越え大坂に連れてきた少女・おゆきの身にある秘密が隠されていた。

×  ×  ×

 緒方洪庵の功績に、大村益次郎、福澤諭吉らの人材育成と並んで種痘の普及がある。
 江戸時代にはあばた顔の人が多かった。「あばた」とは、疱瘡(天然痘)に罹った人にできる斑点をさした言葉で、天然痘は当時最も恐れられていた病のひとつだった。天然痘を予防し、患っても軽い症状ですむ接種法を種痘といい、牛痘種痘法による種痘を開発したのは、英国のエドワード・ジェンナーEdward Jenner(1749年―1823年)だった。1796年のことだった。
 日本で種痘を一番初めに成功させたのは、遅れること50年、嘉永2年(1849年)、長崎でフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年―1866年)に直接指導を受けた佐賀藩医の楢林宗建(ならばやし・そうけん1802年―1852年)だった。その種痘を日本に広めたのが洪庵である。

×  ×  ×

 第三話「北前船始末」では、種痘の問題を取り上げている。20歳の緒方章が、種痘に興味を持つ発端を描いている。修業時代の章から、後の洪庵の業績を結びつけた作者の着想が読ませる。
 章と、男装の麗人・左近の恋の行方はどうなるのだろうか。それにしても、左近のキャラクターは実に魅惑的である。
2009年5月19日読了

2009年5月16日土曜日

二束のわらじ川上澄生

版画家にして英語教師

 ぶらり散歩に出る。横浜駅東口のそごう美術館(そごう横浜店6階)で『文明開化を描いた版画家 川上澄生展』(5月9日~6月7日)を観る。
 横浜開港150周年ということで、横浜・紅葉坂生まれで黒船やペリーなど文明開化の風物を制作した版画家・川上澄生(かわかみ・すみお)の約500点の作品を展示している。

 川上(1895年―1972年)は6歳で東京に移住しているので、横浜での生活は短い。幼少時の文明開化の匂いが濃厚に漂うふるさと横浜に、強い郷愁を感じ作品のモチーフとしていた。
 展示を通して観ると、横浜・文明開化・南蛮というキーワードの作品もさることながら、木版画、木版の絵本、ガラス絵、革絵、木工品、書籍装丁など多岐多彩多作のクリエーターであることを知った。この多作のほとんどが、昼は教壇に立ちながら、夜にせっせと作りあげたとは恐れ入る。
 22歳でカナダ、アラスカへと渡り、帰国後の1921年に栃木県宇都宮中学(現・宇都宮高校)の英語教師となった。疎開先の北海道・苫小牧(苫小牧中学=現・苫小牧東高校)、さらに戦後に宇都宮女子高校でも教鞭をふるっている。版画に専念したのは63歳の退職後だったという。生涯に数千点の作品を生み出した。

 作品のなかでは、「へっぽこ先生」という木版画が気に入った。左手に風呂敷、右手にステッキ、山高帽子に三つ揃いの背広、眼鏡をかけた紳士が田舎道を歩いている。これは川上澄生自身の姿だろう。観ていると、ユーモラスであり、ほのぼのしてくるのだ。
2009年5月14日観覧

2009年5月14日木曜日

築山 桂「禁書売り」

緒方洪庵が事件に挑む

 築山桂の「禁書売り~緒方洪庵 浪華の事件帳」(双葉文庫)を読む。
 この本に惹かれたというか、トリガーになったのは「緒方洪庵」だった。緒方洪庵(1810年―1863年)は、大村益次郎、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内を輩出した蘭学の私塾「適塾」(正式には『適々斎塾』)の主宰者であり、幕末から明治にかけての日本近代化の功労者のひとりだ。その歴史上の実在した人物が事件に関わるという、副題に興味を持って手にしたのだった。

 これは超シロイヌである。特に男装の麗人、左近が魅力的だった。
 大坂の蘭学塾「思々斎塾」で勉学に励む緒方章(後の洪庵)は、師匠の中天游(なか・てんゆう)のため禁制の蘭学書を購入しようと、禁書売りと接触する。ところが取引の場所で、禁書売りは殺されていた。
 困惑する章の前に現れたのは、大坂の町を護る「在天」の左近という男装の娘だった。
・第一話「禁書売り」
・第二話「証文破り」
・第三話「異国びと」
・第四話「木綿さばき」
 一話ごとに章と左近が事件を解決するが、物語は進行する連作となっている。
 副題に「浪華」とあるように、江戸時代の大坂が舞台となっている。作者の大坂に対する想いがあるのかもしれない。築山桂(つきやま・けい)は大阪大学院卒の既婚女性だそうだ。

×  ×  ×

 NHKで緒方章に窪田正孝、左近に栗山千明のキャストで「土曜時代劇・浪花の華~緒方洪庵事件帳」として今春まで放送されていた。
2009年5月13日読了

2009年5月12日火曜日

あの名台詞:瞼 の 母

*女優・森光子主演の舞台「放浪記」が、2009年5月9日の東京・帝国劇場で上演回数2000回を達成した。林芙美子役は初演の1961年以来の持ち役で、単独主演回数としては国内最高、世界にも例をみない大記録である。この記念すべき日に89歳の誕生日を迎えた。
 政府は5月11日、森光子に国民栄誉賞を授与することで検討に入った。
 
×  ×  ×
 森光子の「放浪記」初演は昭和36年、遅咲きの森41歳のことだった。
 当時の芸能界は、歌謡界では17歳下の美空ひばり、映画界では14歳下の石原裕次郎がすでにスーパースターであった。植木等の「スーダラ節」がヒットした年で、時代劇映画も全盛で、東映の中村錦之助(後の萬屋錦之介)、大映の市川雷蔵が銀幕に颯爽と輝いていた。錦之助は12歳、雷蔵は11歳年少で、ひばり、裕次郎とも鬼籍に入っている。
・美空ひばり(1937年―1989年)
・石原裕次郎(1934年―1987年)
・中村錦之助(1932年―1997年)
・市川雷蔵(1931年―1969年)

×  ×  ×
 さて、長谷川伸の「あの名台詞:瞼の母」である。「瞼の母」はもともと戯曲で、舞台、映画で番場の忠太郎は数多く演じられたが、草野球音にはなんといっても中村錦之助の映画瞼の母 [DVD](監督=加藤泰・東映)である。錦之助が忠太郎を演じたのは、森の「放浪記」初演の翌年の昭和37年、1962年だった。
 あの頃の錦之助は目が光っていたなぁ。演技の熱がスクリーンから伝わるようだった。

 幼い頃に母と別れ、父とも死別した番場の忠太郎は、やくざ渡世に身を置く一本独鈷。母を訪ねて江戸へと着いた。夜鷹の老女から柳橋の料理屋・水熊の女将が昔、江州番場宿で子どもを残してきたと聴く。まだ見ぬ母の生活資金と貯めた百両を懐に、忠太郎は水熊の女将おはまに会いに行く。

おっかさん、忠太郎でござんす。

 おはまにはお登世という娘があり、娘のために忠太郎を自分の子でないと突っぱねる。夢にまでみたおっかさん、逢わなければよかったのか。悲嘆にくれる忠太郎が泣かせる。

考えてみりゃあ俺も馬鹿よ、
幼い時に別れた生みの母は、
こう瞼の上下ぴッたり合せ、
思い出しゃあ絵で描くように見えてたものを
わざわざ骨を折って消してしまった。

おはま役は木暮実千代で、親子対面の場では忠太郎役の錦之助とやりとりは、緊迫感があった。お登世役は大川恵子、老夜鷹には沢村貞子が扮した。錦之助の弟分、金町の半次郎役で松方弘樹が出演している。

×  ×  ×
 中村錦之助と森光子は1965年に「冷飯とおさんとちゃん」(監督=田坂具隆・東映)で共演している。山本周五郎の原作「ひやめし物語」「おさん」「ちゃん」3編の映画化だが、このオムニバス映画で錦之助は3役をこなしている。ふたりは第3話「ちゃん」で、火鉢職人と4人の子持ちの妻役を演じた。

2009年5月8日金曜日

ちょいmemo:カトリス

グアテマラ

♪うちのダンナは グアテマラ生まれ
 蚊に効くカトリス 好きだった~

‥ステキな歌ね

 妙に気になるのだ。あの歌声が‥‥。
 小池栄子がマッサージを受けている。場所はアジアンリゾートだろうか。マッサージをしながら、東南アジア系と思(おぼ)しきおばさんが歌っている。最近、草野が気に入っているKINCHOの殺虫剤CMである。
 意表を突く「グアテマラ」という語感が新鮮だ。

 グアテマラは中央アメリカ北部に位置する共和制国家で、北にメキシコ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルの国境を接し、北東にカリブ海、南は太平洋に面している。首都はグアテマラ市。人口1400万人。コーヒー、砂糖、バナナの生産が盛ん。

 という、どうでもいい駄話でした(笑)。

2009年5月7日木曜日

居眠り磐音「冬桜ノ雀」

盲目の老剣士

 佐伯泰英の“居眠り磐音江戸双紙シリーズ第29弾「冬桜ノ雀」”(双葉文庫)を読む。
 次期将軍とされる家基が悪夢に襲われ、生命の危機に瀕する。かって武名を轟かせたタイ捨流達人、盲目の老剣士と、その孫の女武芸者の仕業だが、剣士は生きていれば齢100歳を超えるという。磐音を討つべく刺客も、とうとうオカルトまがいの登場人物となり、いささか荒唐無稽の感を逃れられない。
 いずれにせよ史実によれば、「幻の11代将軍」家基は安永8年(1779年)に急逝するので、死期が迫ったことになる。このシリーズでは、どのような展開になるのだろうか。

 もうひとつの興味は、磐音とおこんに子宝は授かるのか。ふたりの夜の営みを想像させる場面を佐伯泰英が珍しく二度ほど登場させたのは、ベビー誕生の伏線と草野球音はみたがどうだろうか。次回以降に二世が見られるか。

 千利休ゆかりの茶碗をめぐる武家の諍(いさか)い、脱獄囚の能楽の丹五郎一味の捕物のエピソードも盛られている。鼠志野の茶碗で登場する高家瀬良家の殿様が、なにやら「忠臣蔵」の吉良上野介を彷彿させるキャラクター。丹五郎一味の捕縛事件には、笹塚孫一、木下一郎太、竹村武左衛門ら懐かしい顔も揃い、シリーズらしい展開となっている。
2009年5月5日読了