2008年12月30日火曜日

刑事・鳴沢了「帰郷」

確執の氷解
 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」第5弾「帰郷」(中公文庫)を読む。
 確執のあった父・宗治が病死した。葬儀のため帰郷した鳴沢了のもとに、青年が訪ねて来る。彼は、15年前の殺人事件の被害者のひとり息子、鷹取正明だった。父・洋通を殺した犯人は、父の同僚、羽鳥美智雄だと訴える。事件は宗治の葬儀当日に時効を迎えていた。「捜一の鬼」といわれた宗治が唯一未解決だった事件に、了が乗り出す。
 雪虫/破弾/熱欲/弧狼と、父・宗治との心の葛藤というサイドストーリーが、上記4作のテーマである事件とは別に、シリーズを彩っていたが、この「帰郷」で了の心のわだかまりが氷解し、父の自分に対する愛情を感じるまでになる。
 緑川聡、大西海の新潟県警時代の先輩、後輩の刑事が、「雪虫」以来、再登場し、事件解決への手を貸す。また、愛する内藤優美と勇樹の母子にニューヨーク行きの話が持ち上がる。勇樹が全米の人気テレビドラマに出演のオファーがあり、了と母子との関係は今後どうなるのだろうか。興味津々。
 鳴沢了シリーズの「かっぱえびせん」状態は続く。「やめられない、とまらない」のだ。

2008年12月25日木曜日

藤沢周平「闇の穴」

 藤沢周平の「闇の穴」(新潮文庫)を読む。
木綿触れ
小川の辺
闇の穴
閉ざされた口
狂気
荒れ野
夜が軋む
以上7つの時代小説の短編が収められている。幼女に劣情を催し、殺人まで犯す大店の主人を描いた「狂気」が興味深かった。
 久々の周平ワールドを楽しむ。いつ読んでも時代短編小説の名手ぶりに唸る。

2008年12月23日火曜日

Dread Forever

ドレッドの魂

 ドレッドが死んだ。
 物語の展開から、それは予想されたことではありましたが、いざやって来るとちょっとジンと来ますなぁ。

 ドレッドDreadってどこのどいつだよ?
 えっ、知らない。ごもっとも。NHK英語講座「リトル・チャロLittleCharo~カラダにしみこむ英会話」に登場する、「ドレッド」というボクサー犬なんですな。「僕さ、ボクサー」なんてガッツ石松が、その昔ギャクっていましな。
 どうでもいい? それがどうした?
 失礼。たかが犬なんぞで、「ジンと来る」もないもんだ、と思うかもしれせんが、それが、まっ、隠居の話を聴いてくださいな。

 この物語、よく出来ていますぞ(原作・わかぎゑふ英語脚本・佐藤良明+栩木玲子)。主人公はチャロという、日本生まれの子犬でな。捨て犬だったところ、翔太という少年に助けられる。翔太の家族とニューヨーク旅行中に、はぐれて迷子になる。さぁ大変だ。ひとことで言えば、マンハッタンでひとりぼっちの子犬チャロが、日本へ必死に戻ろうとする冒険ストーリーなんですな。

 迷子のチャロに、生きていく方法を教えたのが、ドレッドです。その恩人(犬)の死というわけです。4月から放送し、数えて38話目(2208年12月22日放送)。
 虫の知らせで、チャロが巣に駆け戻ると、そこにマルゲリータMargheritaが悲嘆にくれて居ます。「ドレッドはどこ?どこに行ったの?」
 マルゲリータが言いますな。
 They carried him away , a few minutes ago… (ドレッドはさっき運ばれていったわ。ほんのちょっと前に)
 
かわいそうに。。。チャロはドレッドの死に目に会えなかったんですな。

 さらに、マルゲリータは言います。
 From now on, Dread will always be with us. (これから、ドレッドは、これからずっと、あたしたちの心の中にいるの)

 アニメのキャラクターが演じるわけなんですが、どうです、ちょっと感情移入して来ませんか。
 それにしても、マルゲリータは飼い主のローザがイタリアンレストラン出店のためマイアミに、キャンディCandyは飼い主クリスの心臓病術後の療養にシカゴに、とチャロは別れることになります。そしてドレッドの死‥‥「リットルチャロ」物語は急展開していますな。目が離せませんぞ。
 
×  ×  ×

 ところで、ペットロスPet Lossという言葉があります。家族同然のペットが死んだあと、その悲しみ・喪失感に襲われることを指すことで、日常生活に支障をきたす病的な場合は「ペットロス症候群」というそうです。
 隠居の家にも、ポメラニアンの老犬がいます。無芸大食のバカ犬ですが、バカな子ほど“可愛ゆい”のですな。来年1月には14歳になります。歳とともに、視覚・嗅覚、足腰などに衰えは出ています。死んだりしたら、きっとペットロスを苦く体験することになるのだろうなぁ。
 長生きしてほしい、と切実に思う昨今です。

※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

2008年12月20日土曜日

ちょいとmemorandum

国民栄誉賞

 2008年12月6日に死去した作曲家、遠藤実に国民栄誉賞が贈られることになった。「高校三年生」「北国の春」など5000曲におよぶ大衆歌謡を世に送り出した功績を讃えられての受賞。これで、作曲家では古賀政男、服部良一、吉田正に次ぎ4人目。
 国民栄誉賞は、「国民に広く敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績をあった方に対して、その栄誉を讃えることを目的とする」とし、1977年に創設された内閣総理大臣表彰で、遠藤実は16人目の表彰となる。
 過去の受賞者と総理大臣
王貞治1977年=福田赳夫
古賀政男1978年=福田赳夫
長谷川一夫1984年=中曽根康弘
植村直己1984年=中曽根康弘
山下泰裕1984年=中曽根康弘
衣笠祥雄1987年=中曽根康弘
美空ひばり1989年=宇野宗佑
千代の富士1989年=海部俊樹
藤山一郎1992年=宮沢喜一
長谷川町子1992年=宮沢喜一
服部良一1993年=宮沢喜一
渥美清1996年=橋本竜太郎
吉田正1998年=橋本竜太郎
黒澤明1998年=小渕恵三
高橋尚子2000年=森喜朗

 イチローは、2001年(大リーグ初の日本人首位打者)と2004年(シーズン最多安打記録)と2度にわたり受賞を打診されたが、「現役でまだ発展途上にあり、いただけるなら引退時にいただきたい」と固辞している。
 国民的な人気という点では、長嶋茂雄は「国民栄誉賞」に最適人と草野は思うが、これまで受賞のタイミングがなかったようだ。石原裕次郎は亡くなったとき、受賞してもよかったのはないか。また、比較論からいえば、高橋尚子が選ばれたのなら、谷亮子や北島康介はどうなのだろうか。
 とかく支持率低迷内閣の人気とりといわれる賞だが、基準があるようであいまいで、“そのときの機運”で決まるようである。
 
 だが、しかし‥‥。選らばれた歴代16人の偉業は、燦然と輝いている。

2008年12月18日木曜日

刑事・鳴沢了「弧狼」

巨躯大食漢の今

 堂場瞬一「刑事・鳴沢了シリーズ」の第4弾「弧狼」(中公文庫)を読む。
 ひとりの刑事が死に、ひとりの刑事が失踪した。青山署の生活安全課から刑事課異動となった鳴沢了が、本庁理事官の沢登から、その特命捜査を受けるところから、ドラマは始まる。
 コンビを組む刑事は、練馬北署の、255ポンドの巨躯で大食漢の今敬一郎(こん・けいいちろう)だ。末は僧侶となる身で、気配りもできる人物。憎めないキャラクターである。また、シリーズ第2弾「破弾」でコンビを組んだ小野寺冴が、刑事を辞め、私立探偵となって再登場するのも妙味だ。
 極秘捜査は困難を極めるが、愛する優美の身辺にも危険が及ぶなか、了と確執のある、父・宗治が胃癌で療養していることが判明する。
 新潟県警時代の同僚刑事、新谷を通じて父の助言を受け、事件解決の闘志をたぎらせる了が、警察内部の不祥事に迫る。
 堂場瞬一はストーリーテラーですなぁ。今回も展開で読ませてくれました。

2008年12月13日土曜日

刑事・鳴沢了「熱欲」

内藤優美

 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了シリーズ」の第3弾「熱欲」(中公文庫)を読む。
 青山署生活安全課の了は、マルチ商法の詐欺事件の内偵をする――ストーリーは始まる。
 鳴沢了が、人生の、人間としての悩みを抱えながら、事件に立ち向かうシリーズだが、そのラブロマンスも一興なのだ。
 第1弾の「雪虫」では幼馴染の石川喜美恵、第2弾「破弾」では同僚刑事の小野寺冴とふたりの美人が登場したが、堂場瞬一は第3弾でも読者の期待?に応える。  
 今度は、アメリカ留学時の親友の妹、内藤優美(ないとう・ゆみ)。小柄のキュートな美人。1度結婚に失敗し、男の子(勇樹)の母でもある。
 父親との葛藤、祖父を自殺に追い込んだと思い、また尊敬する先輩を射殺せざるを得なかったトラウマを、これまで頑なに他人に弱みを見せなかった了が、初めて心の悩みを打ち明ける――その相手こそ、優美であった。
 優美の兄、七海(ななみ)はニュヨーク市警の刑事で、チャイニーズマフィアも絡むサスペンス内容は読んでのお楽しみ。

2008年12月11日木曜日

遠藤 実:memory

瞼の昭和

 昭和の歌謡界を代表する作曲家、遠藤実が2008年12月6日死去した。「高校三年生」「北国の春」など誰にでも愛唱される歌謡曲作りに心血を注ぎ、5000余曲を世に送り出した。76歳だった。



 哀愁と親しみやすさを感じる、その楽曲を口ずさみながら、草野球音的「遠藤実アンソロジー」を―― 。

 作曲家・遠藤実が世に出たのは、1957年(昭和32年)だった。東京生まれ、新潟に疎開し育つ。17歳で上京し、ギター抱えた流しの生活を送った末、作曲家となる。
 デビュー曲は「お月さん今晩わ」。作詞は松村又一藤島桓夫の独特の鼻にかかった甘い歌声を記憶している。
 ♪こんな淋しい 田舎の村で
  若い心を 燃やしてきたに

 以後、ヒット曲を毎年のように生み出す。翌1958年には島倉千代子の「からたち日記」(作詞・西沢爽)だ。「幸せになろうね、あの人はいいました‥‥」台詞も島倉ファンを痺れさせた。
 ♪こころで好きと 叫んでも
  口では言えず ただあの人と
 以前にも書いたことあるが、草野は、「くちづけさえの 想い出も のこしてくれず 去りゆく影よ」という二番の歌詞がいいなぁ。

 浅草姉妹(1959年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
 ♪何も言うまい 言問橋の
  水に流した あの頃は
 双子姉妹こまどりのこぶしが心地よかった。

 アキラのドンドコ節(1960年=歌・小林旭、作詞・西沢爽)
 ♪町のみんなが 振り返る
  青い夜風も 振り返る
 小林旭の頭のてっぺんから出すような高音が響いた。ドリフや氷川きよしのズンドコ節の先駆けといえる。

 ソーラン渡り鳥(1961年=歌・こまどり姉妹、作詞・石本美由起)
 ♪津軽の海を 越えて来た
  ねぐら持たない みなしごつばめ
 三番の歌詞の「瞼の裏で咲いている 幼馴染のはまなすの花」というフレーズが好きだ。

 おひまなら来てね(1961年=歌・五月みどり、作詞・枯野迅一郎)
 ♪おひまなら来てよね 私淋しいの
  知らない 意地悪
 当時、二十歳そこそこの五月の色っぽさは少年をどきりとさせた。

 襟裳岬(1961年=歌・島倉千代子、作詞・丘灯至夫)
 ♪風はひゅるひゅる 波はざんぶりこ
  春はいつ来る 灯台守と
 当地には、森進一(作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎)の曲と、2つの歌碑があるそうだ。

 若いふたり(1962年=北原謙二、作詞・杉本夜詩美)
 ♪君には君の 夢があり
  僕には僕の 夢がある
 青春歌謡というジャンルのはしりではなかろうか。北原謙二は大阪の浪商出身という、平凡だか明星だかで読んだことを覚えている。鼻に抜けるような高音が懐かしい。

 1963年(昭和38年)には舟木一夫の「高校三年生」が世に出る。作詞は丘灯至夫。
 ♪赤い夕日が 校舎をそめて
  ニレの木陰に 弾む声
 舟木が学生服姿でデビューした。凄まじい勢いでスター街道を突っ走った。同年に「修学旅行」「仲間たち」「学園広場」と遠藤実はたて続けに作曲する。

 修学旅行(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
 ♪二度とかえらぬ 思い出乗せて
  クラス友達 肩寄せあえば

 仲間たち(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・西沢爽)
 ♪歌をうたって いたあいつ
  下駄を鳴らして いたあいつ

 学園広場(1963年=歌・舟木一夫、歌詞・関沢新一)
 ♪空にむかって あげた手に
  若さがいっぱい とんでいた
 
 詰襟の舟木一夫と、着流しの橋幸夫が歌謡界の人気を二分していた。通っていた中学校では舟木派と橋派の女の子たちの「派閥」が出来上がった。西郷輝彦を加えて「御三家」となるのは、この後である。
 橋は吉田正門下生として有名だが、デビュー前に遠藤実に歌唱指導を受けていたそうだ。

 哀愁出船(1963年=歌・美空ひばり、作詞・菅野小穂子)
 ♪遠く別れを 泣くことよりも
  いっそ死にたい この恋と
 歌謡界の女王にもしっかり楽曲を提供している遠藤であった。

 ギター仁義(1963年=歌・北島三郎、歌詞・嵯峨哲平)
 ♪雨の裏町 とぼとぼと
  俺は流しの ギター弾き
 遠藤実の実体験を曲に託したと知ったのは、二十台半ばであった。サブちゃんも流しだった。

 君たちがいて僕がいた(1964年=歌・舟木一夫、歌詞・丘灯至夫)
 ♪清らかな青春 爽やかな青春
  大きな夢があり

 青春の城下町(1964年=歌・梶光夫、西沢爽)
 ♪流れる雲よ 城山に
  のぼれば見える 君の家
 梶光夫の素朴な歌い方が曲に合っていたと思う。

 星影のワルツ(1966年=千昌夫、作詞・白鳥園枝)
 ♪別れることは つらいけど
  仕方がないんだ 君にため
 歌声にも東北なまりの出る千の歌唱に好感を抱いた。

 こまっちゃうナ(1966年=歌・山本リンダ、作詞作曲・遠藤実)
 ♪こまっちゃうナ デイトにさそわれて
  どうしよう まだまだはやいかしら
 作詞も遠藤。リンダの舌たらずの歌声にぶっ飛んだ。

 他人船(1966年=歌・三船和子、作詞作曲・遠藤実)
 ♪別れてくれと 云う前に
  死ねよと云って ほしかった
 作詞も遠藤。三船和子がしっとり歌っていた。

 新宿そだち(1967年=歌・大木英夫・津山洋子、作詞・別所透)
 ♪女なんてさ 女なんてさ
  嫌いと思って見ても

 君がすべてさ(1968年=歌・千昌夫、作詞・稲葉爽秋)
 ♪これきり逢えない 別れじゃないよ
  死にたいなんて なぜ云うの
 草野好みの1曲。

 ついて来るかい(1971年=小林旭、作詞作曲・遠藤実)
 ♪ついて来るかい 何も聞かないで
  ついて来るかい 過去のある僕に

 純子(1971年=歌・小林旭、作詞作曲・遠藤実)
 ♪遊び上手なやつに だまされていると聞いた
  噂だけだね 純子
 「ついて来るかい」「純子」とも遠藤の作詞作曲で、マイトガイ旭が情感を込めて歌う。歌う映画スターでも屈指の歌唱力と思う。

 せんせい(1972年=森昌子、作詞・阿久悠)
 ♪淡い初恋 消えた日は
  雨がしとしと 降っていた
 セラー服の森昌子は14歳だった。そういえばヒットメーカー阿久悠も昨年死去したのだ。

 くになしの花(1973年=歌・渡哲也、作詞・水木かおる)
 ♪いまでは指輪も まわるほど
  やせてやつれた おまえのうわさ
 技巧など全く無視したような渡の歌声だったなぁ。

 アケミという名で十八で(1973年=歌・千昌夫、作詞・西沢爽)
 ♪波止場でひろった 女の子
  死にたいなんて 言っていた
  アケミという名で十八で
 「蹴飛ばせ 波止場のドラムカン」と千は歌っていたっけ。

 すきま風(1976年=歌・杉良太郎、作詞・いではく)
 ♪人を愛して 人は心ひらき
  傷ついてすきま風 知るだろう
 杉は本物の歌手であった。

 そして、1977年(昭和52年)に、世界的大ヒット曲「北国の春」がリリースされる。翌1978年に大ブレークした。海外進出し、いまでは中国はじめ東南アジアでも広く愛唱されている。
 遠藤実が作った名曲「北国の春」は、坂本九の「上を向いて歩こう」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)と並び、世界で最も有名な日本の歌といえる。
 作詞・いではく。歌手の千昌夫自身も思い入れ強く、この歌をNHK紅白歌合戦で3度も歌っている。
 ♪白樺 青空 南風
  こぶし咲くあの丘 北国の 
  あぁ北国の春

 夢追い酒(1978年=歌・渥美二郎、作詞・星野栄一)
 ♪悲しさまぎらす この酒を
  誰が名付けた 夢追い酒と

 みちづれ(1978年=歌・牧村三枝子、作詞・水木かおる)
 ♪水にただよう 浮草の
  おなじさだめと 指をさす

 雪椿(1987年=小林幸子、作詞・星野哲郎)
 ♪やさしさと かいしょのなさが
  裏と表に ついてくる

 最期を看取ったのは、遠藤実の家族と最大のヒット曲「北国の春」の作詞家いではくとその歌い手千昌夫だったという。

 昭和の象徴がまたひとつ消えた。

2008年12月4日木曜日

近代絵画の父セザンヌ

*横浜美術館(横浜・みなとみらい)で「セザンヌ主義(父と呼ばれる画家への礼賛~ピカソ・ゴーギャン・マティス・モディリアーニ)」展(2009年1月25日まで)を観る。
 
 ピカソが畏敬をこめて「父」と呼んだ、“近代絵画の父”ポール・セザンヌ(1839年―1906年)の作品約40点と、その影響を受けたと思われる画家の作品約100点を国内外から集め、比較して展観するという意図で、構成されている。
 出展作家を挙げると、
アンリ・マティス
パブロ・ピカソ
ポール・ゴーギャン

アンリ・マティス
モーリス・ドニ
ジョルジョ・ブラック
アメデオ・モディリアーニ
マルク・シャガール
安井曾太郎
岸田劉生
森田恒友
佐伯祐三
小野竹喬
などで、巨匠が並び壮観である。
 セザンヌ主義(セザニスム)と称される作品の数々である。

 と、知ったかぶりをしているが、草野は美術を鑑賞する力など全く持ち合わせいない。半可通の目には、セザンヌ作品では、「青い衣装のセザンヌ夫人」「帽子をかぶった自画像」「りんごとナプキン」、安井曾太郎の「夫人像」が印象に残った。
 セザンヌが国内外の画家におよぼした影響の大きさ、功績をうかがえる展示であった。

×  ×  ×
 セザンヌに強く影響を受けた岸田劉生(1891年―1929年)は、岸田吟香(1833年―1905年)の息子である。吟香はJ・Cヘボン(1815―1911)和英辞書「和英語林集成」刊行、ジョセフ彦(1837年―1897年)の新聞発行に尽力した。また、目薬「精錡水(せいきすい)」を販売した実業家であり、『「七つの顔」を持った男』(2008年9月7日記)であった。幕末から明治にかけて多岐にわたり活躍している。
 セザンヌを観に行って、岸田吟香まで連想を繋げられたことが、草野的には妙味であった。