2008年11月29日土曜日

刑事・鳴沢了シリーズ

破弾

 堂場瞬一刑事・鳴沢了シリーズの第2弾「破弾」(中公文庫)を読む。
 第1作「雪虫」で、50年前の事件を掘り起こし、祖父・鳴沢浩次を自殺に追い込んだことを自責して、新潟県警を辞めた鳴沢了だが、3代続いた刑事の血を断てず、警視庁の採用試験を受け、多摩署に配属される。仕事もないまま、資料室で過去の事件報告書を読み漁る無為な毎日を過ごすとき、ホームレス襲撃事件の捜査を命じられる。
 「雪虫」の石川喜美恵の続き、美人の登場だ。小野寺冴(おのでら・さえ)。モデルのような長身、美人刑事である。了と同期の30歳。犯人を射殺した不祥事を起こしたこと過去を持つ。
 ホームレス襲撃事件の現場で、了は冴から被害者が姿を消したことを告げられる。ここから、「破弾」のストーリーは展開する。
 後は読んでのお楽しみで、シロイヌだった。



破談

 シロもの繋がり――。
 オスのつもりでいたシロクマはメスだったという話題に最近出くわした。
 札幌の円山動物園がシロクマのオス2頭を、他の動物園に繁殖目的で「婿入り」させたところ、男女の関係に至らず、改めてDNA鑑定してみると、2頭ともオスであることが判明した。2頭は釧路市動物園のツヨシ(4歳)とおびひろ動物園(帯広市)のピリカ(2歳)。生後間もなく行われた目視や触診の性別判断が間違っていたという。
 破談となった。

 人間にもときたま「性同一性障害」ってあるけど、全然違う話か? 人間の場合は、医学的に証明されれば、男から女の名前に戸籍変更ができるらしいけど、「ツヨシ」はどうなるのだろか。
 それにしてもシロクマの破談も、「シロイヌ」(尾も白い⇒オモシロイ)だよね。

2008年11月24日月曜日

フランク永井:memory

魅惑の低音は永遠に

 低音の魅力と謳われたフランク永井が亡くなった。2008年10月27日のことだった。1985年(昭和60年)に自宅で自殺を図り、その後遺症で長らく闘病生活を送っていたが、帰らぬ人となった。76歳だった。

 昭和を代表する歌手であった。

 「あ―やんなっちゃった」のウクレレ漫談の牧伸二が、
♪フランク永井は低音の魅力
 神戸一郎も低音の魅力
 水原弘(1935年―1978年)も低音の魅力
 漫談の牧伸二、低能の魅力
と歌っていたっけ。
 
 三船浩(1929年―2005年)、石原裕次郎(1934年―1987年)と、昭和30年代初期、低音ブームを巻き起こした。

 フランク永井の存在を初めて草野球音が知ったのは、奇妙なタイトル曲からだった。「13800円」である。1957年(昭和32年)の作品。作詞・井田誠一、作曲・利根一郎。13800円は当時の大卒の初任給とか。

 1932年生まれ。終戦後、米軍基地でクラブ歌手をしていた。ジャズを歌っていた。才能が認められ、1955年(昭和30年)に「恋人よ我に帰れ」でデビューした。

 1957年に出した「有楽町で逢いましょう」がヒットし、スター歌手となった。作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正の黄金コンビの作品で、デパートのそごうが大阪から東京進出する際のPRソングだったという。
 ♪あなたを待てば 雨が降る
  濡れて来ぬかと 気にかかる

 東京午前三時(1957年=作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正)
 ♪真っ赤なドレスが よく似合う

 夜霧の第二国道(1957年=作詞・宮川哲夫、作曲・吉田正)
 ♪つらい恋なら ネオンの海へ

 羽田発7時50分(1958年=作詞・宮川哲夫、作曲・豊田一雄)
 ♪星も見えない空 淋しく眺め

 西銀座駅前(1958年=作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正)
 ♪ABC・XYZ これは俺らの口癖さ

 こいさんのラブ・コール(1958年=石浜恒夫、作曲・大野正雄)
 ♪なんで泣きはる 泣いてはる

 俺は淋しんだ(1958年=作詞・佐伯孝夫、作曲・渡久地政信)
 ♪赤い灯 青い灯 ともる街角に
 
 夜霧に消えたチャコ(1959年=作詞・宮川哲夫、作曲・渡久地政信)
 ♪俺のこころを知りながら なんでだまって消えたんだ
 
 東京ナイトクラブ(1959年=作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正)
 ♪なぜ泣くの 睫毛(まつげ)がぬれてる
  ※松尾和子(1935年―1992年)とのデュエット曲

 好き好き好き(1960年=作詞・佐伯孝夫、作曲・吉田正)
 ♪好き 好き好き 霧の都 東京

 君恋し(1961年=作詞・時雨音羽、作曲・佐々紅華)
 ♪宵闇せまれば 悩みは涯(はて)なし
  ※昭和初期の二木定一のヒット曲をカバー

 霧子のタンゴ(1962年=作詞作曲・吉田正)
 ♪好きだから とてもとてもとても

 大阪ぐらし(1964年=石浜恒夫、作曲・大野正雄)
 ♪赤い夕映え 通天閣も

 お前に(1977年=岩谷時子、作曲・吉田正)
 ♪そばにいてくれる だけでいい

 あの魅惑の低音が甘く切なく耳元に流れる。

×  ×  ×

※敬称略。文章中に事実誤認、赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。

2008年11月23日日曜日

♪ブルーライトヨコハマ

馴染みの駅メロ

 横浜は「ブルーライトヨコハマ」、京急川崎は「上を向いて歩こう」で、三崎口は「岬めぐり」である。なるほどと感じ入り、懐かしい。

 京急電鉄の発表したところによると、京浜急行16駅で使用する駅メロディ(列車接近案内音)が決まり、羽田空港駅開業10周年記念日にあたる、2008年11月18日から羽田空港駅を皮切りに順次各駅で使用開始されることになった。利用客に親近感を持ってもらうことと、周辺地区のPR促進が目的で、この駅メロは一般公募して、選考したそうだ。

 駅と駅メロを列記すると、
品川 赤い電車
青物横丁 人生いろいろ
立会川 草競馬
平和島 いい湯だな
京浜蒲田 夢で逢えたら
羽田空港 赤い電車
京急川崎 上を向いて歩こう
横浜 ブルーライトヨコハマ
上大岡 夏色
金沢文庫 MY HOME TOWN
金沢八景 道
新逗子 LIFE
横須賀中央 横須賀ストーリー
堀ノ内 かもめが翔んだ日
浦賀 ゴジラのテーマ
京急久里浜 秋桜
三崎口 岬めぐり
となっている。
 乗降客に馴染みがあり、親しみのある曲。地域色を感じさせて、ご当地ソングや、出身歌手・作曲家・作詞家による楽曲がずらり並ぶが、京急発表の選考理由に、改めて「そうだったのか」と納得し、勉強になったものもある。

 「ブルーライトヨコハマ」は、横浜を象徴する歌謡曲なのだろう。大阪出身のいしだあゆみは、横浜で歌手として地位を確立した。今でこそ演技派女優であるが、紅白出場歴9回を誇る歌手時代があった。
 ♪街の灯りがとてもきれいね
  ヨコハマ ブルーライトヨコハマ
 1968年(昭和43年)に作詞・橋本淳、作曲・筒美京平で世に出て、翌年ヒットした。ミニスカートから脚線美をみせた、いしだあゆみは美しい。

 1968年といえば青江三奈(1945年―2000年)「伊勢佐木町ブルース」も売れた。作詞・川内康範、作曲・鈴木庸一である。当時、横浜の中心といえば、伊勢佐木町であり、元町で、象徴するショットは山下公園、氷川丸、マリンタワーであった。現在はテレビドラマなどで登場する横浜の象徴ショットは、みなとみらい、ランドマークタワー、インターコンチネンタルホテルの夜景が多い。

 京急川崎の駅メロ「上を向いて歩こう」は、坂本九(1941年―1985年)がご当地出身で選定となった。「上を向いて―」は、世界で最も知られる日本の歌といえるだろう。作詞・永六輔、作曲・中村八大、“689トリオ”の傑作は1961年(昭和36年)に世に出て、1963年に「スキヤキ」という曲名で全米ビルボード1位にランクされるなど、世界的に大ヒットした。デビュー当時のまだ十代の九ちゃんは、テレビに登場すると、盛んに「川崎のみなさん、お元気ですか」などと、川崎出身を自己PRしていたものだ。川崎出身の草野は、大いに仲間意識を刺激されたのだった。

 青物横丁の「人生いろいろ」(1987年=作詞・中山大三郎、作曲・浜口庫之助)は、島倉千代子が品川出身ということの選定らしい。
 出身地といえば、横須賀中央の「横須賀ストーリー」は山口百恵、京急蒲田の「夢で逢えたら」は鈴木雅之、桑野信義のラッツ&スター、堀ノ内の「かもめが翔んだ日」は渡辺真知子、上大岡の「夏色」はゆず、金沢文庫の「MY HOME TOWN」は小田和正、新逗子の「LIFE」はキマグレン、金沢文庫の「道」はEXILEのHIROなど地縁からの選定ということである。

 浦賀の「ゴジラのテーマ」はゴジラが上陸したことで、立会川の「草競馬」(スティーブン・フォスター作詞・作曲)は大井競馬場に近いことが決めて手なったらしい。

 三崎口の「岬めぐり」は、山本コータローとウィークエンドのヒット曲である。作詞は山上路夫、作曲は山本厚太郎の1975年(昭和50年)の作品。
 ♪岬めぐりのバスは走る
  窓に広がる 青い海よ
と、思わず口ずさむ、心地よい歌だよね。

 今度、京浜急行に乗ったら、駅メロに耳を傾けてみよう。

2008年11月21日金曜日

よこはま・たそがれ英語版

Twilight Time in Yokohama

 英語トークバラエティ、「英語でしゃべらナイト」というNHK総合テレビの番組はご存知だろう。2008年11月17日の放送を観ていて、ニヤリとさせられた。五木ひろし「よこはま・たそがれ」を英語バージョンで歌っていた。2008年8月に再リリースした。

 「よこはま・たそがれ」は1971年(昭和46年)に、作詞・山口洋子、作詞・平尾昌晃で世に出てヒットし、「五木ひろし」をメジャーに押し上げた。売れずに何度かの改名をした後にスターの座をこの1曲で掴んだと記憶している。

 英語版のタイトルはTwilight Time in Yokohamaという。
♪yokohama,twilight time ,tiny unknown hotel room
A little kiss,traces of scent,still ligering smell of smoke

 ♪よこはま、たそがれ、ホテルの小部屋
 口づけ、残り香、たばこのけむり

♪あの人は行って行ってしまった
は、My love is gone away,away,so far away
となっている。英語詞はToney Allenという御仁である。意訳でなく、日本語を英語に忠実に置き換えていて、原曲を損なわれない英語詞となっているのではないか。

 なんとも「落ち」のない原稿だが、一度聴いてみることをお勧めする。

×  ×  ×

※蜘蛛巣丸太巣「草野球音備忘録」では人物名の敬称を省略しています。文章中での記憶違い・事実誤認・赤字などありましたら、ご指摘くだされば幸いです。また赤字などの訂正、文章表現などの加筆は随時行っています。

2008年11月15日土曜日

堂場瞬一「刑事・鳴沢了」

警察小説と探偵小説

 堂場瞬一の「刑事・鳴沢了」シリーズ第1弾の「雪虫」(中公文庫)を読む。シロイヌである。

 祖父・父に続き三代目の捜査一課の刑事となった鳴沢了(なるさわ・りょう)が主人公の警察小説である。「雪虫」はその最初の作品。新潟・湯沢で殺された老女は元宗教教団の教祖で、彼女は戦後間もない50年前、殺人事件に関わっていた――というストリーで展開される。ハードボイルドタッチで事件を追う鳴沢了の姿と、ラブロマンスも織りなしeasy-readingに最適だと思う。
 草野的には、鳴沢了の初恋の人、銀行に勤める石川喜美恵の存在が、気に入った。文章から想像するに、細身で知的な美人であろう。肩が凝らず、専ら就寝前にベッドで寝転がり、読んでいる。

 堂場瞬一(どうば・しゅんいち)は、「雪虫」を皮切りに「被弾」「熱欲」「孤独」「帰郷」「讐雨」「血烙」「被匿」「疑装」「久遠」などシリーズ化している。元読売新聞の記者で、デビュー作は2000年の小説すばる新人賞の「8年」というスポーツ小説だったという。



 警察小説というジャンルはいつごろから生まれたのだろうか。推理小説の新しい呼称であり、カテゴリーといえる。言葉として定着したのは、横山秀夫の登場あたりからではないだろうか。
 そういえば、昭和のころ「探偵小説」という呼び方があった。当用漢字の制限で「偵」が使用できないために、言葉として廃れたという。「探偵小説」に郷愁とレトロを感じるなぁ。

2008年11月14日金曜日

ピカソは「男」を全うした

創造の原動力

 ぶらり散歩は、浮世絵のお後はピカソである。東京・六本木の国立新美術館で「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」展を観た。
 残念ながらサントリー美術館は行けなかったが、サントリー美術館「巨匠ピカソ 魂のポートレート」展と同時開催で、20世紀を代表する芸術家を違う角度から特集している。どちらも12月14日(日)まで公開している。
 パリ国立ピカソ美術館の改修に伴う世界巡回展の一環として、名品の数々が来日しているのだ。

 国立新美術館では、パブロ・ピカソ(1881年―1973年)の91年の生涯を、油絵を中心に彫刻、素描など約170点の作品を、時代順に8室に分け展示している。
 「青の時代」に始まり、「バラ色の時代」を経て、すべてのものを幾何学的に分解するキュビスムに至り、古典主義に移り、シュールレアリスムに進む様が、作品を追って辿ることができる。
 「愛と創造の軌跡」と展覧会の表題にあるように、その作品を創ったその原動力は女性だったと、実感した。
 彼の人生を彩った女性たち――
・フェルナンド・オリヴィエ
・マルセル・アンベール
・オルガ・コクローヴァ

・マリー・テレーズ
・ドラ・マール
・フランソワ・ジロー
・ジャクリーヌ・ロック
 「ドラ・マールの肖像」(1937年)が印象に残った。

 美術鑑賞眼などまるでない草野だが、ピカソ90歳の作品「母と子」は感動ものだった。その迫力・気迫は、老齢など微塵も感じさせない。江戸東京博物館で観た「ボストン美術館 浮世絵名品展」で展示されていた葛飾北斎の作品と相通じるものがあった。

×  ×  ×

 1970年(昭和45年)夏にスペインのバルセロナを観光したことがある。ピカソ美術館は改修中で、見学できなかったと記憶している。38年前の話だが、未だに残念でならない。

2008年11月11日火曜日

色鮮やかなり江戸の夢

写楽そして北斎

 ぶらり散歩に出る。
 東京・両国の江戸東京博物館で「ボストン美術館 浮世絵名品展」が開催されている。以前からじっくり観たいと思って出かけたものの、なかなか人出が多く鑑賞するところまではいかない。
 しかし、名品の数々、その彩色は鮮やかで見事である。新しくても150年が経っているはずだが、とてもそうは思えない。特に幕末期の作品などは今刷り上ったばかりのようで、保存状態の良さに驚かされる。感動がそこにはあるのだ。

 ボストン美術館には5万点もの浮世絵版画が収蔵されているといわれるが、この展覧会では版画、肉筆画など137点が展示されている。
 展示は4部構成となっている。
・浮世絵初期
・春信様式の時代
・錦絵の黄金時代
~喜多川歌麿、東洲斎写楽
・幕末のビッグネームたち~葛飾北斎、歌川広重
 浮世絵の誕生から幕末までの変遷を、名だたる絵師の作品で辿ることができる。

 写楽と北斎に注目した。
 東洲斎写楽は、ご存知のように謎に包まれた浮世絵師である。生没年不詳だ。寛政6年(1794年)に出版され、わずか10ヶ月にその作品は集中している。その後の消息は不明だ。阿波の能役者・斎藤十郎兵衛という説が有力だそうだ。展覧会では、「二代目嵐龍蔵の金貸石部金吉」が目を惹いた。
 葛飾北斎(1760年―1849年)「冨嶽三十六景」「山下白雨」があった。この「冨嶽三十六景」を描いたのが70歳前半という。その創作意欲に感嘆する。

 音声ガイドを聞きながら回った。ナレーションは俳優の里見浩太朗が務めている。これも一興である。

×  ×  ×

 写楽と北斎で高橋克彦の推理小説を思い出した。高橋は、浮世絵の研究家である。1983年(昭和58年)「写楽殺人事件」で江戸川乱歩賞受賞し、「北斎殺人事件」を1987年に著している。「北斎―」では、ボストン美術館での殺人事件がストーリーの導入部となっている。