2008年7月24日木曜日

ちあきなおみの「喝采」

伝説の歌手

 喝采は場内を包み、劇場を揺り動かしている。緞帳(どんちょう)が静かに開く。それでも晴舞台に、主は現れない――。
 伝説の歌手、ちあきなおみのことである。
ここ数年、彼女の歌謡が繰り返し話題となり、あの歌唱をもう一度聴かせとほしい、と望むファンは多い。
×  ×  ×
「喝采」に出くわした。
 前回の項(写真:スフィンクスと侍=2008年7月22日)の続きである。茂木健一郎、はな、角田光代、荒木経惟の4氏をゲストキュレーターとした横浜美術館の展示会でのこと。
 館内に、ちあきなおみの「喝采」(作詞・吉田旺、作曲・中村泰士)が静かに流れていた。
♪いつものように 幕が開き
 恋の歌 うたう私に
 
 なんで? 
 場違いでは?  
 中島清之の描いた「喝采」の展示を観て、得心が行った。ちあきなおみが「喝采」でレコード大賞を受賞した際、中島清之が描いた作品だそうで、赤いドレスでマイクを手に歌唱している女性歌手の絵だった。
 レコード大賞が1972年(昭和47年)だから、そのあたりに描いた作品だろうか。展示会で絵画よりもBGMの興味を惹かれるのは妙な話だが、その曲が、ちあきなおみだからだろう。
×  ×  ×
 巧い歌い手。美空ひばり(1937年―1989年)がテレビのインタビューで、かって語ったことがある。彼女の物真似を問われて、「私の物真似で巧いのは、話し言葉は中村メイコ。歌はちあきなおみが一番ネ」と、太い低い声で応えているのを観たことがある。
 競作となった「矢切の渡し」など、他の歌手には悪いが、情感あり、一番訴えるものがある、と思う。
 水原弘(1935年―1978年)の名曲「黄昏のビギン」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)のカバーが、テレビCMに流れことがあった。おミズもいいが、ちあきもいい、と感じ入った。
 1992年(平成4年)、夫の俳優、郷鍈治と死別した。郷が荼毘に付されるとき、棺にすがりつき、「わたしも一緒に焼いて」と号泣したという。以来、芸能活動を断ち、今日に至っている。
×  ×  ×
 カムバックの声は、これからも何度となく起こることだろう。
 だが、しかし‥‥。再登場はないのではないか。それだけの思いで、歌を断ったのではないか、と推測する。
 だから、こそ‥‥。ちあきなおみは伝説の歌手となった。

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