2007年12月31日月曜日

瞼の裏で咲いている1958

昭和33年編

 1958年・昭和33年は話題の多い年だった。
 長嶋茂雄のプロ野球デビュー、石原裕次郎人気爆発、皇太子と正田美智子さんの婚約、インスタントラーメン発売、フラフープの大流行、月光仮面のテレビドラマ開始、1万円札発行、岩戸景気始まる、東京タワーの完成、など盛りだくさんである。

 立教大の長嶋茂雄は、前年の六大学野球秋季リーグ戦で通算8本の本塁打を放ち鳴り物入りで読売ジャイアンツに入団した。ゴールデンボーイと言われた。そして迎えた国鉄スワローズとの開幕戦、プロ野球を代表する大投手の金田正一と対戦し、4打席4三振の苦いデビューとなった。これはもはや周知の事実であり、伝説となっている。
 その開幕戦(後楽園球場)をテレビで観た。金田は調子よく、高めの速球が伸びていた。長嶋は力いっぱいのスイングで応じたが、ファールが精一杯、前に打球は飛ばなかった、と記憶している。

 当時の巨人の開幕オーダー(読売入団までの経路)=監督経験
(左) 与那嶺 要(フェリント高―3Aサンフランシスコ)=中日監督
(遊) 広岡 達朗(三津田高―早稲田大)=ヤクルト、西武監督
(三) 長嶋 茂雄(佐倉一高―立教大)=巨人監督
(一) 川上 哲治(熊本工)=巨人監督
(右) 宮本 敏雄(ボールドウィン高―ハワイ朝日)
(中) 岩本 堯 (田辺高―早稲田大)=近鉄監督
(ニ) 土屋 正孝(松本深志高)
(捕) 藤尾 茂 (鳴尾高)
(投) 藤田 元司(西条高―慶応大―日本石油)=巨人監督

 長嶋は3番でスタメン出場している。早稲田実の王貞治が入団するのは翌昭和34年で、「不動の4番」であり「打撃の神様」川上哲治はこの年限りで現役を引退する。それにしても豪華なオーダーで、その後、宮本、土屋、藤尾を除く6人がプロ野球監督を務めることになる。
 試合結果は金田の好投の前に打線は沈黙し、1―4で読売は敗れている。勝利投手は金田、敗戦投手は藤田元司だった。

 長嶋は只者ではない。デビューの失敗からすぐさま立ち直った。シーズン中盤戦からは川上に替わり4番に座り、29本塁打、92打点で2冠に輝き、打率.305で2位(首位打者は阪神の田宮謙次郎)の成績を残した。実は30本の本塁打を放ったが、9月の広島戦で一塁を踏み忘れるミスで1本を帳消しにしている。37盗塁で併殺打はわずか3本と、その俊足ぶりが目立つルーキーだった。
 
 セ・リーグは読売ジャイアンツ、パ・リーグは西鉄ライオンズが優勝し、日本シリーズは西鉄が3連敗のあと4連勝し日本一に輝いた。鉄腕・稲尾和久(1937年―2007年)は語り草となる奮投をみせひとりで4勝を上げ、「神様・仏様・稲尾様」と言われた。 シリーズMVPは当然ながら稲尾。

・昭和33年の主な個人タイトル=セ・パ
最優秀選手=藤田元司(巨人)・稲尾和久(西鉄)
新人王=長嶋茂雄(巨人)・杉浦忠(南海)
首位打者=田宮謙次郎(大阪)・中西太(西鉄)
本塁打王=長嶋茂雄(巨人)・中西太(西鉄)
打点王=長嶋茂雄(巨人)・葛城隆雄(大毎)
最優秀防御率=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最多勝=金田正一(国鉄)・稲尾和久(西鉄)
最優秀勝率=藤田元司(巨人)・秋本祐作(阪急)

 高校野球では、春の選抜大会が済々黌(熊本)、夏の選手権大会は柳井(山口)が優勝した。なかでも夏の甲子園大会では、徳島商のエース板東英二(中日)の好投が印象に残る。準決勝の魚津の村椿輝男との投げ合いは見事で延長18回を0-0と決着がつかず、再試合となり徳島商が3-1で勝利した。板東はこの大会83の奪三振記録を樹立した。記録は現在も破られていない。
 板東は魚津の延長18回で25奪三振、再試合でも9三振を奪い奪三振は80とした。さすがに決勝の柳井戦では連投の疲労が出て、0―7と敗れ、奪った三振も3と激減したが、大会通産の83奪三振は球史に燦然と輝く。
 速球一本勝負の小気味よい投球をする球児だった。テレビに映し出されるお笑いタレントのような板東とは、明らかにイメージが違うなぁ。

 昭和33年編は年を挟んで2回に分けて記述します。

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