2007年10月5日金曜日

原辰徳:巨人の夜明け

 霊山に朝靄(あさもや)がまだ漂っていた。西に雪化粧した富士山が薄ぼんやり望めた。山の冷気が緊張をさらに高めた。社務所に日本酒を奉納した学生服の若者は、心願成就を込めて100円玉を賽銭箱に投げ入れた。
 1980年(昭和55)11月26日午前8時30分。神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社。若者は22歳、東海大学4年生の原辰徳。運命のプロ野球ドラフト会議を待つ朝の光景である。
 希望球団は巨人と横浜大洋を挙げていたが、辰徳の心は子供の頃から憧れていた巨人への思いが強かった。願いは巨人からの指名だった。まさにジャイアンツ愛である。
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 2007年10月2日、優勝マジックを「1」にしていた巨人が東京ドームでヤクルトに5―4で逆転サヨナラ勝ちし、5年ぶり31度目のセリーグ優勝を決めた。就任2年目の原辰徳監督は、前任期中だった2002年に続いての胴上げ監督となった。巨人が4年間、リーグ制覇から離れていたのは球団史上最も長かった。
 ――あれから27年の歳月が流れた。原監督の胴上げをTVニュースで見ながら、草野球音はまざまざと「大山詣から始まった長い1日」を思い出した。
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 大山は、別名雨降山(あふりやま)といわれ、雨をもたらし農耕を司る霊山として、古くから知られていた。雨降から「阿夫利」に転じたともいう。真言宗大山寺は、752(天平勝宝4)年に良弁僧正によって開創されたといわれている。江戸時代になって庶民の生活が豊かになると、信仰と物見遊山を兼ねた旅として大山詣が盛んになった。
 大山神社は原家の「初詣御用達神社」でもある。それは辰徳が小学校3年生の頃から始まった。
1965年(昭和40)30歳の父・貢が三池工業高校の野球部監督として夏の甲子園大会で全国制覇を果たしている。昭和30年代後半、高度成長期にあった日本の産業界は主要エネルギーを石炭から石油に大きく舵取りを変えた。隆盛だった炭鉱の町・大牟田に翳りが見始めた。人員整理に端を発した三井三池争議が起こった。そんな寂れる暗い街に希望の灯火を点したのが、三池工の日本一だった。「ヤマの球児」が貢の采配に躍り、大活躍を見せ初出場初優勝の快挙をやってのけた。
 7歳の辰徳は母・勝代とともに炭坑節が響く甲子園のアルプススタンドで応援した。歓喜が弾けた優勝の瞬間、その後の大牟田での凱旋パレードの熱狂を鮮明に記憶している。
 貢の手腕に惚れ込んだ東海大学の創始者である松前重義に請われ、東海大付属相模高校の野球部に就任したのは、辰徳が8歳の1966年だった。福岡県大牟田市から神奈川県厚木市に引越し、その後相模原市で育っている。以来、願いごとのたびに訪れる大山であった。
 この朝は人生の岐路に立つ若者が、心願を祈ったのだった。辰徳の思いを叶えてあげたい――神前に球音は心で吠えた。(つづく)

1 件のコメント:

Tell-me さんのコメント...

待ってました、野球ネタ!
球音さん、本領発揮ですね。
「読書もの」ともども、これからも楽しみにしています。