2007年9月24日月曜日

木久扇から片岡千恵蔵

 連想には個人差が出る。それは過言すれば、人生を反映しているかもしれない。
 2007年9月22日の大衆かわら版で、
林家木久蔵改め初代木久扇(きくおう=69)と林家きくお改め2代目木久蔵(31)の親子ダブル襲名披露興行が21日、東京・上野の鈴本演芸場で始まった」
という芸能記事を読んだ。

 草野球音は木久扇さんの襲名ニュースから片岡千恵蔵を連想した。初代の木久蔵のネタに「片岡千恵蔵伝」がある。声帯模写を駆使した語り口が面白い。

 千恵蔵は戦前・戦後の長期にわたりチャンバラ映画で人気を博した。1903年(明治36)生まれ、没したのは1983年(昭和58)、享年80歳だった。大河内伝次郎、坂東妻三郎、市川右太衛門*、長谷川一男(林長ニ郎)、嵐寛寿郎*と並ぶ剣戟六大スターであるが、戦後生まれの球音の記憶には、東映時代の大御所の印象が強い。東映創立に参加した市川右太衛門ともの重役兼トップスターであった。血槍富士(1955年)、大菩薩峠(1957-59年)、多羅尾伴内・七つの顔の男だぜ(1960年)などに主演している。

 時代劇スターであるが、現代劇にも数多く出演している。なかでも興味深いのは「七つの顔の男」シリーズだ。大映で4作品、東映で7作品も製作している。ストリーは荒唐無稽だが、千恵蔵の七変化が見もので、片目の運転手・気障な紳士・インドの魔術師などどのように化けても大きな役者顔で、ひと見で千恵蔵と分かる扮装であった。そして最後に決め台詞が待っていた。
 「あるときは○○、またあるときは××、しかしてその実体は正義と真実の使徒、藤村大造」といいながら、歌舞伎並みの見えを切るのだった。少年たちはこぞって千恵蔵になったつもりで決め台詞を暗記した。
 鈴生りの大入り、見せ場で拍手が沸き起こる映画館。久しく見ない光景である。
  
市川右太衛門(いちかわ・うたえもん):1907年(明治40)―1999年(平成11)。俳優北大路欣也の父。代表作に「旗本退屈男シリーズ」。
嵐寛寿郎(あらし・かんじゅうろう):通称アラカン。1903年(明治36)―1980年(昭和55)。代表作は生涯に40本余主演した「鞍馬天狗」。

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